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これから地域おこし協力隊になる人へ(椎葉村地域おこし協力隊任期を満了して)

みなさまの多大なるご指導を賜り、この度2022年3月31日に椎葉村地域おこし協力隊「クリエイティブ司書」としての任期を満了しました。本当にありがとうございます。

私の業績を再度長々と振り返ることはいたしません。ここでは大きく ①椎葉村図書館「ぶん文Bun」の立ち上げ ②積読読書会の主催(これからも) ③クリエイティブ司書賞 と大別し、下記のnote記事を掲載することで割愛したいと思います。

①椎葉村図書館「ぶん文Bun」の立ち上げ

②積読読書会の主催(これからも)

③クリエイティブ司書賞

📚地域おこし協力隊を経て私は変わったか?

この3月の終わりに、つまり地域おこし協力隊任期も終わりに差し掛かる頃、私はベルギーの大学に通う方からインタビューを受けていました。新聞などのインタビューはこれまでに多く受けてきましたし、テレビの生放送出演もこなしてきました。どんな質問やアドリブにも応えてきた私、インタビューは受けるほうもするほうもお手のものなはず・・・。

しかし、一つだけどうしても即答できない質問がありました。

椎葉村地域おこし協力隊の活動を通して、小宮山さん自身にどのような変化がありましたか?

もちろん、変わったか変わっていないかと言われれば、この3年の間に世田谷区から日本三大秘境に移住し、最愛の妻と結婚し、妻の次に愛する子どもにも恵まれ、確定申告のやり方も覚え、200日以上の禁酒も経験し、と、枚挙にいとまがないほどに私は変わりました。

しかしながら、この質問はより本質的なものだと感じたのです。よく3か月語学留学に行った人が“I've totally changed my life!”みたいなことを言うノリで答えてはいけないと思ったのです。ベルギーの大学生の方は、より深淵な意味で「お前は何を得て、何を失ったのだ」と問いかけてくださったように思うのです。

そうなると、私は言いよどんでしまうわけです。果たして椎葉に来て私の「奥底」は変わったのか。さしおり(椎葉語)そのときは「後でお答えします、次にいきましょう」と答えたわけですが・・・結局インタビューの時間中にその質問が反芻されることはありませんでした。

今日私がこうして3月31日の業務を終えた後にnoteの更新を試みているのは、どうしてもこの答えが気になったからなのです。明日は椎葉村役場の辞令交付式で早起きだというのに・・・。

進路をご心配いただいている方のために早めに申し上げておくと、現在椎葉村役場の職員として内定をいただいている状態です。明日4月1日の辞令交付前にとんだ不祥事をやらかさなければ、無事に役場職員となります。

📚私は私にしかできないことを私の力で成し遂げたか?

「私は変わったか」

このことを考えるにあたり、自分が椎葉村地域おこし協力隊「クリエイティブ司書」として成し遂げてきたことを顧みる必要があります。上述したとおりそれは図書館の立ち上げやその広報でありました。

よく記者さんや視察でお越しいただいた方に「小宮山さんだからできることですね」「小宮山さんしかできない仕事ですね」と言っていただけます。はいそうです。私は神です。

・・・とは思っていません。毎回、最終回2アウト満塁でサヨナラ満塁ホームランを打った巨人の選手みたいに「そうですね、みんなの力があったんで、はい、ただつなごうという意識でバットを振りました」などと回答していたのですが、下記にその真意を語りたいと思います。

・椎葉の椎葉による椎葉のための図書館

まず、どうして私が椎葉村図書館「ぶん文Bun」のような図書館をデザインできたのかというと、直接的には「図書館と地域をむすぶ協議会」さんのお力があったからです。松岡正剛氏の編集工学研究所のご出身である太田剛チーフディレクターの企画・デザイン・コンセプトメイクがあってこその椎葉村図書館「ぶん文Bun」だということは、これまでうまく新聞等のメディアでは字数の縛りなどでうまく表現できなかったことではありますが、ここで再度申し上げておきたいと思います(すべての新聞記事には満足しています。とくに共同通信さんから全国に配信された「ひと」では私の活動の中核を書き上げていただきました)。

