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人口2,000人の島でアントレプレナーシップ教育をする?|小値賀島訪問記

どうも。最近管理会計研究者改め,アントレプレナーシップ教育伝道師になりつつある私です。

実はひょんなご縁を頂き,東シナ海に浮かぶ五島列島(一部には平戸列島に位置づけられている)小値賀島(おぢかじま)に行ってきました。以前から,小値賀町の先進的な取り組みについては耳にしており,福岡にいるからには一度は訪問してみたいと思っていた場所。今回,授業の合間を縫って行ける算段がついたので,無理を承知で小値賀島を訪問しました。

その訪問記を今回は記します。

偶然を必然にする|出会いは大学で

今回の訪問のキッカケは,現在私が勤務する大学で講義をして頂いている木藤亮太さんからのご縁。木藤さんには「地域経営論」という授業をご担当頂き,彼が培ってきたネットワークを基盤にオムニバス形式で毎回ゲストが来られている。その1回に彼の小値賀での仕事での出会いで知り合った長谷川雄生さんと小値賀島出身で現在は長崎県内の大学に通うSさんが来られ,そのままゼミに出席までしてくださった。

大学に来られたときの写真

そこで,今私がゼミ生とともに進めている高大連携によるアントレプレナーシップ講義についてお話をさせてもらった。いつもここに書いているように,地方をフィールドにしている理由,付加価値の創造が企業活動の鍵であることなどなど。

一方,小値賀島では小・中・高一貫教育をうたって,島への帰属意識を高めるような探究学習が長年行われており,特色ある教育を行っている。高校ではその成果として3年生の夏に島でできる新たな取り組みを提案することになっているそうだ。そこでSさんは,同級生とともに民泊事業の提案をしたとのこと。

しかし,それを事業化するには多額の資金が必要になる。「アイデアは良いけれどもお金はどうするの?」と言われてしまう。確かに学校教育においてお金のやり取りは忌避される傾向があって,抵抗感が根強い。そうした反応を感じたSさんは大学に入ってからも事業に伴う資金の問題をどうするか,どうしたら良いのかを考えたり,彼女がしたモヤモヤとした経験を後輩たちに感じて欲しくはないから,ちゃんと学ぶ機会があって然るべきだと考えていたようだ。

つまり,彼女が抱えているモヤモヤとわたしたちのゼミでの学びがパチっとハマった瞬間だった。

小値賀に強い関心を持っていた私は,こういう考え方をできる高校生がどのような環境で育ってきたのか,それを支える教育はどのように行われているのかをますます知りたくなり,1ヶ月後の今日,現地を訪れることにした。

木藤さんが連れてきたという偶然を必然に。また新たなチャレンジができるかもしれないというワクワク感で止まらなかった。

いざ小値賀へ

そして,昨晩,23:45の五島列島の中心地・福江に向かう船に乗船し,小値賀に向かうことになった。

乗船券

福岡から小値賀に行くには,①博多港からのフェリー,②佐世保まで行って高速船,③福江まで飛行機で行って船というルートがあるが,今回は最もリーズナブルなフェリーで行くことに。いわゆる雑魚寝ができるスペースがあるのだが,いびきがうるさい私は片道1,500円追加してグリーン和室を確保した。

7人1部屋だったのが貸切状態!

すると,今回は部屋を貸し切りできる状態に。周りを気にすることもなく,船内でゆっくり過ごすことができる。小値賀到着は翌朝4:40。約5時間の船旅を過ごすことになった。

ついに小値賀へ上陸|街の豊かさは端々に

4:40。ついに小値賀に到着した。港には仮眠室も設置されているが,今回はご縁を頂いた長谷川さんに甘えて,彼が経営する民宿で仮眠を取らせてもらうことにした。港のある小値賀島の中心地,笛吹地区から車を走らせること約10分。美しい松林を抜けると長谷川さんの宿がある。

まだ早朝だったので仮眠をし,起きてから朝食を頂く。ありがたい。

島の幸をふんだんに使った朝食

朝食を頂きながら,この宿を始めることになったキッカケ,どのように起業し,島では副業がアタリマエで云々という小値賀での暮らし,そしてこの建物の歴史など,いろいろな話をした。

小値賀はその昔,豊かな海の恵で財を成した商家があり,まさにこの家も商家により建てられたもの。小値賀は古くから遣唐使が通る場所でもあり,船が沈まないようにと創建された神社もある。五島列島に近いけれども,福江藩ではなく,平戸藩に属し,現在は佐世保とのつながりが深いけれども,元々はという話もチラホラ。現地に行くからにはその場所の歴史を知ることが大事。歴史を知ることで,目に見える世界が変わってくる。

