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メディアミックス成功の鍵を握るものとは?

筆者は、エンタメの物語でもっとも大切なものは「人物、キャラクター」であるという立場をとっている。面白い物語をつくるためには、まずこの「キャラがいちばん大事」「キャラから物語をつくる」ことができるかが分水嶺となるのである。

しかし、世間ではまだまだ「キャラの重要性」というプロの世界での鉄則は、十分には理解、認知されていない。
または、頭では分かっていても実際に作品をつくるとなると、キャラよりもそれ以外の要素を優先させてしまう方も多くいる。

このnoteでは、キャラがいかに物語にとって大事か、それをさまざまな観点から検証していきたい。

その検証シリーズは、現在、以下の2つの記事として公開中である。

今回の記事は、その第3弾ということで、「メディアミックス」や「グッズ展開」という視点から、キャラクターの大切さを考えてみたいと思う。

メディアミックスとは何か? その利点とは?

エンタメ業界で最近非常に重要な要素が、作品の「メディアミックス」である。
メディアミックスとは、1つの物語作品をさまざまなメディア(媒体)で複合的に展開し、客層を拡げ、相互補完して作品を売り込む販売手法だ。

たとえばヒットしたマンガ作品があれば、それを「アニメ化」したり、「実写ドラマ化」したり、「映画」にしたり、ノベライズして「小説」にする、またはスマホゲームにするというものである。

このメディアミックスの利点は、1つの人気作品をさまざまな媒体で売ることで、その媒体しか見ないお客さん、すなわち「マンガしか読まない人」「小説しか読まない人」「アニメしか見ない人」などに他の媒体でのヒットしている作品をアピールすることができることである。

たとえば最近では、マンガ『鬼滅の刃』がメディアミックスの事例として記憶に新しい。

同作は、アニメ化されることで人気に火が着き、

アニメによって作品を知った人が原作のコミックスを買い求めて空前の売上を叩き出し、また同作をノベライズした小説が発売されるやいなや、その小説版も大ヒットしている。

また、現在は劇場アニメも制作されており、公開されれば大ヒットは間違いないと予想されている。
(追記:鬼滅の刃劇場版、とんでもない大ヒットを記録していますネ! スゴイ!!)

さて、このメディアミックス、うまくいけば各媒体が互いに客層を拡げ、お客さんも違う媒体の作品を楽しみ、コンテンツとしての売上が何倍にもなる非常に大きなメリットがあるが、原作は面白くてもメディアミックスが上手く行かず、盛大に失敗してしまうケースも少なくない。

なぜ「ヒットした面白い原作」を使いながら、成功もすれば失敗もしてしまうのか。
じつは、そこにメディアミックスの成否を分けるものがある。

そんなメディアミックス成功と失敗の理由、そして成功の鍵を探るために、次の2つの作品を見ていきたいと思う。

メディアミックスの成功例と失敗例


次の2作品を比較し、メディアミックスの成否の検証をしたいと思う。

※ところで、始めに断っておきますが、この検証は例に挙げた作品を貶す意図はまったくありません。
ただ、両作品のメディアミックスの相違点とそのポイント、およびその結果を客観的に比較し、検証、分析する目的で述べていることをご了承ください。

まず1つ目の作品は、大ヒットしたマンガ『鋼の錬金術師』である。

同作はメディアミックス展開として、まず「TVアニメ化」されている。

ただ、アニメ化された時点で原作の物語は完結しておらず、アニメ版はストーリーの途中までは原作通りの物語の展開が描かれているが、それ以降のまだ原作では描かれていない部分に関しては、(後に描かれる)原作とは異なるアニメオリジナルのストーリーが描かれた。

にもかかわらず、このTVアニメ化は大成功し、アニメを見てファンになった人が原作のコミックスも購入して売上が伸び、さらには劇場アニメもつくられヒットしている。

後に、完結した原作のストーリーをもとに、原作に忠実な同作の物語が再度TVアニメ化され、人気を博した。

このメディアミックス展開で興味深いことは、「最初のアニメ化(アニメ第一期)のストーリーは原作と異なるにも関わらず、新規のファンも原作ファンも双方が楽しめた」という点である。

中には、原作のストーリーよりも、アニメオリジナル展開のストーリーのほうが好きだというファンもいるぐらい最初のアニメ版の人気が高く、同作の脚本家である會川昇氏の力量が非常に高かったということも、もちろんあるが、ストーリーが原作と違うにもかかわらず楽しめた、面白かったというのは、メディアミックスを考えるうえでは大きなポイントになるだろう。

