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第1次産業に挑むアントレプレナーとの邂逅|佐伯訪問記②

佐伯滞在2日目。

この2年間、旅先でもほとんどお酒を飲まず、食事をして部屋でゆっくりしていたこともあり、久しぶりの夜更かしで知らないうちにダメージが(笑)

が、この日は午前、午後と佐伯市内を北へ南へと移動するスケジュール。佐伯の海を十分に堪能できる1日になるだろうとワクワク。

実は2021年度から漁業に関する会計研究を長崎県庁と連携して行っていることもあり、佐伯でどのような実践が行われているのかについては興味深い対象でもある。以前は農業に関する会計研究もしていたのもあるし、第1次産業にいかに「経営」という概念をインストールしていくか。そういう視点での視察でもあった。

近年、各地で第1次産業を対象とした新たなビジネスのあり方が進められている。宮崎のAGRISTのようにテクノロジーで農業の効率化を図ろうとする事業もあれば、以前訪問した対馬のフラットアワーのように新たに就農、就漁しながら、顧客との接点をうまく構築する事業のやり方もあったりもする。

そうした中で、今回お話を聞くのは佐伯の海洋資源を活用してチャレンジしている方々でもある。そもそもの目的は来年度の創業体験プログラムの下見ではあるのだけれども、起業家であり、第1次産業の担い手である方々の話を聞ける貴重な機会。それについてまとめることにしよう。

なお、1日目の旅の記録はこちらから。

新卒で就職先が道の駅!?|佐伯市蒲江での出会い

佐伯市中心部から車で30分ほど。佐伯市南端、宮崎県との県境にある蒲江という地区に向かった。元々は佐伯市とは別の自治体だったが、平成の大合併で統合され、今は佐伯市の一部になっている。

この辺りもリアス海岸を活用した養殖が行われており、ここ蒲江はブリや伊勢エビの一大産地になっている。約6,000人ほどが住む地域に数多くの養殖業者があり、それぞれが鎬を削りながら優れたブリの生産に取り組んでおられる。

そうした蒲江地区で生産者と顧客が出会える場所が「道の駅 かまえ」である。

2日目は「道の駅かまえ」からスタート

この「道の駅 かまえ」は2005年に設置された。当初は第3セクターで運営されていたが、赤字が次第に大きくなり、行政のサポートだけでは経営の持続可能性が危ぶまれることから、民間への委託を行うことにした。その結果、現在は神奈川県相模原市出身、25歳の早川光樹さんが会社を立ち上げ、運営の受託を行うことになったそうだ。道の駅のWebは↓↓↓。

道の駅かまえの駅長早川さんはなんと高校の後輩。

聞けば早川さんのお父様が佐伯出身で、小さな頃から帰省で訪れた佐伯の海が好きになり、いつか魚に関わる仕事をしたいと思っていたのだそう。まずはやりたいことを1つずつやっていこうと、大学入学してから最も短い期間で留学可能な中国・大連に行き、帰国後は三陸から九州まで各地を巡りながら、どのような仕事があるのか、どのように流通しているのかを学んだ。また、大学のゼミも起業に関するテーマだそうで、3年生の1年間で事業を立ち上げる経験をしてみて、うまくいけば続ければ良いし、うまく行かなければ就職すればいいくらいの感じでいろんな取り組みをしているそうだ(全く持ってゼミ3年生で取り組む「社会課題をビジネスで解決する」という話と同じ)。

そうする中で夏休みに訪れた佐伯で市役所に飛び込み、「海に関わる仕事がしたい!何かないか?」と尋ねたそうだ。この話は前日に一緒に食事をしたDOCREの後藤さんから聞いてたのだが、市役所側も「おもろい奴来たで」という認識だったのだそう。

そこで現在の道の駅の運営を持ちかけられたらしい(間違えてたらごめんなさい)。本人もまさか22歳で道の駅の駅長になるとはゆめゆめ思わなかっただろう。が、本人はやると覚悟を決め、市議会のああだこうだと市長の説得で乗り越えながら、運営を進めることになったという。新卒の就職先が「道の駅 駅長」。ご自身はそんなつもりはないだろうけど、まさにアントレプレナーになってしまったわけだ。ま、学生時代からの行動がその要素満載だったわけだが。

