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「同志少女よ、敵を撃て」購入してから1年ぐらいたってしまってブクログにリマインドされて読みました!やはり本屋大賞すごかったです!

 こんばんは、オオハシです。2022年初頭は毎週投稿を頑張ろうとしていましたが、2023年はさっそくNGになりました。柏に行く週に関しては、やはり投稿が難しくなります。さらに、昨年は年間50冊目標だったのですが7月以降は一気に挫折してしまったので、本年はそうならないようにしたいです。
さて、今回の書籍は2022年本屋大賞ということで本当にすごかった本です。が、購入したのは1年前ぐらいなので、写真の帯が語る通り、だいぶタイミングがずれていますが、その辺は気にせず行きましょう。

同志少女よ、敵を撃て

逢坂 冬馬 2021年11月の本

 今さらながら(購入して一年ぐらい経過しましたが)大変大変面白かったです。のめりこみました。500ページ近い単行本でしたが二日で読んでしまいました。 実はこの本はちょうど一年ぐらい前の丸善オトナ買いの際に調達して、カバーをかけられたまま本棚に立てかけられ、購入した事実を一年ぐらい忘れてしまっていた状況でした。年末年始の比較的時間がある際に、ブクログから『ブクログ年間ランキングや「読み切りたい積読」本など、今週注目の本をご紹介』としてご案内いただいたメールからでした。

 なんと!「同志少女よ、敵を撃て」ってたしか俺買ってなかったっけ?と丸善の袋をあさるもみつけられず、ふと本棚のカバーのかかった本を見つけ出しまして、あったあった、という状況。意図的に積読にしておいたわけではなくて、これは超面白いから大事にとっておこうとして、そのまま一年塩漬けにされてしまっておりました。まさにブクログからの案内でリマインドされて読むことができました。ブクログさんありがとう。


簡単に感想とレビュー動画の紹介

 内容としては多くの方がレビューしているので、僕のようなひよっこは感想を書くぐらいしかできませんが、ちょっとだけあらすじです。
1942年ごろのソ連対ドイツの戦争を背景に、当時16歳のセラフィマという少女が親を殺され自らの村を焼かれてしまったところから、女性兵士イリーナに救われ、狙撃兵として養成され、女性狙撃兵として戦争に参画していくお話。同じ境遇で家族を喪い、戦うことを選んだ女性狙撃兵たちとともに訓練を重ね、戦争という異常事態に向かっていく。 実際にあった史実をもとにしつつ、この物語はフィクションです、としてまとめられている、すごい本。 著者の逢坂 冬馬さんは、これがデビュー作で第11回アガサ・クリスティー賞を受賞してしまったのだからまたすごい。購入当時の丸善でも平積みすごくて、本屋さんが売りたい本な印象がすごく伝わりました。

ちなみにあまりにすごすぎたので他のレビューを見たくなって、こちらの「とうふ」さんのとうふの本棚のレビュー動画がすごかったのでリンクしておきます。(これ見たら、読みたくなること間違いなし!)

 局地戦の際には章の初めに地図も挿入いただき、その作戦の位置づけなどを詳しく補足してくださっているので、(純粋に戦闘シーンだけでなく)理解が深まってありがたい。そして改めて二度読みの際に、一番初めの地図に戻って、ベルリン、ワルシャワ、キエフ、そしてスターリングラードがだいたい横に並んでいたことを確認し、おおバクー油田を抑えようとしてこういう戦線になったんだ、なるほどヴォルガ川を経たスターリングラードの戦いはこんなにもドイツから遠いんだ、最後の戦いのケーニヒスベルグはこんなところなんだな、レニングラードはこんな位置なんだな、と全体感をおさらいするのも楽しかったです。

映画化に期待

 本書は映画化が期待されているというのですが、やっぱり僕としては平手友梨奈さんと北川景子さんの子弟コンビでセラフィマとイリーナを演じてもらいたい響の再来)と思ってしまうんだよなーと思います。特に後半のシーンなんて平手さんとかミラジョボビッチさんとかそういう憑依系の人で見てみたいと思ったりしました。(平手さんどうしても画一的なイメージとしてしまってごめんなさい)