※ ※ ※

もう1作品は、これも空前の大ヒットを記録した小説『ビブリア古書堂の事件手帖 ~栞子さんと奇妙な客人たち~』である。

めちゃくちゃ面白くて筆者も大大大好きな同作は、メディアミックス展開として「連続TVドラマ化」がなされた。

しかも「月9枠」での放送という非常に恵まれたメディアミックスで、多くの原作ファンが期待に胸を躍らせることとなった(もちろん筆者も)。

しかし、いざ蓋を開けてみると、その「待望の」TVドラマ化は、ファンが望んでいたものとは大きく異なり、多くの原作ファンは落胆することとなった。
なぜファンが落胆してしまったのか、その理由にこそメディアミックス成否の鍵が隠されているのである。

メディアミックスの成否を決めるのは、ストーリーではなく「キャラクター」である!

『ビブリア古書堂の事件手帖』のメディアミックスが原作ファンにとって落胆するものになってしまったいちばんの理由は、「主人公のキャラクターが大きく変わってしまっていた」ことだった。

ストーリーは確かにほぼ原作通りだった。しかし肝心のキャラクター、登場人物においては、なぜか「大きな変更」が加えられ、外見や髪型、容姿のイメージ、体型、性格、ギャップ、服装などが明らかに原作と異なる「別人」ともいえるようなものにされてしまっていた。

しかも、キャクターの変更は主人公だけにとどまらず、主人公の妹にも及び、この妹ちゃんはいいキャラなのだが、その妹が「弟」に変更されていたのである。

もちろん、原作とドラマは「別物」であり、予算やさまざまな制約などで原作と同じものをつくるのが難しい場合、最小限の変更や改変が行われることは往々にしてある。
しかし大抵の場合、ファンはそのような事情は最大限理解してくれるものである。

しかし、『ビブリア古書堂の事件手帖』のドラマ化にあたっては、少なくとも楽しみにして待っていた原作ファンを無視するようなキャラ変更をしてまで別のものに変えなければならなかった事情は、まったく説明されていまない。
結果的に同作のドラマ版は原作ファンを裏切る形となり、大きな怒りを買い、メディアミックスとしては失敗することになってしまった。

悲惨なのは、その変更されたキャラを演じた役者さんたちである。
演じる方は何も悪くないのに、何の責任もないのに、ファンのクレームの矛先が役者さんに向いてしまったのだ。
そのせいで、その改変された役を演じることになった役者さんは、台本を読み込み、台本に忠実に演じようとどんなにがんばっても「キャラが違う」といわれて、非常に傷ついてしまった。
この点においては、同作のメディアミックスは確実に失敗だったといえるだろう。誰も幸せになっていない……。

原作がめちゃめちゃ面白いため、このドラマ化の失敗を見ているのは、同作の大ファンである筆者としても非常に辛いものがあった。

ストーリーを多少改変しても、キャラの本質が同じなら同じ作品として認識、支持される!

この『ビブリア古書堂の事件手帖』のメディアミックスの非常に興味深いポイントは、アニメ『鋼の錬金術師』とは違い、同作のTVドラマ版のストーリーは「ほぼ原作に忠実だった」ことだ。

この点においては、確かにファンの期待に答えるドラマ化になっていたように思える。
同作のドラマ自体は非常に完成度が高いものだった。
役者の演技もいいし、古書店のセットなども趣がありとても素晴らしかった。

もし、本作が原作モノではなくオリジナルドラマだったら、ミステリードラマとして高い評価を得ていたはずである。

にもかかわらず、同作のドラマ化はファンが満足できないようなものになり、まためちゃめちゃ面白い原作を使用していながら、小説と違ってドラマ版はあまり話題に登らなかった。

ストーリーが「別物」なのにメディアミックスとして成功した『鋼の錬金術師』ストーリーは「同じ」なのにメディアミックスが上手くいかなかった『ビブリア古書堂の事件手帖』、作品として高い完成度を誇るこれら両作品のメディアミックスにおけるハッキリとした唯一の違いが、「キャラクターの扱い」である。

アニメ『鋼の錬金術師』は、ストーリーこそ原作と違うものの、キャラクターにおいては原作を最大限尊重し、原作通りのキャラクター性(人物像、絵柄、声、動作、雰囲気など)を大切に、原作ファンの想いに叶うように努めて忠実に描いていた。
キャラクターにおいては、まさに原作通りだった。