だからと言って「僕は何もしていないんです」というわけではありません。地域おこし協力隊に着任した瞬間「視察するぞ」と言って全国で30館をみてまわり、椎葉のためには図書館と地域をむすぶ協議会さんとの協同が必要だと判断したのは私ですし、それを村行政に提言・プレゼンしたのも私です。

さらに太田剛さんの図書館づくりはどっぷり地域に浸かって地域の人と一緒に地域の仕様の図書館をクリエィティブしていく方法なので、椎葉に在住する図書館司書としてその橋渡しをしたのも私です。また、選書・コンセプトメイク・書架デザイン・サイン制作等の総合的なディレクションは私が行うかたちで計画進行していました。

何をやった、何をやっていないというよりは「一つも欠けてはならなかった」というのが椎葉村図書館の創成期を表す言葉なのではないかと思います。そしてその最も大切なピースが「椎葉村の魅力」でした。

「太田剛さんの図書館づくりはどっぷり地域に浸かって地域の人と一緒に地域の仕様の図書館をクリエィティブしていく方法」と書きましたが、まさにこうした方法をとらなくてはならないと考えた根拠は「椎葉村の魅力」なのです。温泉がある、飯がうまい、人がやさしい・・・とうたっている「田舎」は数あれど、椎葉のような神秘性に富む魅力をもつ地域はそうそうありません。

私が着任早々「これはただの図書館づくりではないぞ」と感じたのは、椎葉村には「椎葉の椎葉による椎葉のための図書館」しか似合わないと気づいてしまったからなのです。多分、どこにでもある普通の図書館をつくろうと思えばもっと楽をできたでしょうし、この3年間もっと睡眠できただろうし、私もいまこうやって3月31日の夜中に差し掛かろうというのにnoteを書かなくてはならないようなこともなかったんだと思います。そしてその結果、もしかしたら僕は椎葉村を去ることになっていたのかもしれません。「他のところでもこういう図書館づくりできるから、いいや」と。

しかしそうはなりませんでした。着任した当初から、図書館で村を変えていくという行政の覚悟もびしびしと感じていました。図書館は単なる学びの文化施設ではない。今後の村の方針にすらかかわる大事な施設なんだ。そんな思いを、担当職員や地域の方の声から感じました。こうしたパワーがあったからこそ、椎葉村図書館は「関係人口の創出」や「帰ってきたくなる村(UIターン創出)」を大きな目標として運営されているのだと思います。

そうです。この、村全体がトータルでもっている魅力やパワーこそが椎葉村図書館立ち上げの最大のファクターであったのです。そこに僕が地域おこし協力隊として着任し、図書館と地域をむすぶ協議会さんと結びつき、一つも欠けてはならないピースが揃っていった。そんな気がしてなりません。

もちろん、今も未達成の事項が多くある施設です。すべてが実現できたなどとは到底思っていませんし、まだまだ磨き上げられた要素も多々あります。決して不遜な思い上がりを抱いているわけではないということを申し添えておきつつ、私は、椎葉村図書館は椎葉村にしかできない椎葉の椎葉による椎葉のための図書館であると自信をもって宣言します。

今もし記者さんに「小宮山さんにしかできない仕事ですね」と問われたらこう返すでしょう。

「椎葉の100年後を思えば、非力な私でも奮い立たないわけにはいかなかったのです」

・クリエイティブ司書は「図書館の主」か?

これもよく言われます。「小宮山さんの城ですね」「小宮山さんにしかできない棚づくりですね」「自分の庭のようでいいでしょう」。

視察の際や一般の方にそうおっしゃっていただける時はだいたい好意的な場合が多いので「ありがたいことですね」と返したりしていました。あるいは図書館業界の方がいらして「業務の共有ができているのか?」という疑問符をつけるかたちでそのような問いかけをされる場合もあります。

そしてこの際ですので、上記のような問いへの答えは「NO」であるとお答えしておきます。

まず何と言っても椎葉村図書館は公共図書館です。そうである以上、そこは誰の城かというと第一に椎葉村民の城であるわけです。また第二に、そこを訪れるお客さま皆さまの城であるわけです。

