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[アーティスト田中拓馬インタビュー4] 絵画は問題提起だ!

このページは、画家・アーティストの田中拓馬のインタビューの4回目です。今回は、田中拓馬が絵画観を語ってくれました。なお、前回の記事からの続きになります。興味がある人はこちらからどうぞ
(これまでの記事は、記事一覧からご覧ください。)

今回の内容
1.見えない世界も存在する!?
2.絵画は問題提起だ!
3.絵画の価値は問題提起の強さ!
4.アートに共通認識はない!?

 ー 君の作品には、普通、現実には存在しないと考えられているものが多く出てくるよね。例えば頭から木が生えているとか。でも、前回のインタビューでは、それは必ずしも非現実ではないということだね。今回はその続きを聞いてみたいんだけど。
拓馬 うん、例えばね、ムンクの作品の中には、魂じゃないかというものが描かれていることがある。それはね、見えるか見えないかで言ったら、目に見えないものなんだよ。可視光線で見えない世界というかね。
 ー なるほど。目に見えない世界があると。

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エドヴァルド・ムンク《思春期》(1894-1895年)オスロ美術館

拓馬 うん。でもね、普通は可視光線で見えるものしか考えないじゃないですか。だから、見たことが無いものは存在しないと感じるんだよね。でも、人によって、なにが現実かっていう基準も違うでしょ。例えば、頭から木が生えるとかも、一般の世界では現実と違うと思うかもしれないけど、遺伝子操作みたいなことを考えたら起こりえるわけですよ。で、僕はそういう風に、現実のレンジを広く捉えちゃってるんだと思うんだよね。
 ー なるほどね。普通は現実というものがカッチリしたものとしてあるように感じるけど、君は普通には感じられないような現実を感じているのかもしれないね。でも、君がそういう風に現実を捉えているとしても、それを作品にする理由はなんなんだろう。
拓馬 それはね、実際に感じるわけだからね。単純にそれを表現すれば作品ができるっていうのがあるよね。
 ー つまり、普通の人が捉えている現実より広いものをリアルに感じるから、それを描けば作品になるということだね。
拓馬 それから、なるべく広いレンジで捉えた方が、もっと人生を良く感じられるんじゃないかという信念はあるけどね。ただ、捉えているレンジが広すぎると、多分、病気になっちゃったり、疲れて死んじゃうかもしれないけどね。

 ー じゃあ、作品を観た人のレンジも拡がって欲しいという思いはある?
拓馬 そうだね。絵画は問題提起だからね。
 ー そうか、君は絵画を問題提起だと考えているんだ。それは、自分の作品だけじゃなくて、他の作品についてもそう思っているの?
拓馬 うん、僕はそう思う。例えば、スーパーリアリズムの作品なら、ただ精密な絵だというだけなら、見た人も作品の前で足を止めないかもしれないよね。おっ、と思わせないといけない。それが無いなら、問題提起として弱い。つまり、作品の価値が低いわけだよね。
 ー なるほど。
拓馬 作品の価値が高いっていうのは、見た人に、「ふざけんな」とか、「なんだこんなの」とか「すごい」とか、いろんな感情を起こさせることだよね。それが問題提起ということであって、それが無い作品はだめだね。

 ー でも、絵画が問題提起というのは、現代アートの発想じゃないかな?
拓馬 そうかな?
 ー 古典的な絵画だとどうなんだろう。例えば、前のインタビューで扱ったレンブラントの作品とかは問題提起になっているのかな?
拓馬 レンブラントでいえば、例えば「夜警」なら、集団を描くときに、全ての人の大きさをそろえて楕円形に配置するっていうそれまでのやり方と違うことをやったわけだよね。
 ー なるほど。従来の描き方に対する問題提起になっているというわけだね。
拓馬 だからレンブラントはあれだけ力を込めて「夜警」を描いたんだよ。そして、それをやったからレンブラントは偉いんだよ。
 ー ただ、単に良いもの、美しいものを目指すんじゃなくて、問題提起するっていう発想は、やっぱり現代アート的な気がするな。
拓馬 それはそうかもね。でもレンブラントも、その発想からみて評価できるから、今でも評価されるんだよ。
 ー なるほど。そうかもしれない。