一方『ビブリア古書堂の事件手帖』ドラマ版は、ストーリーは確かに原作の面白いストーリーを忠実に描いていた。

しかし同作を読んだ方なら、ストーリーの面白さは当然ながら、その登場人物、とくに主人公「篠川栞子の人物像の面白さ、魅力」が、作品の面白さの非常に大きな部分を担っていることに気づくはずである。
その人物像は、「古書店の店長で接客業なのにコミュ障で人が苦手の極度の人見知り、知らない人としゃべる時は噛み倒し、緊張、萎縮してしまうのに、こと古書のことになると深い知識と驚くべき頭の回転の鋭さを発揮し事件を解決してしまう、それでいて外見は黒髪ロングの人目を引くくらいのメガネ美人でスタイルも抜群」というギャップの魅力と面白さを持つものであり、多くの読者がその「主人公のキャラクター性」に大きな魅力を感じていた。

しかし、ドラマ版ではそんな魅力的なギャップの部分はすべて削ぎ落とされ、単なる頭のいい古書店の女店主という、面白みもギャップも何もない、ありきたりのよくいる平凡な探偵役の人物に変えられていた。

つまり、ストーリーをいくら忠実に原作通りに描いたとしても、キャラクターを勝手に変更してしまってはメディアミックスの成功は難しいのである。

同作の面白さを描くためには、少なくとも「キャラクターを変えてはいけなかった」
ファンは、ストーリーではなくキャラクターをこそ好きになる。
だからこそ、キャラクターを変えるということはファンのもっとも好きな要素を切り捨てる、作品の面白さの大部分を別なものに変えてしまうファンを裏切ることに他ならないのである。

もしかしたら、同作はドラマ化するうえで放送枠の対象となる客層やキャスティング的に「髪型や外見は変えた方が人気が出る」と判断されたのかもしれないが、キャラクターの外見と中身の性格は「ギャップ」の表と裏の関係性になっており、そのギャップによって双方が構成されているため、外見を変えるとギャップの関係性が崩れてしまい、中身の人物像も変えざるを得なくなる
だから、外見「だけ」を変えることは基本的に「できない」のである。

また、人気が出るキャラクターはちゃんと「完成されてその形になっている」ため、また人気作は「ストーリーもそのキャラを引き立て、魅力を描き、活躍できるようにつくられている」ので、「キャラを変えるとストーリーもつくり変えなければいけなく」なるのだ。
つまり本来、キャラだけを変えることはできない、キャラを変えてストーリーをそのままにすると、作品の完成度を著しく低下させてしまうのである。

またキャラクターというものは、主人公と他のキャラクターとで、人物像や考え方、価値観、性格の違い、あるいはその関係性において各々が互いに引き立て合えるようにバランスを考えて配置されている。
そのため、あるキャラクターの人物像を変えるとキャラクター配置のバランスが崩れ、他のキャラクターも変更した主人公を引き立てられるように変えたり、関係性や配置を見直さなければならなくなる。
それだけ主人公というものは、作品にとって大事なのである。

だから、もしキャラクターを変えるなら、その改変したキャラクターに合わせて、そのキャラクターの魅力を描けるようにストーリー(プロットは同じであっても)や舞台設定などの作品そのものを「まったく新しい、完全な新作」をつくるように大幅に変えなければならないのだ。そうでなければ、そのストーリーを使って主人公の魅力を描くことはできない。

ストーリーとキャラクターでそれぞれ目指すべきもの、描くべきもののベクトルが違えば、作品としてうまくいくはずがないのである。

つまり、メディアミックスでは、例外はあるがストーリーは多少変更しても大丈夫だが、原作のキャラクターだけは尊重し、極力大切に扱わなければいけないのである。
不必要な改変なんてとんでもない。
下手をすれば、主人公1人を変えたことで作品すべてのバランスが崩れてしまいかねない

キャラクターとは作品にとって“命”である。人間を描くために物語はつくられている。キャラクターはそれだけ重要な要素なのである。
読者はストーリーではなく、キャラクターを好きになる
ストーリーが違ってもキャラクターが同じであれば、読者にとっては「同じ作品」であり、ストーリーが同じでもキャラクターが違えばそれはまったく別の作品なのだ。

原作のキャラクターを大切に扱ったアニメ『鋼の錬金術師』に対し、原作のキャラクターを大切にしなかったドラマ『ビブリア古書堂の事件手帖』、この両者の違いこそが、メディアミックスの成否の鍵なのである。

「主人公以外」ならキャラクターの変更は可能である

先に述べた2作品の例から、メディアミックスにおいては主人公のキャラクターを大切に扱わなければ失敗する確率が非常に高くなることが分かったが、では「主人公以外のキャラクター」を改変や変更することはどうなのだろうか。