道の駅かまえが目指すところ

当時の経営は苦しいのは苦しかったが、その原因がある程度はっきりしていた。それはサービス業として基本中の基本ができていなかったことに依存する。(それが悪いわけではないが)「地元のノリ」でお客様と接することで、サービスの品質が低くなる。どんなに美味しいものを提供しても、どんなに美しい景色がそこにあったとしても、結局人対人の部分でうまく行かなかった。

そこを少しずつ改善をしていきながら、商品アイテムも絞り込むように。それまでは公共性が高い道の駅だから蒲江地区全体のさまざまな産品を置かざるを得なかったけれども、民間で「経営」をするのだとすればある程度絞り込みが必要になる。季節ごとにキャンペーンを張るのではなくて、特徴を際立たせようとした。

そうした取り組みの1つが「美人ブリ」と呼ばれる養殖ブリの展開だ。

詳細はサイトをご覧頂きたいが、ブリの賞味を良くするために、山口県を代表する清酒である「東洋美人」の酒粕を餌に混ぜて食べさせて育てるものである。道の駅にあるレストランはその刺身やカツ、バーガーが売られ、平日昼にもかかわらず多くのお客様が来店されていた。

ブランド鰤「美人鰤」の刺身とカツを。
鰤の血合い。美味かった!

また、味噌汁や鰹を使ったふりかけ、漬物も地元で作られたものを頂くことができるようになっている。しかも、お代わりがいくらでもできる。ついつい食べ過ぎてしまった(涙)

食後は少し時間ができたので、早川さんの会社Buri Laboratoryが指定管理を受ける予定のキャンプ場を視察することにした。

ここを担うのは、早川さんの大学の後輩である剣持麟太郎さんとその友人である斉藤慶太さんのお2人。ともに山形県出身ではあるけれども、早川さんの事業を見て移住してきたそうだ。先のミーティングでもキャンプ場の運営についてコメントを求められたものの、十分に経営資源を持つわけでもないし、佐伯市中心部からも離れているので県内最大の人口を持つ大分都市圏からもさらに遠くなる。そうしたなかで、施設をいかに運営していくか。そう話を聞いていると実際に見てみようということで、キャンプ場に向かうことにした。

道の駅から10分ほど走った山の頂上にそのキャンプ場はある。

高平公園から望む蒲江の港

とにかく絶景。しかし、この施設もバブル期に地方公共団体が整備した施設で、近年は老朽化も進み、なかなか厳しい状況だったようだ。が、目に見える景色はとても美しい。

迫り出した舞台でみな日向ぼっこ

テントを張れるデッキもある。普段は風が結構強く、パラグライダー愛好家が飛び立ったりするような場所だそうだが、この日は風も穏やかで日差しもちょうど良い。暖かく、寝転がって日向ぼっこを始めた。

そうしながらも出てくるアイデアを揉んでみる。できること、できそうなこと、難しいことをダラダラと。さあ、何をしようか。

そうこうしているうちに1時間が経過。次の予定があるので、再び佐伯市内に戻ることにした。

地元の人々が集うカフェ:COFFEE 5を訪ねる

車で再び30分。佐伯市内中心部に入る集落にそのお店はある。住宅街の中にあるコーヒー店「COFFEE 5」だ。

coffee5でミーティング

天気の良い昼下がりに待ち合わせ。店に面した駐車場は満車。6-7台の車が止まっている。店内には30代から40代くらいと思しきお客様で満席。こだわったコーヒーをそれぞれが楽しんでいる。

学生だけでインタビュー

ここでお会いしたのは、合同会社まるまるを営む大谷慎之介さん。下のWebを見てワクワク。Tシャツなり、パーカーが欲しかったのだけれども、もう在庫はないのだそう。特徴的な顔のロゴはお子さんが描かれたものだそうで、とても可愛らしい。

同行していた平井さんがやたら「魔界、魔界」というのでなんでだろうと思っていたら、大谷さんがこんな感じで記事になってた(やっと合点が入った)。

めっちゃロックンローラーじゃん(笑)。福祉をビジネスにしながら、音楽活動を続ける。

今回は先の写真にあるように、学生だけでインタビューをする時間を設けたので、挨拶程度で直接お話を伺うことはできなかったのが残念。

あ、コーヒーも美味しく頂きました。

牡蠣養殖でスタートアップ|大入島オイスターを堪能する

いよいよ佐伯の旅も最後の訪問地となった。佐伯中心部の港からわずか5分。大入島に渡ることに。

大入島へのフェリー乗り場

大入島は佐伯の湾内にある島で、2010年時点で人口800人ほどだったので、今は500-600人程度なのだろうか。船は頻繁に行き来しており、自動車を搭載できる船舶が航行している。午後4時のフェリーに乗ったが、車は5-6台、人も乗船していて生活に密着した路線であることがわかる。