椎葉村図書館の場合、村民・村外の方の区別はあまり設けていません。ここではあまり詳しく述べませんが、それは「関係人口を重視している」という政策の方針によります。どなたでも会議室を無料で使えたり、図書を借りられたりするのは「椎葉に関心をもってくれてありがとう、椎葉に来てくれてありがとう」の意味をこめていますし、またもっと言えば「椎葉に来てくれてお蕎麦を食べて民宿にも泊ってくれてお金を使ってくれてありがとう」の意味を強く込めています。これもまた「図書館が自治体を豊かにする」かたちの提示ですし、だからこそ椎葉村図書館は全国各地にアピールできる魅力をもっていなくてはならないのです。

再度言いますが、図書館の主はお客さまです。漫画『図書館の主』でもそう言っていますね。椎葉の椎葉による椎葉のための図書館を考えるとき、そこには必ず図書館の主としてのお客さまが心地よい情景が浮かんでいなくてはならないのです。

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以上のようなことをふまえると、この章の問い「私は私にしかできないことを私の力で成し遂げたか?」に対しては、こう答えることになるでしょう。

「最も大きな力は椎葉村の魅力であり、良きアドバイザーとの出会いこそが椎葉村図書館に欠かせなかったものである。ただ、その奇跡の中に私というピースも欠かせないという自負はある」

📚再・地域おこし協力隊を経て私は変わったか?

もっともっと語らなければならないことがあるのだけれど、寝室では子どもが泣いているし(家人が寝かしつけながらそのまま寝るとのことで、今日はお任せしている)、早く寝ないとまた4時~5時の夜泣きで起きるとき辛いことになる。うん、こういうことを気にするようになったという点では私は確実に変わった。以前はもう何時まででも本も読んだし文章も書いたしお酒も飲んでいた。けれど今は、そのどれもやめちまった。

ただ、仕事の仕方や根本的な考え方、能力としては、協力隊任期前後であまり変わっていないというのが私の理解です。むしろ、スピード感やタスクマネジメント力はプライベートとの兼ね合いもあって落ちているかもしれません。

だからこそ「変わらなければ」いけないという自覚もあります。明日から椎葉村図書館をさらにドライブしていくにあたって、これまでの方法論ばかりでは通用しないこともあるでしょう。今までの自分の人生に誇りと自信をもちつつ、変えていかなくてはならないところは多々あると認識しています。

とくに、これまで椎葉村外にアピールすることに重きを置いてきた点はそのうちシフトが必要になると考えています。もっと椎葉村の子どもたちの教育、将来への展望の拡充、この村からよき文化人・アスリート・知識人・経済人・芸術家が生まれるにはどうしたらよいのか、目先から目を上げて0.1世紀単位で考えていかなくてはなりません。

いま私が再度「椎葉村地域おこし協力隊の活動を通して、小宮山さん自身にどのような変化がありましたか?」と尋ねられたら、こう答えるでしょう。

身辺の変化はありましたが、能力や本質は変わっていません。「それで事足りた」と言えば、それまでなのですが、だからこそ変わらなければならないということに気づくことができた3年間でした。協力隊は、成長の機会に満ち溢れた期間でした。

📚これから地域おこし協力隊になる人へ

聞くところによると全国の地域おこし協力隊の人数は6,000人を突破したのだとか。延べですよね・・・?現役協力隊が6,000人超え?

