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[アーティスト田中拓馬インタビュー7] デュシャンの「泉」の価値はどこにある!?(前編)

このページは、画家・アーティストの田中拓馬のインタビューの7回目です。今回は、有名なデュシャンの「泉」について田中拓馬に語ってもらいました。
(これまでの記事は、記事一覧からご覧ください。)

今回の内容
1.「泉」はバンクシーにもつながる!?
2.「泉」は一次産品!?
3.色とか形とかはどうなの?

 ー 今日は何か古典の作品について話しあってみようと思うんだけど、デュシャン(※1)の「泉」なんてどうだろう?
拓馬 いいんじゃないの。
 ー まあ、デュシャンは語られすぎてるから、どうなるかという感じだけどね。まずは「泉」の写真を見てみようか。
(※1) マルセル・デュシャン:フランス出身のアーティスト。現代美術の先駆けとも見なされる作品を手がけた。

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Image from Wikimedia Commons
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Duchamp_Fountaine.jpg
マルセル・デュシャン「泉」(1917年)

拓馬 ……こうやってじっくり見るのは初めてかもしれない。
 ー 確かにね。この作品は、いろいろ知識がある分、あんまりじっくり見ることはないかもしれないね。
拓馬 ……そうか、これってバンクシーにもつながっているんだね。
 ー というと?
拓馬 これって公衆便所の便器でしょう。つまり、公的なものじゃない。それを切断してきて作品として展示している。つまり器物損壊になるかはわからないけど、そういう意味合いを持たせているわけだよね。
 ー ああ、なるほど。面白い観点だね。公共的なものの一部を加工しているという意味で、バンクシーと共通する物があるということだね。
拓馬 家庭のトイレとは意味が違うじゃないですか。そういうところに狙いがあったのかもしれないよね。
 ー なるほどね。そうすると、デュシャンはなぜ公共のものを持ってきたんだろう。
拓馬 だってデュシャンは問題を起こしたかったんだから、公共のものの方が良いじゃん。
 ー スキャンダラスにするために、公共のものを持ってきたっていうことだね。
拓馬 そう。みんながふざけんなって思うようなものの方が良いでしょ。
 ー 確かに、この作品は自分の作品であることを隠したうえで無審査の展覧会に出品している。で、実行委員から拒否されていて、デュシャンも実行委員なんだけど、自分は議論には加わっていない。黙って見ていたのかね(笑)
拓馬 完全に仕掛けているじゃない(笑)
 ー そうだね。それで、拒否された後に自分の関係している雑誌で実行委員の判断を批判している。
拓馬 まあそういうのは美術の世界では時々あるんだけどね。自分のことを匿名でほめたりとかね。

 ー そうすると、アートとしての価値は、公共性を持ってきている面白さだろうか。
拓馬 岡﨑乾二郎さんは、この作品のアート性について、一次産品を持ってきたということを言っていた。(岡﨑乾二郎は造形作家・美術批評家。田中拓馬は四谷アート・ステュディウムにて岡崎の講座に参加。)
 ー 一次産品?
拓馬 つまりね、モデルを見て絵を描くと、これは二次的なものだよね。さらにそれを展示すると三次になる。それが普通の作品の作り方だったんだけど、デュシャンは、一次のものを、二次を省いてそのまま三次の展覧会に持ってきた。
 ー 当時としては、それが問題提起になっていたということだね。

 ー 形の面白さとかはどうかな?
拓馬 形ねぇ。
 ー この作品は、当然、コンセプチュアルアートとしての意味が重要だと思うんだけど、そういう意味性を取り除いた上での抽象的な形とか色とかの面白さがあるかどうかは、ちゃんと考えておかなければいけない気がするんだよね。例えば、上部のカーブの感じとかが良いとか、そういう意図はないんだろうか?
拓馬 うーん。いや、そういう要素はないと思う。
 ー そうかな。
拓馬 うん、この便器はね、作品の後ろ側に排水口がついているからこの向きでしか立たないでしょ。だからこの向きに立てているだけで、この向きの形が面白いとかそういう意図ではないと思う。
 ー そう。
拓馬 うん、これは便器というのが挑発的なんですよ。
 ー それはその通りだと思う。だけどさ、そういう概念的な解釈だけで説明できてしまうと、アートとしてのレベルが低い気がしちゃうんだよね。つまり、例えば粘土でもって面白い形を作ったと、それをアート作品にしました、という作品の作り方もあるよね。そういうのと同じような形の面白さの要素が一切ないものとしてこの作品を観るか、それとも、そういう要素もありつつも、それがただの便器に過ぎないという“ずれ”に面白さを見るか、それは両方の可能性があると思うんだよね。
拓馬 デュシャンは形が面白いと思ったのかねえ。
 ー 君はそうは思わないわけだね。
拓馬 僕は思わないねえ。まあ、ものをひっくり返したり横にしたりすると違って見えるよね。そういう面白さはあるかもしれない。でも、そこだけじゃないかな。
 ー そこだけか。

拓馬 この作品の場合、形の面白さは無い方がいいんだよ。あったら、既存の芸術性に近くなっちゃうわけだから、挑発性は失われてしまうでしょう。
 ー なるほど。
拓馬 この作品だと、一次産品というどうしようもないものを持ってきて、作品だって言ったのが評価されているわけだから。
 ー でもこの作品は便器を横向きに置いているよね。使われているときと同じ置き方でもいいところを横向きに置いたというところでは、手は加わっているよね。手が加わっているという意味では、一次産品ではない要素がそこにあるでしょ。
拓馬 うん、まあね。
 ー もちろん、挑発が目的というのはその通りだと思うんだけど、その挑発性が現代まで響くとすれば、形も面白いというところもないと、ただ単に解説だけ読めばいいもので、物を見る必要はないよねっていう感じがしちゃうね。
拓馬 うーん、どうだろうね。
 ー この話はもうちょっと聞きたいね。次回にも続けようか。
(後編に続く)

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今日はここまでです。[アーティスト田中拓馬インタビュー7]を最後まで読んでいただきありがとうございました。後編でもデュシャンの「泉」をめぐる話で盛り上がります。ぜひ次回もお楽しみに!

これまでのインタビュー記事はこちらからご覧ください。

田中拓馬略歴
1977年生まれ。埼玉県立浦和高校、早稲田大学卒。四谷アート・ステュディウムで岡﨑乾二郎氏のもとアートを学ぶ。ニューヨーク、上海、台湾、シンガポール、東京のギャラリーで作品が扱われ、世界各都市の展示会、オークションに参加。2018年イギリス国立アルスター博物館に作品が収蔵される。今までに売った絵の枚数は1000点以上。
田中拓馬公式サイトはこちら<http://tanakatakuma.com/>
聞き手:内田淳
1977年生まれ。男性。埼玉県立浦和高校中退。慶應義塾大学大学院修了(修士)。工房ムジカ所属。現代詩、短歌、俳句を中心とした総合文芸誌<大衆文芸ムジカ>の編集に携わる。学生時代は認知科学、人工知能の研究を行う。その後、仕事の傍らにさまざまな市民活動、社会運動に関わることで、社会システムと思想との関係の重要性を認識し、その観点からアートを社会や人々の暮らしの中ににどのように位置づけるべきか、その再定義を試みている。田中拓馬とは高校時代からの友人であり、初期から作品を見続けている。

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今回の見出し画像:「ラウシェンバーグに捧ぐ」(作品の一部のみ)
田中拓馬スタジオに鎮座してるオブジェです。実物が見たい人は田中拓馬スタジオへどうぞ!

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