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【台湾紀行】その4 "Tour de Taiwan Island 2018" Day 3 from 台中(Taichung) to 嘉義(Chiayi)

台中のジャッキー・チェン

2018年8月4日

朝、ライド2日目が始まる、始まるだろう、、
初日の昨日は、本当に散々だったが、エグさも一線を越えて、かえって異国にいると言う緊張感を払拭できた様で、リラックスした朝を迎えた。
腹は減っている。
昨晩、バスタブで洗濯して部屋干ししておいたライドの衣装を着こみ、部屋中に散らばった荷物をパッキングしていると、例のジャッキー・チェンが、"高鐵戀館"に迎えに来てくれた。
台中の街を案内してくれると言うのである。
「初めまして」一宿の礼を言い、彼のボルボに乗り込んで台中市街を目指した。自転車と荷物は宿に預けた。
SNSでは友達、異国人同士で初対面と言う微妙な関係の二人だ。
歳は、こっちの方が一世代年長っぽい感じだったが、あっちの方が落ち着いて大人っぽい。意思疎通は、身振り手振りとカタコトの英語で試みる。
「エエくるまやな、外車やん」
「台湾では基本的にみんな外車や」
「サイクリングはせぇへんの、一緒に行くか」
「ムリムリ、しんどいなー大人やし」
ってな具合だ。
台湾の国産車ブランドはあるにはあるが少数派で、圧倒的に外国ブランドが多い。目立つのは、やっぱり日系で"TOYOTA""三菱"、独系"VW""メルセデス"、そして韓国系、かな。
わりと"LEXUS"がたくさん走っていて、似た感じの"LUXGEN(ラクスジェン)"ってのもある。これが、日産系の台湾国産車だった。高級車ブランドになるらしい。
台中市は、台湾の真ん中にあって人口300万人ちかい台湾第2の大都市だ。
工業都市なので、都市の雰囲気は"名古屋"って感じがした。
かの"GIANT"は台中が発祥の地。
ジャッキーは、台中の街をぐるぐると走り回って、いろいろと観光スポットを見せてくれた。市内は道幅もあって立派だった。右側通行だし欧米っぽいなと思った。知らんけど

日本の建築家・伊東豊雄氏設計の"台中国家歌劇院"
世界第3位(いや、すでに2位か)の自転車部品メーカー"SRAM"の"ADC亞洲開發中心"
1903年に開園した"台中公園"(日本統治時代に出来たと言う事だ)
等々

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そして最後に街の西外れのジャッキーの事務所に案内された。
ジャッキーは、家族で自転車関連その他の貿易会社をやっていて、日本とも取引があるらしい。日本の担当は奥方との事で、奥方は日本語を流暢に話したので助かった。
彼女を介し、お互いの事を話して理解を深める。
ジャッキー一家は、日本に旅行した事が何度もあって、京都、北海道、九州とか地方の事や日本そのものをよく知っている。
ところが日本人はどうか、台湾の地方を知る人は少ない様に思う。
"好き"の温度差か、、いや、「日本は安いから」って言うジャッキーの言葉が、だいたい正しいのだと思った。

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「そろそろ行くわ、次があるし」と切り出すと、「昼飯を食って行きな」ってなった。
次の目的地は"嘉義(ジャーイー)"だ。平坦基調、直線距離で7-80kmだから、まあ100km程かな、午後から半日でふらふらっと着くだろうが、昨日のダメージが残っていて身体が重い、、、いや、元から重いんだけどね、
ここはゴチになる事にした、、、いや、元からそのつもりだけどね、
知らんけど。

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中華をゴチになり、ボルボで"高鐵戀館"に送ってもらった。
"高鐵戀館"は台中の街の南の外れにあってジャッキーの会社からは10km程だが、高速道路を使うと、惜しむ間もなくあっと言う間に着いた。

「さらば台中のジャッキー・チェン!!」
別れを言い、握手をして発った。
東洋人だし、男同士だから熱い抱擁は無しって事でー。

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嘉義(ジャーイー)への路をGOGO!!