ちょっと調べる時間も惜しいのでこのまま書き進めますが、いずれにせよこの4月から地域おこし協力隊になるという方も多いのだと思います。

そこで、上記のように僕が「身辺の変化はありましたが、能力や本質は変わっていません」という3年間を経て「これは必要だな」と痛感したことを下記に羅列していきます。

・・・こういう記事を書こうと思ったのも、身近な自治体やウェブで見かける地域おこし協力隊の方々に、あまり幸せでないかたちでドロップアウトする方が少なくないように思うからです。中には「行政とのトラブル」を声高に叫び、さも被害者然としてインターネットに書き散らす方もいらっしゃいます。

あとは「何をしたらいいのかわからない」という方も散見・・・というか多くみられますね。ミッション型の募集じゃないから、ざっくりと町の広報をしてと言われてもどうしたらいいかわからない・・・とかですね。

そして一番多いのが「行政の動きが遅い」「行政が言うことを聞いてくれない」「私の企画が通らない」ではないでしょうか。地域おこし協力隊の多くがこういうことで悩んで、それが対人問題にもつながり、やめていく。地域にとっても本人にとっても不幸なかたちです。

・・・あえて、というか率直に僕が常日頃思っていたことをここに忌憚なく書くと「仕事なめんなよ」です。仕事にかたちがないのは当たり前です。逆を言えば、日々の日報だとかミーティングだとか雑事があるのも当たり前です。往々にして地域おこし協力隊は組織の一部として取り扱われることが多いですから、成果進捗を共有し報告する機会が求められます。なんと言っても、総務省拠出の補助金で成り立っている仕事ですし。

まぁ業務に対する報酬が少ないとは思いますが、そのために副業を奨励している自治体も多いはずです。副業と地域おこし協力隊活動のバランスを自分で整理・調整することも、一人の社会人として当然のことです。

以上のような点について、例外も多くあるでしょう。凄い意地悪な地域おこし協力隊担当者がいるとか、何か悪の組織に自治体が蝕まれているとか。あるいは、椎葉村が特別にいい例だったのかもしれません。私のミッションがとてもラッキーなものだったのかもしれません。

先に「椎葉村のパワー」について書きましたとおり、私はこの点を否定しません。行政担当者の理解、首長の熱意、タイミング、村民のあたたかさ、などなど、多くのピースが奇跡のようにかみ合い生まれた幸せな生活だったと言えるでしょう。

ただ一方で自覚しておかなければならないのは、そうした環境を引き出し、活かしたのは私なのです。私が自分で椎葉村図書館の未来像を設定し、そこに向けて関係者と協議を重ね重ね重ね重ね、実現に向けてドライブしていったのです。どうも協力隊に不満を持っている人は、こうした企画立案をして自分で事業を回していくことに関して誠実でないように思えてなりません。

あえて注釈しますが、優秀な仕事をしてらっしゃる方もたくさんいます。また、スローライフを楽しむためにゆるく協力隊制度を活用するのもありだと思います。ただ私が気にかかるのは、ウェブ上で不平不満を垂れ流す人があまりに多いことです。こっちとしてもキャリアに地域おこし協力隊の名を刻む以上、そうした地域おこし協力隊のイメージが蔓延することは迷惑千万なんです。

・抑えるべきポイント10

だからこそ私は、地域おこし協力隊はとても楽しい仕事だけれど「抑えることは抑えましょうね」と言いたいのです。そこで今の思いつきですが、身に着けておくといい実践ポイント10を書いておきます。これを見て「地域おこし協力隊はそういうもんなんだな」と思っていただければ、そして仕事とはそういうもんなんだなと思っていただければと思います。

  1. 企画書を書けるように

  2. 日報・月報・ミーティングなどの共有は仕事の基本

  3. 「おもしろいこと」をする前に、本当におもしろいかリサーチしよう

  4. 「スローライフを楽しむ」のは自分だけ、元から住んでる人は普通ライフ

  5. 物をいただいたら返す、たとえ労力などの違うかたちでも

  6. 企画書を書けるように

  7. 「思いつき」を酒飲んで駄弁っているだけでは何も変わらない

  8. ビッグワードを並べて気持ち良くなる前に、企画書を書け

  9. 行政担当者に相談するなら、口頭じゃなく企画書をもって

  10. 書け、企画書を。書くんだよ。

・資料をつくろう、めんどくさがらずに

いくぶん言葉が悪くなりましたが、私がこれまでの地域おこし協力隊・・・ひいては社会人生活、大学、高校、もう人生のすべてをかけて思うのが「企画書を書け」ということです。