 ー しかし君もそういうことを考えていたんだな(笑)
拓馬 どういうことだよ、何も考えずに描いているって思っていたのかよ(笑)
 ー (笑) そういうわけじゃないけどね。話を戻すと、問題提起じゃない作品についてはどう思うの? 全く認めない?
拓馬 いや認めなくはないけど、価値が弱いんじゃないかな。問題提起が強いものほど残るんじゃないかと思うよ。問題提起っていうのは、人々にあっと言わせるっていうことだからね。それが強いものほど残っていくんじゃないかなと思う。

 ー でも、その問題提起っていうのはこれからもあり続けるのかな? 現代アートってあらゆる実験をやり尽くしているように見えるけど、これからも新しい問題提起は可能でありつづけるんだろうか?
拓馬 新しい問題提起がないっていうのは、人類が弱く薄っぺらくなってきたらそうなるかもしれないけどね。でも、例えばAIを組み合わせるとか、新しいものと新しいものを組み合わせたら無限にできるんだよね。
 ー 人類が存在するかぎり、新しい問題提起は永遠にできつづける?
拓馬 できると思うよ。今までの視点にとらわれちゃうと出てこないんで、視点を拡げる必要があるのかもしれない。それから、基礎を勉強するべきだよね。

 ー ところで、ちょっと話は変わるんだけど、こないだツイッターかなんかで、「現代アートなんて嫌いだ。文脈のことばかり聞かれて誰も作品を観ない」みたいな意見を見かけたんだけど、君はどう思う?
拓馬 そうだなあ。絵画は視覚芸術だけど、視覚芸術は、実は国とか文化によって全然違うんだよね。というのは、人間の脳って文化なんかに影響されているからね。だから、文化が違うと、同じようなものでも違ったように見えるんだよね。
 ー うん。
拓馬 つまり、アートというのは、一般的には共通認識があるように思われているけど、僕は共通認識が成立することはすごく難しいと思う。
 ー ある作品について、人々は共通の認識を持ちにくいということだね。
拓馬 だから文脈が必要になるんだよね。さっきの意見は、それが嫌だということだと思うんだけど、でも、アートというのはそもそもそういうものだからね。
 ー そもそもそういうものか。文脈とか関係なく、もっとみんなに直感的につたえたいみたいなことはない?
拓馬 そんなもんないよ。
 ー ないか(笑)
拓馬 ないよ。超能力じゃないんだからさ。
 ー まあ、そうだよね。僕もそう思うよ。

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今日はここまでです。[アーティスト田中拓馬インタビュー]を最後まで読んでいただきありがとうございました。次回は、今回のインタビューでも名前が出たムンクについて田中拓馬の考えを聞いてみたいと思います。更新は今週末の予定です。ぜひ次回もお楽しみに!

これまでのインタビュー記事はこちらからご覧ください。

田中拓馬略歴
1977年生まれ。埼玉県立浦和高校、早稲田大学卒。四谷アート・ステュディウムで岡﨑乾二郎氏のもとアートを学ぶ。ニューヨーク、上海、台湾、シンガポール、東京のギャラリーで作品が扱われ、世界各都市の展示会、オークションに参加。2018年イギリス国立アルスター博物館に作品が収蔵される。今までに売った絵の枚数は1000点以上。
田中拓馬公式サイトはこちら<http://tanakatakuma.com/>
聞き手:内田淳
1977年生まれ。男性。埼玉県立浦和高校中退。慶應義塾大学大学院修了(修士)。工房ムジカ所属。現代詩、短歌、俳句を中心とした総合文芸誌<大衆文芸ムジカ>の編集に携わる。学生時代は認知科学、人工知能の研究を行う。その後、仕事の傍らにさまざまな市民活動、社会運動に関わることで、社会システムと思想との関係の重要性を認識し、その観点からアートを社会や人々の暮らしの中ににどのように位置づけるべきか、その再定義を試みている。田中拓馬とは高校時代からの友人であり、初期から作品を見続けている。

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今回の見出し画像:「Sakura boy」(作品の一部のみ)
技法:油彩
サイズ:41×32(cm)
頭に木が生えている作品の1つ。赤い目が魅力的です。作品の全体像は、田中拓馬公式サイトから見ることができます。

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