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忘れられない人②

当時のことは記憶の奥の奥の方にしまい込んだ。
付き合っていた彼女が自殺したことは、つい最近まで誰にも話したことがない。こころから信頼できる人が最近できたからかもしれない。

何から書き始めれば良いのかわからないが、その当時の自分のことから書こうと思う。

その頃の僕は大学3回生だった。正確には、留年定して5年通うった大学の3年目20歳だった。

留年した理由は、音楽に夢中になっていたから。

1回生の時に知り合った違う大学に通う友達とジャズとダンスミュージックをミックスしたacid jazzを演奏するバンドを組んで活動していた。

中学と高校はバレー部とバスケ部だったので、月に1度くらいしか通ってなかったけど、小さい頃からピアノをやってた。ピアノを弾くのは好きだったけど、演奏発表会とか合唱の伴奏など人前で演奏するのは子供の頃から苦手だった。

このバンドで初めて人前で演奏する楽しさを初めて知った。

ライブハウスのオーディションを受けて出演したり、近所のショッピングモールのようなところに呼ばれて演奏したりしていた。でも、演奏している時の思い出は、鍵盤と女子高生のルーズソックスとローファーを見ていたということしか思い浮かばない。たぶん緊張して下ばかり見ていたのだろう。

結局、僕は途中でバンドを辞めてメンバーとは音信不通になったが、サックスを担当してた女の子はプロのミュージシャンになったようだ。一度、音楽番組に有名な歌手の後ろで演奏しているのをみかけたが、今となっては本人かどうかは判らない。

バンド活動で留年したというのは表向きの理由で、実際は昼頃に学校に行って学食で昼飯食べて、同級生とパチンコか麻雀に行く自堕落な生活のせいだったと思う。

留年が確定した3年の前期が終わった段階でとにかくお金が無かった。

親から仕送りを止められ、奨学金も停止された。

それまでは仕送りと奨学金とバイト代でそこらのサラリーマンより財布が潤っていたが、コンビニの深夜のバイトと家庭教師だけだと一気に極貧状態になる。

とにかく生活費を稼がないといけない。

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