「面白いアイディアがあるんだけど」「こんなことをやりたいんだけど」「いい事例があるんだけど」と話を持ってくる人が内外問わずいます(人生スパンでの話です)が、もう何を言いたいのか全然わからない場合がほとんどです。その面白さの根拠、スケール、リスク、スパン、全体図、詳細、もうすべてがその人の頭ん中におさまって一向に出てこない。もう「だから?」としか言いようがありません。

そのまま企画の実施に至るケースがあるのかもしれませんが、まあ小さいちょっとしたイベントとかならいいのでしょうが、ある程度の規模や地域おこし協力隊が3年間かけて取り組むような事業になると、もう失敗は目に見えています。コンセプトなし、計画なし、事例なし、比較検討なし、根拠なし、自信あり。そんな事業に成功なしです。

だ・か・ら、行政担当の方は報告書やミーティング、活動報告会の場で資料づくりを求めてきて「くれる」のです。そうした機会の資料づくりなんて、日々しっかり他人様に伝わる仕事をしていれば日常のトレースで済むはずです。「活動報告が苦痛」だとか「報告書を書かせるなんておかしい」という話を聞くたびに「いい加減な仕事をしているんだな」と思っていました。

企画書に必要なのは ①リサーチ ②参考の明示 ③アウトライン ④詰め、そして⑤コンセプト です。⑤は「思い」でも「気合」でもいいのですが、企画のすべてを総括したうえでメッセージ化できるものでなくてはなりません。企画を一言で表すことができる端的なフレーズが必要なのです。

・・・というか、こうした仕事は現場業務などでない限り官民問わずほとんどの組織の人ができるはずです。大学の卒論だって、その構造でいえば企画書そのものです(より高度な場合がほとんどですが)。つまり、人・物・金が動くときや自分の成果を報告するための基礎基本が企画書(資料)なのです。

これから地域おこし協力隊になる人へ伝えたい一番のことは、こうです。

なんでも楽しい口頭の雑談だけでイベントが進んでいくと思わないで、しっかりと資料をつくりましょう。仕事なんだから。

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一応最後にもう一度申し添えておくと、地域おこし協力隊にもいろんなかたちがあることは重々承知しております。企画書が要るような仕事はいっさいせず、地域の暮らしを満喫するのが仕事、というようなこともあるでしょう。あるいは農作業を専任でやる場合とかですね。

ただ私は「何をやればいいのかわからない」とか「行政からミッションの提示がない」とか「行政が意見を聞いてくれない」と言ってその問題を流布する人々に問いたいのです。「それ、企画書上げた?」と・・・。

仕事を仕事としてこなしていないのに自分が受け入れられなかったと嘆くのは、不幸の押し付けでしかありません。地域おこし協力隊を卒隊した私にもそのようなイメージが付くとすれば、非常に残念なことです(はっきり言うと迷惑です)。

「地域おこし協力隊」の単語が社会的にも認知され影響力が強まっている今だからこそ「ちゃんと仕事しようよ」と言いたいのです。

これから地域おこし協力隊になる人へ。そのあたりをおさえつつ活動を進めれば、きっと仕事も人生も楽しくなることだと思います!

そして一番最後にあまりに読まれないようにと願いながら書いておくと、多くの「やりたいことができない」と叫んでおられる図書館職員さんにも上述の指摘が共通してしまうんじゃないかな、と思っています。

よく「相談が通らない」「意見が通らない」と聞きますが、それってもしかして口頭・・・?と思わざるを得ない方が散見されます。それじゃあどんな面白い(と頭の中で思っている)企画も実現しませんし、それで周りやウェブ上に不平不満を投げ散らかすのはお門違いもいいところです。

仕事、しましょうよ。

と、言いたいです。地域おこし協力隊や図書館司書のレベルを総合的に上げていかないと、いつまでも低賃金の非正規ワーキングプアのままですよ。様々なかたちで行政に携わり公的な意味合いをもつ仕事をする以上、口頭や思いつきで事業は進められません。資料にしましょう。根拠データを集めましょう。成果を可視化しましょう。ペーパー1枚でいいのです。

仕事、しましょうよ。

※乱文失礼しましたテヘッ※

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