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『川端康成へ』太宰治 「必死さが伝わる」と、上から目線で

このnoteは、まだ本を読んでいない人に対して、その本の内容をカッコよく語る設定で書いています。なのでこの文章のままあなたも、お友達、後輩、恋人に語れます。 ぜひ文学をダシにしてカッコよく生きてください。

『川端康成へ』太宰治

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【太宰治の作品を語る上でのポイント】

①「太宰」と呼ぶ

②自分のことを書いていると言う

③笑いのセンスを指摘する

の3点です。

①に関して、どの分野でも通の人は名称を省略して呼びます。文学でもしかり。「太宰」と呼び捨てで語ることで、文学青年感1割り増しです。

②に関しては、太宰治を好きな人が声を揃えて言う感想です。「俺は太宰治の生まれ変わりだ」とまで言っても良いです。

③に関しては、芸人で文筆家の又吉直樹さんが語る太宰治の像です。確かに太宰治の短編を読むとユーモアがあって素直に笑えます。


○以下会話

■太宰の芥川賞への熱き思い

 「太宰の芥川賞への思いが伝わる小説か。そうだな、太宰治の『川端康成へ』がオススメかな。『川端康成へ』は、太宰治が芥川賞から落選した不服を、選考委員の川端康成に向けて書いた怒りの手紙なんだ。数百字の文章に、太宰の必死の思いが込められていて面白いんだよ。

内容としては、芥川賞選考時の川端康成の

「作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあった。」

という太宰への評価に対して、「作者ではなく作品そのものを見てくれ」って怒るものなんだよ。「作者目下の生活に厭な雲ありて」は、すなわち太宰の私生活がだらしないって意味なんだ。確かに太宰はこの頃、自殺未遂をして愛人がいて借金を作って薬漬けになるという、誰がどう見ても最悪な状態だったんだよ。先輩作家の川端おじさんは、この若造のだらけた私生活を言及したんだよね。

人は事実を指摘されると怒るというのは典型で、太宰はこの評価を読んで怒っちゃったんだ。そして太宰は『川端康成へ』で、「この小説は何度も何度も修正して、その間に病気もしながら頑張って完成させた作品だ。芥川賞にノミネートされて嬉しかったのに、蓋を開けたら落選ってそんなのひどいじゃないか。僕は悲しいよ。」って訴えるんだ。「落選した人みんなそうだよ」ってツッコミたくなるよね。自分だけが苦労している感、面白い。

そしてしまいには、

事実、私は憤怒に燃えた。幾夜も寝苦しい思いをした。小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか。刺す。そうも思った。大悪党だと思った。

って書いてるんだ。「小鳥を飼い、舞踏を見る」は、川端康成の『禽獣』という小説を揶揄してるんだ。すなわち、「優雅な生活をすれば良い小説が書けるのか?」って怒ってるんだよね。太宰は、「確かに僕の私生活はひどいものかもしれないけど、作品単体で評価してくれよ。芥川賞ってそういうものじゃないの」って言ってるんだ。「幾夜も寝苦しい思いをした」ってめっちゃ繊細で打たれ弱いよね。太宰の言い分も多少理解できるけど、「刺す」って笑っちゃう。「大悪党だと思った」もなんか可愛い。面白いな〜。

■作品単体として落選していた

そして残念なお知らせがあるんだけど、ここまで言っときながら、太宰の小説(『逆行』)は、本人の私生活とは関係なく、作品単体として賞に値しないから落選しただけなんだよ。

『川端康成へ』を読むと、「川端康成の一存で芥川賞が決められて、他の選考委員の推薦を退けて太宰の作品を落選させた」って読み取れちゃうけど、全くそんなことないんだよ。当時の選評の記録を見ると、確かに川端康成は『逆行』に悪い評価をつけてるんだけど、他の選考委員6人、誰一人良い評価をつけてないんだよね。だから普通に票数で負けたんだよ。笑っちゃうよね。被害妄想が激しい。まあそこが太宰の魅力なんだけどね。事実、『川端康成へ』を読んだ川端康成は、律儀に返答してあげてて「君自身ではなく、作品がいまひとつだったんだよ。次回頑張ってね」って書いてるんだよ。

■芥川が大好きだった太宰治

そもそも太宰が川端康成に「刺す」と言うほど芥川賞を欲しがったのは、主に2つの理由があったんだよ。

1つ目は芥川への愛。太宰は小さい頃から芥川が大好きだったんだよ。直接会ったことはないんだけど、小さい頃から芥川の作品をリアルタイムで読んでいて、太宰が高校生の頃に芥川が自殺をした時、相当なショックを受けたくらいなんだ。実際に、太宰の中学生の頃の授業のノートには落書きで、「芥川龍之介」の名前とか、似顔絵とかを書いてたんだよ。津島(太宰の本名)青年にとって芥川はほとんどアイドルに近い存在だったんだろうね。だからその芥川の冠を称した賞が絶対に欲しかったんだよ。

2つ目は賞金。芥川賞の賞金は500円だったんだけど、薬漬けで愛人の貯金も使い果たして借金まみれだった太宰は、この500円がものすごく欲しかったんだよ。ちなみに太宰が第一回芥川賞にノミネートされた1935年当時は、米10キロが約2円で買えた時代なんだ。日銀が出してる企業物価指数から換算すると、今の1円の約1000〜2000倍の価値があったらしいんだ。だから当時の500円は100万円くらいだったのかな。もし太宰が芥川賞を取れてたら500円を借金に当てて、、いや結局薬や酒に使ったんだろうな。

■太宰の素の部分

『川端康成へ』は太宰の思いが込められたプライベートな文章だから、素の部分が見れて面白いんだ。太宰が亡くなって70年以上経った令和の時代でも、なお太宰が人気があるのはこういった素性の残念感があるからなのかな。完璧な人って一見魅力的だけど、少しくらい残念な部分があった方が人間的に愛せるよね。三島由紀夫とか完璧過ぎて近寄りがたいもんね。きっと太宰をもっと好きになれるから是非読んでみて。」


参考
日本銀行、公表資料・広報活動https://www.boj.or.jp/announcements/education/oshiete/history/j12.htm/

芥川賞のすべて・のようなもの、選評の概要、第1回
https://prizesworld.com/akutagawa/senpyo/senpyo1.htm



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