台中の街を発ってまた独りになった。
街を出てすぐ烏渓を渡ると"彰化(ジャンホワ)縣"に入る。
台湾の川は"渓"の字をあてている。
ここから南は"嘉南平原"と言われる沖積平野が高雄(カオション)辺りまで続く。
嘉義へは、真っすぐ南に下れば良いので特に地図は必要無い。
幹線道路を横眼に見ながら脇道をふらふら進んで行く。
やはり昨日のダメージが残っていてペースがあがらないが、基本的に平坦基調の路だったので助かった。この日は消化試合とさせてもらった。
台湾ローカルの特徴としては、道路が立派だった事があげられる。
幹線でも、脇道でもそこそこの交通量(と言っても都市部以外は交通量はめっちゃ少ない)の通りなら道幅がたっぷりあって、路側帯が広く自動車の流れが遠い。車道と路側帯の間にバイク(スクーター)専用のレーンがある場合も多く、交通弱者としてはリラックスできた。日本より相対的にスクーターの地位が高いイメージだ。
自転車は、その路側帯とか、バイク専用レーンを通る事になるらしい。
ファーストとスロー、強弱、硬柔を分ける事は合理的だ。自転車はその恩恵に預かる形だ。日本の様に大型自動車に幅寄せされる様な事はほとんど無かった。

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今度は、濁水渓を渡って"雲林(ユンリン)縣"に入る。濁水渓は台湾一長い、、と言っても知れてるけども、、。その辺りは日本と同じ。
農村の風景が延々と続く。田んぼ、畑、そして果樹がチラホラ増えてきたと思う。
陽が西に傾き出すと、にわかに空が黒くなり間髪入れずに「ドババー」っと来た。
絵に描いた様な夕立ちだが、スコールと言うのが正しいのかも、、結構な雨量で、アッと言う間に道路が川になる。
たまたまセブンイレブンの前にいたから事なきを得たが、あと2、3分前後したらヤバかった。
セーフ、セーフ、雨宿り、初スコール。
雨の匂いがなんだか懐かしく思えた。
ひとしきり降り、そして止むと、道路は直ぐに乾いた。
再び走り出すも、陽は落ちて暗くなって来た。
嘉義の街まではあと少しだ。

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雞肉飯を食す

ウダウダ走っていたら、嘉儀に着いたのは、結局、夜になった。
今日の宿は、今度こそ"ゲストハウス"に泊まる。
自転車を建屋内に入れる事が出来たので安心だ。そして、これが宿選びの条件でもある。台湾は概ね治安が良さそうだが、油断はできないのだ。
万一の事があれば計画は頓挫してしまうしな。

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宿では、先ずやらねばならないルーティーンが決まっている。
とりあえずウ〇コ、洗濯、シャワー、そして晩御飯に出かける。帰って来て洗濯物干し、当日のinstagramリポートはベッドに入って寝落ちするまでの僅かな時間と休む間もない。寝たと思ったら次の朝が来て走り出すと言うノンストップ生活が続くのだった。
ちなみに、台湾トイレ事情として、ウォシュレットはまず無いので、ウ〇コは、「必ず宿でシャワーの直前にしなければならぬ、、」のであった、、例外は無し。
異国で野グソも気が引けるわな、野犬も居るし。

さて、嘉儀のグルメと言えば"雞肉飯(ジーローハン)"と言うのが相場らしい。
宿の親子に近くの店を教えてもらって歩いて向かった。
親子は、ドリンクを差し入れてくれた。「あっ、これはゴチです!!」
台湾の食堂は飲み物を持ち込んでも良いのか、文句は言われない。
ついでに注文の仕方もご教授願う。
伝票に鉛筆で注文を書き込むスタイルだった。
雞肉飯、ルーロー飯、卵スープで100元ほどだ。「安っす!」
スープが美味かった。鶏はちょっとパサパサだけどまあ「美味しい」と言って差し支えない範囲。グルメと言うより庶民の味で、ちょっと期待しすぎてたからなぁ、、、、。
基本、ライド中は退屈だから次の街で食べる物の事ばかり考えて妄想が誇大気味なっているのでーって事。

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以下小ネタ
嘉儀の街は来で見たかった。
台湾の映画"KANO"の舞台である。劇中の嘉儀農林は、現在、国立嘉義大学として市内に現存している。師範学校的な位置づけだろう。
街は小さい。その中心のロータリには、黄金の投手像が立っているが、劇中の呉明捷(ごめいしょう)投手の像との事だ。映画の中ではイケメンだった。
早稲田に進学し、戦後日本で暮らし、日本で亡くなったと思う。

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観光地としては、阿里山行きのトロッコ列車は嘉儀駅から出ているので、いつか機会があれば乗りたい。
まあ、今回は夜討ち朝駆けで、素通りスルーGOGO!!

つづく

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