いつもの抜粋引用

 さて、ちょっとだけ抜粋です。

 「ちがうの、皮肉を言ったんじゃなくて、そのままの意味。誰だって牛肉を食べる。でもそれは誰かが動物を殺して、捌いて、それでやっと肉になるんでしょう。それに、寒さには毛皮が必要で、鹿の食害にも気を付けないといけない。つまり誰かが動物を殺さなければならない。それを自分がやるのは、別に残忍なことではない。誰かに必要とされることを自分でする。ただそれだけのために、べつに残忍になる必要なんてないんだよ。

同志少女よ、敵を撃て P92


「防衛戦争のさなかであれば、という条件付きで、そうよ。あの講義のときはうまく言えなかったけえど、今ならわかる。男女が同権であるということは、そういうことでしょう。座学で現代の外国の女性について学んだじゃない。ファシスト・ドイツは女性を台所に押し込めているし、アメリカの女性はチアリーダーになっている。けれど我がソ連は女性が同等の国だと認めている。機会さえあれば、英雄にも将軍にもなれる。それを実現してみせたいの。

同志少女よ、敵を撃て P109


「通常の技術者は失敗を繰り返して熟練に近づく。だが我々の世界に試行錯誤は許されない。お前たちもその目に焼き付けろ。これが狙撃兵の死だ。」

(中略)
「アヤは死んだ。彼女のスコアが伸びることはない。故に優れた狙撃手として記憶されることもなければ、故郷へ帰ることもない。彼女が出会うはずだった人間ともであることはなく、子を産み、育てることもなければ、孫が生まれることもない。無だ。それが死だ。お前たちは彼女を悼み、彼女の分も戦うのだ。

(中略)
「誇れ!」
 セラフィマが知らないうちに震えだしたとき、その左肩を、イリーナの少ない指が、手袋越しに掴んだ。
 もう片方の手で、彼女はシャルロッタの右肩をつかんでいた。
 シャルロッタも同じように震えていた。彼女も敵兵を撃った。
「敵兵を殺したことを思い出したら、今誇れ!いずれ興奮は消え実感だけが残る。そのときには誇りだけを感じられるように、今誇るんだ!お前たちが殺した敵兵は、もうどの味方も殺すことはない!そうだ、お前たちは味方の命を救った。侵略兵を一人殺すことは、無数の味方を救うことだ。それを今誇れ。誇れ!誇れ!誇れ!

(中略)
 アヤの死を目に刻み、悼み、敵を殺したことを誇りに思え― 

(中略)
忘れるな。お前たちが泣くことができるのは、今日だけだ
 イリーナはそれだけ言って、三人の元を去って行った。

同志少女よ、敵を撃て P178



 セラフィマはサンドラの生き方に哀切を覚えた。それとともに、混乱するのを感じた。
 女性を助ける。そのためにフリッツを殺す。自分の中で確定した原理が、どことなく胡乱(うろん)に感じられた。今までは迷うこともなかったのだ。憎むべきフリッツは侵略者であり、女性を殺し、傷つけるのだから、それを殺して女性を救うということは。
 だがサンドラは、少なくとも主観ではフリッツを愛していた。
 他方で、アデレはドイツ人女性でありながらフリッツに虐げられていた。
 被害者と加害者。味方と敵。自分とフリッツ。ソ連とドイツ。
 それらはすべて同じだと、セラフィマは疑うこともなく信じていた。
 だが、もしもこれらが揺らぎうるならば。
 もしもソ連兵士として戦うことと、女性を救うことが一致しないときが来たのなら。
 ソ連軍兵士として戦い、女子を救うことを目標としている自分は、そのときどう行動すればよいのだろう。

同志少女よ、敵を撃て P319

引用抜粋にコメントをつけていってしまうと長くなりそうなので、コメントは無しにて終了したいと思います。

以上
最後までお読みいただきありがとうございました。購入から約1年が経過した本ではございますが、いまだにウクライナの悲劇は継続しており、ウクライナ情勢を改めて学ぶといういみでもこちらの本は有益だと思います。とうふさんの解説にもありましたが「やっぱりすごかった」というのがこの本を表すのにもっとも適切な表現だとは思いますよ。

さて、今年もなんとか細々と続けていきたいと思います。ブクログレビューもリンクしておきますが、(2023年1月22日現在)本棚登録16000名超、感想1,400件超、というお化けコンテンツであることは間違いないですね。
(ほかの方のレビューを見るのも楽しいです)


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