【短編小説】猫
家を建てる時、書斎にする二階は、壁を大きく切って広い窓にしてもらった。見下ろせば隣家の屋根だが、こうして机について水平に目をやれば、幾分かの雑木林、その向こうに山々の清とした連なりを見ることができる。秋が深まれば、尾根は白く染まり、私の目を更に楽しませてくれる。
もうひとつ私を楽しませるのは、窓の手すりに野良猫が、やってくることだった。一階の屋根づたいに近づいてきて、雨樋に器用に足をかけ、ヒョイと手すりに載っかる。その時、私と目の合うこともあるが、猫は面倒くさそうに視線を外して、窓を横切っていく。そして再び一階の屋根に下り、どこかへ行ってしまう。
最初猫を見た時はびっくりしたが、今はもう驚かない。ああ、また来た、と思うくらいだ。午前に一回右から左へ、午後に一回左から右へ。時刻はだいたい10時頃と4時頃。来ない日もある。猫がうちの二階を横切って、どこへ行くのかは知らなかった。
それが、ひょんなことから発覚した。
コロナからこっち、うちの会社も御多分に洩れずリモート仕事が多くなった。私の部署では渉外役一人を会社に残し、残りは自宅での仕事となった、渉外は二週間ごとの輪番制であった。
出だしの頃のコロナは死病の感があって、実際有名人で亡くなった人もいた。テレビは不要不急の外出を控えるように、何度も連呼していた。だからみんな大人しく家に籠った。学校も休みで、うちの息子は勉強もせず、ゲームばかりしていた。
会社に行かないことが決まって、時間もできたことだし、子供の勉強でも見てやるか、妻の家事仕事でも手伝ってやるか、と思っていたが、実際リモートが始まると、どうにも仕事の能率が悪い。プライベートどパブリックの境が有耶無耶になると、仕事頭になれないらしい。会社では、みんなで仕事をしているというライブ感が、緊張感を生み、能率をあげるのだろう。
だから、個人的にさまざまな工夫をした。まず、時間を決める。会社にいっていた頃と同じに起きて、朝食をとり、着替えて2階に向かう。就業時間中はトイレ以外、階下に降りない。勿論、家人は2階に上げないし、5時まで口もきかない。むしろ会社にいた方が肩の力が抜けたやもしれない生活を続けた。せっかく家にいるのにと、家人には大不評であった。
この生活で一番困るのが、12時から1時までの昼休憩の時間だった。昼食を妻に出してもらうにせよ、自分で作るにせよ、ダイニングキッチンに入った時点で、緊張感がぷつりと切れる。午後になって仕事のはかがいかず、リモートなのに残業するハメとなる。勿論残業代など出ない。そこで私はその1時間を外で過ごすこととした。危ないからと言う妻を残し、雨の日以外、私はマスクをして駅前に向かった。安い定食屋があるのだが、当分の間お休みします、の張り紙があった。やむなくコンビニに入り、お茶とおにぎりを買う。入って出るまで2回消毒する。お金のやり取りはトレーを介することが徹底されている。中には手袋をしている店員もいた。
おにぎりくらい私が握るわよ、と妻は言う。それはそうなのだが、握るくらいは私だってできるのだが。しかしそれをしないのは、これはプライベート臭から逃れるための外出だからである。だから、頼まれてもコンビニで他の買い物はしなかった。
昼間、公園には誰一人いない。鳥の声を聞きながら、顎マスクでおにぎりを頬張る。こうして家族以外と話さない時間が多くなっていくと、早く順番が回って会社に行けないかと思う。でも、行っても一人なのだが。することがないので、ぼうっと空を見ることが多い。これが新しい日常になってしまうのかな、とうっすら考える。空は青い。
猫がいた。
毎日会う奴だ。茶色の斑で、野良のくせによく肥えている。ベンチに座っている私の前を、私をまるで無視して悠然と歩いている。
猫にコロナはないらしい。でも、少し前に猫のエイズが流行った。じき野良猫は全滅するだろうと言っていた人もいたけれど、あれはどうなったのだろう。
私は猫を目で追った。時計を見る。1時まであと40分ある。私はおにぎりを口に押し込め、立ち上がって猫についていった。どうせやることはないし、やりすごしても、ただベンチに座って時間を潰すだけだし。帰っても、またパソコンの前に座るだけだし。猫はもう公園を出て、道を左に曲がっていた。
猫はゆっくり歩く。まるで私がついてきているのを知っているように、猫にしか通れないところは歩かない。塀も越えないし、垣根の下も潜らない。道の端を行儀よくゆっくり歩く。
行き着いた先は、寺の駐車場だった。猫はその真ん中を歩いていく。駐車場を越すと、寺の境内に入り込んでいた。周りを見回しているうち、猫の姿を見失ってしまう。
寺の庭を散策する。卒塔婆が何十本も並べて干してある。そんな光景を初めて見たので、近づいてみた。最近は卒塔婆の字を印刷する機械もあるとか、この前テレビでやっていた。よく見ると、これも印刷のようである。木を乾かすためか、印刷を乾かすためか、兎に角何十本も並べて干してある。向こうから、また2本手に持って爺さんがやってくる。
私をチラと見たが何も言わず、二本の卒塔婆を並べると戻っていった。
どうしてこんなに多いんだろう。あの爺さんに、訳を訊けばよかった。
せっかくお寺に来たんで、本堂でお参りをして帰ろうと思った。表に廻ると、なかなか立派な本堂だった。賽銭を入れ、二礼二拍手一礼する。
「よくきたな」
えっ、と思い顔を上げると、賽銭箱の向こうに猫がいる。いつもとは違って、私の顔をじっと見ている。
まさか。そう思ったが、猫はそのまま、じいっと私の顔を見ているだけだ。仕方なく私も見ていると、猫は視線を外し、本堂の奥に消えていった。
猫を目で追い、本堂の奥を透かす。如来様が端坐しておられる。左手に薬壺をお持ちだ。薬師如来か。猫が私を連れてきてくれたのか。
もう一度手を合わせた。早く日常が戻りますように。家族がコロナにり罹りませんように。普通だったら、偶像に祈るのはおやめなさい、と冷笑する自分が、素直に祈っていた。
コロナの時の思い出である。
了
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