もちろん、主人公以外のキャラクターも原作通りである方が望ましいのは確かだが、メディアミックスの媒体によっては媒体の客層やそもそもの作品の時代性が合わない、合うように手を入れる必要がある場合もある。

その際は、「主人公以外のキャラクター」であれば、うまく変更を加えればメディアミックスを成功させることは可能である。

その場合、外見や性格などの一部の要素だけを変えるならば、いっそのこと「完全な新しい別キャラ」を登場させた方が変更がうまくいきやすい。

TVドラマ『ガリレオ』はその方法で成功している。
同作の原作小説は探偵役である主人公ガリレオこと湯川教授と相棒として刑事の草薙がコンビを組んで事件を解決するストーリーだが、TVドラマ版では主人公湯川のキャラクターは原作通りだが、主人公とコンビを組む相棒役が男性の刑事である草薙から若い女性刑事の内海に変更された。また、湯川の周囲の登場人物たちも原作にはないオリジナルキャラクターたちが登場している。

さらに同作は、原作版の相棒役の草薙も登場し、栄転のためにその職場を離れ、その後任として新キャラの内海が引き継ぐというバトンタッチのシーンも描くことで、原作との整合性、同一性を演出している。

結果的にドラマ版『ガリレオ』は成功し、セカンドシーズンや劇場作品もつくられ、メディアミックス展開を大きく広げることができた。

このことから、主人公の変更は得策ではないが、必要であれば主人公以外のキャラクターを変更したり、新たなキャラクターに変えたり、周囲に原作にはないキャラクターを登場させるのは、アリだといえる。
もちろん、主人公以外のキャラクターであっても不必要な変更は行うべきではないが、変更が必要なときは、原作のキャラ配置を把握し、そのバランスが崩れないよう、関係性の面白さが保たれるように最新の注意を払って変更を加えることはできるだろう。

また、主要キャラ以外の重要度の低いキャラクターは、変更しても作品の面白さに与える影響はほとんどないだろう。

もしかしたら、ドラマ版『ビブリア古書堂の事件手帖』も、主人公は変えずに相棒役のキャラを変えていたら、メディアミックスは成功したのかもしれない……。

ストーリーや設定は「グッズ化」できない!

エンタメコンテンツには、メディアミックスの他にも「グッズ化」という展開もよく行われる。

たとえば、Tシャツやスマホケース、フィギュア、文房具、玩具など、物語作品はさまざまな関連グッズが出されている。

このグッズは、作品を読むことでしかそのキャラに会うことができない読者にとって、大好きなキャラを身近に感じられるもの、ありがたいアイテムであり、作者にとってもロイヤリティによって利益をもたらし、グッズの小売店や出版社にとっても収益をもたらす、みんなが幸せになれるものである。

このグッズは、当たり前の話だが“キャラクターがいないとつくれない。
たとえ逆立ちしても、ストーリーや設定はグッズにすることはできない

その意味でも、読者にとっても、物語にとっても、商業的にも、もっとも大事なものはキャラクターなのである。

メディアミックスの秘訣は「キャラクター」である!

これまで述べてきたことをまとめると、メディアミックスでは(ストーリーの大幅な改変は論外だが)多少のストーリー変更は原作ファンは許容できることが多いが、キャラクターの改変や変更は、原作ファンにとって容認できない、裏切りに等しい行為となることは間違いない。

メディアミックスにおいてもお客さんにとっていちばん重要なのは「キャラクター」なのだ。
原作のキャラクターを大切に扱うこと、違う媒体の異なる表現によって描かれる場合でも、キャラクターだけは「原作と同じ本質を共有する」、「ファンにとって同じ人物と感じられるようにする」ことが、メディアミックスを成功させるための大きな秘訣である。
メディアミックスの中心になるものはキャラクターなのである。

面白い作品をつくろうと思ったら、新人賞で入賞しようと思ったら、何よりも魅力的なキャラクターをつくることである。そして、そのキャラクターの魅力を描ける物語をつくろうとすれば、後の要素は自然についてくる。

だからこそ、物語づくりにおいては読者が好きになる、憧れを抱き、また共感し応援してくれるような、魅力的なキャラクターを描くことがいちばん確実な作品成功方法なのである。

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メディアミックスの成功の鍵を握るキャラクターについて、そのつくり方やキャラを魅力的に描くためのストーリーのつくり方を知りたい場合は、以下のテキストでくわしく解説されています。
ご興味のある方は、ぜひ合わせてご一読ください。


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