ここで出会ったのは、合同会社新栄丸を経営され、大入島オイスターのブランドで牡蠣を生産、販売されている宮本信一さんだ。

ここの記事にもあるように、宮本さんは結婚を機に故郷である大入島に戻り、養殖業や素潜りで貝や海藻を採る仕事をされていたのだそう。2006年に独立したものの、利益率が悪く、生活を維持するのに汲々としていては担い手が育たないということで一念発起。牡蠣の製造にはたくさんのゴミ(言わば廃棄物)が出るのだが、海の環境を保全するためにニュージーランドから技術を導入し、環境に優しく、人の手を多くかけないで済む生産システムを構築。「フリップファームシステム」で「シングルシード養殖」と言われる養殖方法を用いているそうだ。

島で牡蠣養殖を始めるまでのストーリーはこちらから。

生産方法についての詳細はこちらのnoteから。

これにより、効率化と環境保全を両立させるような牡蠣の生産が可能になった。会社設立から10年が経過していた。

対岸の岸壁手前に見えるのが牡蠣養殖の現場

従業員を数名雇用し、早い時には午前中で作業が終わることも。カゴのようなもの中に牡蠣を入れて、海水で育てながら、1日2回そのカゴを機械を使って回す。何をしているかと言えば、牡蠣にはさまざまなゴミや不純物がくっついてしまうので、綺麗なままにしておくための手順だそうだ。育てばカゴから出して選別して再び海の中へ。それを何度も繰り返して、ようやく出荷になる。

出荷場には猫が。
牡蠣の大きさ選別。

出荷直近の牡蠣は近くの選別場に運ばれる。ここでも衛生状態を良くし、安全な状態で食べられるようにするために処理をした海水に浸けておく。福岡では糸島の牡蠣小屋が有名だが、それに比べて小ぶりではあるけれども、粒がそれぞれ揃っている印象。

小粒でも身がしっかり詰まった大入島オイスター。
生でも全然食べられます。美味かった!

宮本さん曰く、佐伯の海はプランクトンが育ちやすいリアス海岸で、特に栄養が豊富。ただ、天然の牡蠣は美味しくない。養殖で美味しい牡蠣に育てていくことで付加価値も生まれるし、この海の恵みを活用できるという。

ひとしきり説明が終わったところで、宮本さんが貝を開けるナイフを取り出し、学生に見せる。渡す。「食べていいよ」と。そこからは試食会に(笑)

新鮮な状態なので、まずは取り出してそのまま生で。海水を含んだ牡蠣の身はプリプリ。貝の内側にびっしりと身が詰まっている。

パクリ。

牡蠣の旨味が口の中に広がる。最初は海水の塩気が気になるけれども。噛むうちに甘みが出てくる。当たり前のことながらうまい。

牡蠣を蒸して頂きました。うまかった!

さらに、蒸した牡蠣も頂くことに。これはこれで全然違う。が、旨味が凝縮された素材の良さが引き立つ。試食した誰もが「ワイン飲みたい」「お酒が欲しい」と言い出す始末…。

背が高く、穏やかな語り口で話す宮本さん。学生たちがキャッキャ言っているのを見てとても嬉しそうな顔をされていました。「起業家」というとガツガツしているイメージがあるけれども、宮本さんには泰然自若という言葉が合う印象。本当に島が好きでたまらない。ここでできることは何か、今何がなされるべきかを考え抜いて、実行されている。芯の強さ。大入島のアントレプレナーだ。

最後の最後でまた衝撃的な出会いを頂くことができた。

最後はラーメンで〆

18時のフェリーに乗船。再び佐伯市内へ戻った。そして、残念ながらツアーは終了。お別れの時間となった。

ただ、これを食べずに帰るわけにはいかない。福岡までは列車で3時間半。20時の列車に乗って福岡に着くのは23時半だ。となれば、夕食を佐伯で食べねばと佐伯ラーメンを頂く。

