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[アーティスト田中拓馬インタビュー9] フェルメールからも持ってくる!?

このページは、画家・アーティストの田中拓馬のインタビューの9回目です。今回は、田中拓馬の制作の発想を聞いてみました。過去の名画をもとにした彼の制作術の秘密が明らかに!?
これまでの記事は、記事一覧からご覧ください。

今回の内容
1.フェルメールを素材にしてみた!
2.贋作でも模写でもパロディでもない!?
3.要素を持ってくる!?
4.自分の特徴を入れていく!?
5.独自の世界に引きずる!

 ー 今日は、君の作品がどのような発想で作られているのか聞きたいんだけど。
拓馬 じゃあ、最近描いた「牛乳風呂」について話してみる?

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田中拓馬制作「Milk bath」2020年

 ー 作品の正式タイトルが「Milk bath」で、「牛乳風呂」って呼んでいるわけね。君の絵の中では、写実性を重視した作品に見えるね。
拓馬 うん。やっぱりね、写実的なものを好む層は一定数いるからね。たまにはそういうのを出そうという意図があって、静物とか人物を組み合わせたものを描いてみたんだよね。
 ー わりとしっかりした写実をやろうという作品だね。それで、“ネコウサギ”(「Milk bath」では牛乳の中にいる黄色いキャラクター。田中拓馬の近年の作品に多く登場する。)のところが君らしいというか、写実的な作品と異なる要素があるという感じかな。
拓馬 そうだね。

拓馬 それで、写実をやろうという時に、今回はフェルメールを素材にして改造してみたんだよね
 ー ああ、フェルメールなんだ。

※ ヨハネス・フェルメール:17世紀オランダの画家。バロック絵画を代表する画家の1人。近年は日本でも大人気。

拓馬 うん、フェルメールの作品でいうと、前にもパロディを作っているんだけどね。この作品。

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田中拓馬制作「Vermeer的 gold woman」2020年

拓馬 これは2011年に作ったんだけど、この作品だと、「牛乳を注ぐ女」というフェルメールの作品のパロディになっているんだよね。
 ー 「牛乳を注ぐ女」は有名な作品だね。

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Image from Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Johannes_Vermeer_-_Het_melkmeisje_-_Google_Art_Project.jpg
ヨハネス・フェルメール「牛乳を注ぐ女」アムステルダム国立美術館

拓馬 うん。もとのフェルメールの作品だと、牛乳を注いでいる下働きの女性の絵だよね。僕の作品だと、牛乳のところをお金に変えているんだよね。
 ー なるほどね。この作品なら、はっきりと元はフェルメールの作品だというのがわかるよね。

 ー だけど、2011年制作のパロディの方なら、みんなすぐにフェルメールのパロディだってわかるだろうけど、「牛乳風呂」の方だと、フェルメールの作品をもとにしているということは、分からない人もいるよね。
拓馬 うん、「牛乳風呂」がどうしてフェルメールかっていうと、つまりね、フェルメールの絵にはいくつか特徴があるんだね。例えば、画面の左側の方に窓ガラスがある作品が多いんだよね。あと、奥に壁があって物が飾られていたりする。これは、僕の「牛乳風呂」もそうだよね。
 ー なるほど。
拓馬 ただ、まったく同じように描くとただの贋作じゃないですか。どのようにアイデアを取ってくるかなんだよね。フェルメールの絵を何点か観ていくとね、構図に共通性があるんですよ。で、その構図の中で使われているパーツのパターンとか、要素とか、それを何個か集合させて描いていったのが「牛乳風呂」ですね。
 ー えーと、具体的に言うと?
拓馬 牛乳を注ぐっていう発想を持ってきているんだけど、フェルメールの絵の方だと、画面の右から左に注いでいるじゃないですか。僕の絵だと逆に左から右に注いでいるよね。ここでちょっとずらしているんだよね。
 ー なるほどね。フェルメールをそのまま持ってくるということではなく、ちょっとずらしながら持ってくるわけだね。その辺りがアイデアのたねみたいになるのかな。

