人間失格
何が人間失格だ、あんたはただのナルシストだ。
と、思う時がある。
「恥の多い生涯」として語るその内容、かつて中学生だったわたしが愛読した、その自己憐憫に満ちた形式は、以降わたしの精神的な成長を歓喜することもなかった。
己の恥の部分をちらと見せ、あくまでも他者がこうしただとか、環境はどうだったとか、わざとらしい被害者づらをして、
己がいかに無垢であったかとか、無知だったから起こったとかいう、彼が言う「嘆かわしい災難」も、それは自分が「受け入れざるを得なかった」、被害者なのだと書いている。
長い。そして、痛々しい。
その見苦しさ、浅ましさの表現力は、彼が自ら死んだことと繋がる気がする。
自分が可哀想だと言うには、女を殺しすぎた。
もし彼が自ら死んだ後に、こういう事を書いたとしても、「あの時は、そのほかに、方法はなかったのです。」とか書いただろうと思う。
女々しすぎてグーパンしたい。
しかし、その女々しくも強かに、図々しさを見せながらか弱く人間の描写を書いた「斜陽」は、今も好きなんである。
特にお母さま。スウプを飲むシーン、おにぎりを頂くシーン。貴族という重みを見せずに笑うお母さま。時に作法を気にせず、時に過去をあまりに気負いすぎるお母さま。元気だったころの、彼女の軽やかにステップを踏んでいくところの描写は、さすが太宰と思ってしまう。
まあ、彼の自己憐憫はキショいんだけどな。
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