斑島から望む五島列島

ひとしきり話をした後,島内をドライブ。青い海の海水浴場,遠くに五島列島を望む斑島からの景色を楽しみつつ,最初の訪問地である教育委員会へ。

教育委員会では教育長,次長,担当者と3名に今進めているプログラムとその目的についてご案内。これまでも紹介してきた先行研究などを引き合いに,帰属意識を高めるための非認知的能力を養うこと,そのためのサポートを行う指導体制を構築すること,PBLは認知的能力をベースに非認知的能力をも養っていこうとする教育手法だということ,アタリマエにこうした話が通じる。PBLは小値賀町の学校でも取り入れられ,高校生が地域課題の解決を考えてプレゼンするような取り組みをずっと続けておられる。

なので,正直「何を今更感があるのかもな」と思っていたのだが,上手いタイミングにハマりそうなお話もあったので,今後の展開を期待したい。大学生から高校生や中学生が学ぶだけでなく,大学生から社会人が学ぶキッカケができるのかも(これまたどこかで見た景色だ)。何か新しい取り組みにつながっていくと良いのだけれども。

その後,次のアポイントまで時間があったので,島内を回りつつ,歴史や文化について触れる時間に。古くからの今の中心地である笛吹地区には多くの遺構が残されている。

手前側が埋立地。ここに船を乗り付けて領主が上に見える家に入ったそう。

例えば,上の画像は不自然に坂道が作られている。実は古くは手前側(植木鉢が置いてる側)まで海が来ていて,小値賀を治めていた平戸藩の代官等が来るとここに船を乗り付けてきたのではないかと。この周辺には古く栄えていた頃に建てられたであろう瀟洒な民家が立ち並ぶ。保全のために手を入れれば良くなりそうな物件もあるものの,残念ながら朽ちつつあるものもいくつか見られた。

街を歩いていると長谷川さんがさまざまな人に声をかけられる。長谷川さん曰く「この島では誰がどの車に乗っているかもみんな知っている」のだそう。

そうこうしながら歩いていると印刷屋の建物が目に入る。長谷川さんから説明を受けているとご主人がひょっこりと顔を出してきた。「どうしたの?中見ていく?」と言われるので2つ返事で「はい」と。入るとずらりと並ぶ活版が。

街に佇む活版印刷

その界隈では有名な小値賀で100年事業を営む活版印刷屋「晋弘舎」。現在のご主人は3代目。そして,娘さんが後継者として現在4代目。OJIKAPPANという可愛らしげな印刷店を親子で営まれている。民家に囲まれている中で小さな印刷機が動く音はタイムスリップしたかのような不思議な雰囲気に。

そうしていると次のアポイントの時間が迫る。

次は島内に唯一ある高校,長崎県立北松西高等学校。ここは先に紹介したSさんの母校。Wikipediaによれば,同校は1949年に平戸にある「平戸高校」(現在の県立猶興館高等学校)の分校として設立され,1955年から現在の校名に。「北松」とは小値賀町が属する北松浦郡から,西というのは北松浦郡の西にある島にあることから名付けられたそうだ。

今回の主たる訪問地の1つ「長崎県立北松西高等学校」

小値賀における教育では最後を担う高校。町の小中学校と連携しながら,高校生になると2年半かけて島の未来を考えていく授業が行われている。そして,そこで最終的に浮かんだSさんのアイデアとわれわれが提供しているアントレプレナーシップ教育であり,会計教育がパシッとはまれば次の一歩に行けるのではないかという話で行ってみたのだけれども…。

あとあと調べるとSさんがNHKでこういう取り上げられ方もしてたみたい。

校長先生は生物を専攻されていることもあり,小値賀と他の五島列島との違いを地学的,生物学的にご説明してくださった。例えば,五島列島の多くは切り立つ山が中心でそれを這うように道路が作られている。鬱蒼とした緑のために,日差しがあまり入らず,街も少し暗い印象。しかし,小値賀は平地があり,農業や畜産で業を成せる。他地域のように漁業一辺倒にならずに,生活の基盤を整えられるのは全く違うと。

確かに,先の印刷屋では「昔はアワビもウニもたくさん取れた。あわびなんかは中国に輸出してたんだけど,今は海がね」という話もあった。五島だけに限らず,長崎県の重要な資源である海はどんどん痩せ細っている。そうした中でどうやって生活を維持していくのか,付加価値を生み出すのかは早急に解決していかねばならないことの1つだ。

話を聞けば,佐世保市や五島市と合併を選んだ島(町)では行政サービスが行き届かず,島を離れる人が絶えないという。小値賀も最盛期は1万人近い人口を有していたが,今は5分の1にまで減少している。産業が衰退すれば付加価値が生まれず,付加価値が生まれなければインフラの維持がままならなくなる。隣の島では「島の大半をソーラーパネルで埋め尽くすのかも」というようなプロジェクトも出てきてしまうほどで,果たして島はどうなっていくのか。そういう意味でも課題は山積みで,それをブレイクするような新たなアイデア,事業機会の創出が急務だ。

