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N氏は私が紅茶好きと知らない

今年2月のこと。東京の広告会社で働くために、32年間暮らした名古屋を出た。名古屋を出たいとは微塵も思っていなかったけれど、働きたい会社がたまたま東京にあったのだ。

私はコピーライターをしている。名古屋でも広告会社に勤めていて、広告づくりをしていた。地方ということもあり、広告制作の依頼をくれるクライアントとは距離が近く、取引先というよりも仲間のような関係だった。

そんな人たちと離れるのはさみしい。けれど、東京での暮らしが楽しみ。現金な私を、お世話になった人たちはあたたかく見送ってくれた。

そのうちの一人が、N氏だ。

送別会の席で、彼は餞別をくれた。

「開けていいですか?」
「どーぞ、どーぞ」

食パンくらいの大きさの箱。そのなかにはライトブルーのボーダーのマグカップとおなじくブルーのドットのスカーフがかわいくおさまっていた。

「さすがセレクトがおしゃれ」
「なんかバカにしてない?(笑)」

N氏とつくった広告はYahoo!ニュースに取り上げられるくらい話題になり、私の出世作となった。この広告がなかったら、もしかしたら私は東京に出ていなかったかもしれない。

私はN氏が好きだった。といっても、人としての好き、だけれど。

「うれしいです。大切にします」

N氏には、奥さんと3人の子どもがいる。

ライトブルーのマグカップとスカーフをトランクにつめて、私は名古屋を出た。

◆◇◆

はじめての東京。あたらしい場所。あたらしい仕事。あたらしい人たち。すべての物事にNEW!マークをつけたい気分。

都竹(つづく)という珍しい名字に会話のネタを助けてもらいながら(ありがとうご先祖さま)、たくさんの「はじめまして」をした。
ありがたいことに、あたらしい登場人物たちはやさしい人ばかりで。「東京こわい」という思い込みを訂正した。仕事も新鮮で、刺激的で。東京にきて、ほんとうによかった。

N氏からもらったマグカップとスカーフは、四ツ谷にある新居の電子レンジの上にそっと飾った。

このまま順調に時は進んでいくのだろうと思っていた。

◆◇◆

けれど半年が経ち、10月に入ったところで私はおかしくなった。いわゆるホームシックというやつだった。

名古屋の人々を思っては、しくしくと泣いた。というのはウソで、うまく泣くことすらできず、ぼうっとしたり、さみしい思いを抱えて布団にもぐりこんだりした。

弱った自分を受けとめてほしいと甘えられる人が、東京にはまだいなかった。その事実がさみしさに拍車をかけた。

人、人、人。こんなにも人で溢れかえる東京で、私はなんてひとりぼっちなんだろう。なんで東京にいるんだろう。名古屋に帰りたい。名古屋の人たちに会いたい。

風の音が冷たくなっていく。
窓の外は、冬を迎える準備をはじめていた。

さむくなると気持ちは下がる一方で。あたたかいもの… あたたかいもの…。すがるようにレンジの上に目をやると、N氏からもらったマグカップが視界に入った。

「あ、」

その瞬間、いいアイデアを思いついた時のようなブレイクスルーが起こった。私は紅茶が好き。紅茶はあたたかい。

アールグレイ。ダージリン。アッサム。ジンジャーレモンティー。いろんなティーバッグをジップロックに詰め込んで、マイ・ティーセットをつくった。明日、これを会社に持っていこう。

◆◇◆

翌朝。ちょっと早起きして、いちばん乗りして。マグカップとティーセットをいそいそとデスクに出した。

マグにティーバッグを入れ、ウォーターサーバーのお湯をこぽこぽと注ぐ。人けのないオフィスに、紅茶の香りが漂う。マグに鼻を近づけ、その香りをすんと味わう。

ああ、なんて、あったかい。

『「あったかいなぁ、あったかいなぁ」って、兄貴は頭まであったかくなってしまった。』という糸井重里さんのJ.PRESSのキャッチフレーズを思い出しながら、頭あったかくていいや、と思った。

ぽかぽかとあたたかくて。
気をぬくと涙が出そうだった。

こんなことで涙腺が緩むような、単純な人間でよかった。

ところで、N氏は私が紅茶好きと知らない。私もN氏が紅茶派なのかコーヒー派なのか、はたまた別の飲み物が好きなのか知らない。好きな食べ物すら知らない。

ふと、男性としてもちょっと好きだったなぁと、N氏を思った。

彼はこのマグカップになにが注がれると思い、贈ってくれたんだろう。それとも特別なにも考えていなかったのだろうか。彼はいま、なにをしているのだろうか。

元気で暮らしているだろうか。仕事は楽しんでいるだろうか。相変わらずおしゃれだろうか。

パソコンを起動し、こくりともう一口。
窓の外では、冬がはじまろうとしていた。

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