 ー じゃあ、具体的にどのように描いていったかを聞きたいんだけど、この作品は構図から描いていったのかな?
拓馬 そうだね。これは構図を取っている。木炭で下書きだね。
 ー 構図で言うと、あの作品の場合、女性をどこに配置するかというでまるっきり違う絵になる気がするけど。
拓馬 そうだね。
 ー 画面の左側の女性が、存在感があるよね。色も強いし。そして、右側が大胆に空白になっている。その対比が面白いよね。
拓馬 うん、最初は地図のところにも何も描いていなかったんだ。でもそこは埋めなきゃっていうことで、地図は後から入れたんだよね。
 ー なるほど。ある程度は空白を埋めているんだ。ただ、評論的に観ると、空白のところは意図的と考えるよね。
拓馬 そうだね。
 ー その対比は面白い。地図は後から入れたんだね。窓は最初からだよね。
拓馬 最初からだね。
 ー 僕にはテーブルの上のものとかも付け足しのものに見える。作品の中心は女性と窓、それから右側の空白という気がするね。……地図についてはどういう意図なの? 日本的ではない部屋の感じにあえて日本地図を入れているよね。
拓馬 あれは、フェルメールにオランダの地図が描いてある絵があるんだよね。それでそういうのにしたんだけどね。
 ー やっぱりあそこに日本地図があるというには、異化作用というか、違和感を与える要因になるよね。明らかに日本を舞台にした作品ではないわけだからね。
拓馬 それは僕が描いたわけだからね。
 ー うん、その部分だよね。
拓馬 結局、だから、そういうのも含めて、自分の特徴を入れていくために、オランダの地図の代わりに日本地図を入れたりとかしているわけだよね。
 ー つまり、元になるフェルメールが複数あって、その要素を自分流にずらしながら組み合わせていくわけだね。多分、フェルメールのどの要素を持ってくるかということとどのようにずらすかというところで、君の独自性が現れるのかな。それから、この作品には、フェルメールの要素だけではなく拓馬くんのオリジナルの要素も入っているよね。牛乳の中の“ネコウサギ”のところとかね。
拓馬 そうだね。ネコウサギが入っているよね。
 ー ネコウサギを入れることとかは、着想の最初の段階からあったのかな?
拓馬 考えていたね。こういう整った構図をもった作品の場合、最初から意図的に配置とかを考えておかないとうまくいかないんだよね。

 ー フェルメールらしさみたいなものは分かってもらいたいものなの?
拓馬 そこらへんが問題で、フェルメールに近づきすぎると、作品として弱いと思ったんだよね。
 ー そうなんだ。
拓馬 要するに、お客さんから見た時に、この作家から持ってきたんだなって簡単に分かるようなものじゃなくて、自分独自のものを入れて分からくしちゃうという感じだね。
 ー フェルメールから持ってきたということを表に出すわけでもなく、隠すつもりでもなくて、分かる人には分かるというところかな。
拓馬 そうそう。分からない人には別に分からなくてもいいよね。
 ー それでも作品として成立しているということだね。
拓馬 つまり、独自の世界に引きずる感じだね。
 ー 独自の世界ね。君の普段の作品だと、もっと“独自の世界”を前面に出しているように思うけど。
拓馬 ただその場合には、自分の問題意識について理解してもらうのが難しいよね。アートとか芸術性ってやっぱり理解するのが難しいんだと思う。だから、写実的な絵で相手にすり寄って、それからこっちの世界にすり寄ってもらうというかね。
 ー つまり、理解してもらうための入口として写実性を使っている感じかな。
拓馬 そういうことだね。

 ー ちなみに、自分の武器を増やそうというような意識はあるの?
拓馬 それもある。色んなパターンを描けるに越したことはないんですよ。その方が説得力を増すからね。
 ー うん。
拓馬 だから、色んな絵を描けた方が良いんだけど、普通はどうしても訓練しないで力が落ちてきたりとかになっちゃうんだよね。
 ー なるほど。自分の訓練も込みで描いた作品ということだね。
拓馬 そうだね。

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今日はここまでです。[アーティスト田中拓馬インタビュー8]を最後まで読んでいただきありがとうございました。次回は別の作品を例に、古典を利用する意図を深掘りします。意外なあの作家からもヒントをもらっているとのこと!? ぜひ次回もお楽しみに!

これまでのインタビュー記事はこちらからご覧ください。

田中拓馬略歴
1977年生まれ。埼玉県立浦和高校、早稲田大学卒。四谷アート・ステュディウムで岡﨑乾二郎氏のもとアートを学ぶ。ニューヨーク、上海、台湾、シンガポール、東京のギャラリーで作品が扱われ、世界各都市の展示会、オークションに参加。2018年イギリス国立アルスター博物館に作品が収蔵される。今までに売った絵の枚数は1000点以上。
田中拓馬公式サイトはこちら<http://tanakatakuma.com/>
聞き手:内田淳
1977年生まれ。男性。埼玉県立浦和高校中退。慶應義塾大学大学院修了(修士)。工房ムジカ所属。現代詩、短歌、俳句を中心とした総合文芸誌<大衆文芸ムジカ>の編集に携わる。学生時代は認知科学、人工知能の研究を行う。その後、仕事の傍らにさまざまな市民活動、社会運動に関わることで、社会システムと思想との関係の重要性を認識し、その観点からアートを社会や人々の暮らしの中ににどのように位置づけるべきか、その再定義を試みている。田中拓馬とは高校時代からの友人であり、初期から作品を見続けている。

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