が,どうなんでしょう。こういう言い方は正しくないだろうけど,先生方は皆,島で生まれて育ったわけではないですからね。なかなか教育とは難しいものです。

こうして今回のミッションは終了。島を離れるまであと1時間半。ランチを食べて港へ向かうことに。

ランチは地元きってのちゃんぽん屋。カレーちゃんぽんはカレー粉で味が付けられて,お茶碗一杯のご飯がついてくる。「最後にリゾット風で召し上がれ」と。

カレー風味のカレーちゃんぽん

昼食時の少し前だったこともあり,わたしたちが入った頃はまだ空いていたが,12時を回ると程なく満席に。お腹いっぱいになり,近くのスーパーで買い物をして港へ。

小値賀アイランドツーリズムの木寺さんとお世話になった長谷川さん。

車で2-3分もしないうちに港に到着。

小値賀へ向かう際に投稿したSNSには「ターミナルにあるおぢかアイランドツーリズムに木寺さんという女性がいらっしゃいますので、何か困ったらたずねられてください。良い方です。」と友人からのメッセージをもらっていたので,しばし木寺さんと歓談。今回の出張の目的,話の内容,手応え,今後の展開などをああでもないこうでもないと。

また,港にはこんなパネルがあった。

島の住民で未来を語り合う「おぢか未来会議」の様子。

先に開催された「おぢか未来会議」の様子。写真を見ると子どもからお年寄りまでが10ほどのテーマについて議論をしている。

時間軸と内需・外需をしっかりと捉えた分析

私としては立場的にも「経済的に自立し,やりがいのある仕事のある島」という未来像が気になったので,その内容を拝見した。なかなか良くできているワークで,時間軸を短期,中期,長期として捉えながら,どんな仕事を創るか,それをどう行っていくのかまとめられている。また,それを自分でできること,協力してできること,行政の力が必要なことと分けていて,地に足のついた現実を見つめる目をこうして養っていることを伺わせる。

旅のふりかえり|島への帰属意識を高める手段としてのアントレプレナーシップ教育?

こうして見ていくと,小さな島で豊かではあるけれども,厳しい自然環境の中で人々が肩を寄せ合いながら文化を創り,付加価値を生み出して生きながらえてきたことがわかる。そこでは島独自の知恵が息づいているのだろう。

しかし,急激な人口減少を目の前にして,この島をいかに自立的に生きることのできる場所にしていくのか。行政区として見ればわずか2,000人の島かもしれないが,2,000人の意見をまとめることは容易ではない。ましてや,平成の大合併時に島を二分した争いのしこりもまだ残るという。もう終わったことかもしれないが,終わっていないからこその難しさ。

そして,こんなことも感じた。今や高校生だろうが,誰だろうが,能力ある人材の可能性をどう拡げていくか。大人の限られた視野でモノを語る,出る杭を打とうとするのではなく,彼・彼女たちが判断できるレベルでのリスクを取る=許容可能な損失はどこまでかを議論して決めるべきだろう。「お金」は特別かもしれないけれども,高校生だから扱えないというのは短慮が過ぎる。どうすればできるのかを考える機会を創ることこそ,教育の重要な機能の1つだろう。18歳の「いつか島に戻ってなにかしたい」という気持ちに応えられる未来は創れるのか。余計なお世話かもしれないが,微力ながらなにかできると良いのだが…。

そう言えば,小値賀から戻った翌日,大学の授業に甑島で島の未来を創ろうとされている山下賢太さんが来られたので,少しご挨拶した。今回,小値賀でお世話になった長谷川さん曰く「彼の取り組みは小値賀の10年先を行っている」のだそう。まだ実際にその目で確かめていないので何とも言えないが,少しお話させてもらったことで自分の考えが間違えていないことは確認できた。

単に日々を淡々と過ごすこともそれはそれで素晴らしいことだが,緩やかに衰えていく街や島をそのままにして,絶えきれないからと補助金を当てにしてまちや島の資源を食い物にするのではなく,1人ひとりがその場所で何か価値を創造することなくして未来は創れない。もちろん,そこに暮らすことだけが未来ではないのだが,「機会を探索し,価値を創造する」プロセスを教育することが求められるであろう。それをどのタイミングで行うのか。つまり,ここにアントレプレナーシップ教育を地方で行う意味があると考える。

今年に入って壱岐,小値賀を訪問し,そしてこのあと五島列島の奈留島を訪問する。それぞれの島で抱えている課題は個別具体に問題はあるのだろうが,共通する点は似ているだろう。「誰がジブンゴトとして自分の住む場所の未来を創るのか」ということかもしれない。

一歩踏み出す人をどう育て,応援するか。だんだん見えてきたぞ。

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