佐伯ラーメン頂きました。

今回チョイスしたのは、前日出会ったカメラマン内田さんの動画で紹介されていた「聖(ひじり)」。店内に入るや、豚骨を煮出す香りがする。佐伯ラーメンは豚骨醤油が特徴で「とんこつラーメン」に馴染んだ福岡の人からすると、全く異なるそれに見えるらしい。ニンニクがバンバンふりかけられていて、食べるとパワー全開になりそうな感じ。おじさん3人で店内に入り、ペロリと食べてミッション終了。

最後に同行者が一言。

「先生、この街は最低2泊3日です」(意訳)

ほんとそうよね。機会があれば1週間くらいゆっくりして、仕事しながら景色を楽しみ、食を満喫したい。アテンド頂いた2人のおかげもあって、最高の旅になりました。本当にありがとうございます。きっと学生も喜んでいるに違いないです。

バイバイまた来るね。

21時前の特急に乗車。帰りの列車では余韻に浸りながら小倉で乗り換え。博多には23:25着でした。無事に帰宅。

旅のまとめ

というわけで、ここまでですでに5,500文字のnoteになってしまいましたが、最後のまとめに入ります。

今回の旅の主目的は、2022年度の創業体験プログラムで新2年生が活動する舞台としてご縁のある佐伯を選び、どんな産品があるかを知るためだった。いくつかリクエストをして、浅利善然さんと平井佐季さんにコーディネートをお願いした結果、とても素晴らしい視察ができました。改めてお2人に感謝申し上げます。

佐伯は福岡から列車で3時間半。大分空港からも車で1時間半かかるような場所で、前回記事でも書いたように典型的な陸の孤島。物理的に海で隔てられているのであれば納得できるけれども、地続きなのにアクセスが良くない。

が、だからこそ豊かな自然があり、海の恵みが人々の生活を豊かにしている

アクセスの悪さ、(都会的な)物質には確かに恵まれていないかもしれないけれども、それが逆に街としての価値を高めるのではないか。今回、実際に佐伯に足を運ぶことで当初感じていたことを実感することができた。もちろん人口減少、少子高齢化という問題はある。それがネガティブになる要因であるのもわかる。実際に担い手が減ることへの危機感は大きい。

しかし、日本の多くが巻き込まれてしまっている資本の論理に巻き込まれることなく、さながら小さな独立国のような生活圏を構築できるというのも、ある種の豊かさではないか。この街に暮らすイノベーター、アントレプレナーは面白い。恐らく都会的な「起業家」とは全く異なるアプローチを実践している。

モノからコトへとはすでに使い古された言葉。そこにテクノロジーが入ってくることで、世界中にこの街を知ってもらうことはできる。が、大量に情報を発信するだけでは埋没してしまう。一方で、SNSなどを通じて人々に注目してもらうことは街のあり方を考える上で良いことなのだろうか。

今回の旅で出会った個人が連携をしながら街の未来を考えつつ、形にすることができるのも、城下町となって400年続く財産があるからだ。その財産をいかに次代に引き継ぐか。QOL(Quality of Life)を高めるには金銭的な豊かさも必要だけれども、それ以上にこの環境が日々の生活にあることが私には羨ましく思う。

そうした試行錯誤が佐伯では見てとれたような気がする。足るを知る生き方というか。いくつかの城下町で感じるような閉塞感やプライドを押し付けるようなこともなく、とても自然に接して頂ける。まさに「おかえりなさいき」という言葉が心から発しられているんだなと感じることができた。そして、その余裕がイノベーションを生み出せる可能性のある人々を育て、実践することができる場所になっている

スタートアップのように急いで大きくなろうとしないけれども、イノベーティブな取り組みがじわじわと浸透していく感じ。それは第1次産業という「生活と密着した産業」が主力だからこそできることでもある。こうしたスタートアップのあり方はとても先進的であるように感じました。きっと九州の地方都市におけるイノベーションのロールモデルになれる。

最後に、この記事を書き上げる前に近所のコンビニで昼食を買い求めた。つい3日前まではごくありふれた普通の景色だったのだけれども、2日間滞在した佐伯の食に触れた後になると、とても貧しさを感じてしまった。

同質的で、いつも同じようなものを食べていて、それはどこで誰が作ったものかもわからない。

都会は刺激が多いけれども、生活の基盤となる食事は本当にこれで良いのだろうかと思うほど。もう少しオルタナティブに生きていく方法はないのだろうか(ゼミはハイブリッド、講義をオンラインにして欲しい)。

そんな課題を持ちつつ、また次の仕事に向かうのでした。夢のような時間だったなぁ。

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