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「オタク」と「リア充」の分断を越えるために。『ハケンアニメ!』が示した、ポップ・カルチャーの越境の可能性。

【『ハケンアニメ!』/吉野耕平監督】

まさに、究極のクリエイター讃歌である。近年、『映像研には手を出すな!』(2020)、『映画大好きポンポさん』(2021)をはじめ、映像作品の作り手を描いた作品が次々と生まれており、今作は、その系譜における最新作にして、とてつもない覇気を放つ大傑作だ。

今作は同時に、とても普遍的な「仕事論」についての映画でもある。テレビアニメ製作がテーマの物語ではあるけれど、ものづくりに携わる人に限らず、この社会で(つまり、自分以外の他者と共に)働く全ての人たちにとって、少なからず響くものがあると思う。

また、今作の劇中には、2つの架空のアニメ作品が登場する。劇中において、斎藤瞳(吉岡里帆)が監督を務める『サウンドバック 奏の石』の制作を手掛けたのは、谷東監督(『テルマエ・ロマエ』『若おかみは小学生!』)であり、一方、王子千晴(中村倫也)が監督を務める『運命戦線リデルライト』の制作を手掛けたのは、大塚隆史監督(『プリキュア』シリーズ)だ。そして、それぞれの作品には、梶裕貴や花澤香菜などの声優陣が参加している。

このように、劇中に登場する2つの架空のアニメ作品を実際に作り上げたのは、超一流のスタッフ&声優陣であり、映画『ハケンアニメ!』は、まさに、日本アニメ界の総力が結集したことによって実現した実写化企画と言える。原作の小説を読む上では決して味わうことのできない体験、つまり、アニメ映像作品がもたらす興奮や感動は、この映画における最重要ファクターとなっている。


こうして今作のポイントを挙げていけばキリがないが、僕が特に強く心を動かされたのは、劇中に出てくる「オタク」と「リア充」という言葉に関する台詞であった。

最近では、それこそ『電車男』(2005)が大ヒットした十数年前と比べて、「オタク」という言葉が世間一般的なものとして広く浸透するようになった。そして多くの場合、「オタク」という言葉は、ポジティブ/ネガティヴのニュアンスを問わず、「普通の人々」との比較の上で用いられる。

例えば、「普通の人々」と比べて、より高い次元で何かに熱中したり、熱狂したりする様相は、主に「オタク」のポジティブな側面をフィーチャーしたものだろう。一方、もはや趣味嗜好を超えて、「コミュ障」「閉鎖的」のレッテルとして「オタク」という言葉が乱用されることもある。言うまでもなく、それはネガティヴなニュアンスであり、そこにおいては「〜が好き」という本来の意味合いが捨象されている。

僕は、こうした「オタク」という言葉にまとわりつくパブリックイメージに、ずっと強烈な違和感を感じていた。別の言い方をすれば、「普通の人々」と「オタク」の対立構造を作った上で何かを語る論説に、リアリティを感じたことなど一度たりともなかった。なぜなら、この世に「普通の人々」など存在しないからだ。

同じように、「リア充」という言葉も、ともすれば、不必要な分断を生みかねない危い言葉であるように思う。これは主に「オタク」主観で用いられる言葉であり、多くの場合において、「非・オタク」との間の埋まらない距離を表すニュアンスが含まれている。しかし、この世の全ての人を「オタク」と「リア充」という2つの言葉だけで線引きすることなど不可能だろう。

濃淡の差こそあれ、誰もが何かしらの映画やドラマ、アニメ、音楽、小説、漫画をはじめとするポップ・カルチャーへの愛を持っているはずである。誰も「私は『オタク』ではないから、」と謙遜する必要など全くないし、むしろ、一部の限られた人だけではなく、より多くの人たちが、それぞれが愛する作品への想いを表明することで、そのシーンが活性化していく流れが生まれていくはずだ。

(もちろん、そうした想いを自分の胸の内にそっと秘めておきたい人もいるだろう。その人それぞれのポップ・カルチャーとの関わり方や距離感がある、という大前提をここに書き記しておきたい。)


前置きが長くなってしまったが、今作は、「オタク」「リア充」という言葉が乱用される現状に対して、一つの明確なメッセージを放っている。その具体的な内容についての説明は省くが、今作が掲げるポップ・カルチャー観に、僕は強烈なシンパシーを感じた。

ポップ・カルチャーには、この社会における様々な分断を乗り越えていく力がある。生まれた時代、生まれ育った場所や環境、人生の岐路における選択、そうした数え切れないほどの差異によって、私たち一人ひとりの世界は、いとも簡単に分断されてしまう。そのようにして閉ざされてしまったそれぞれの世界を繋ぎ得るのが、ポップ・カルチャーであると僕は思う。

たとえ、すぐには分かり合えないとしても、自分とは異なる他者を理解しようとするきっかけを持ち帰ることはできるだろう。同じ作品を観たり読んだりして、同じ感動を共有するということは、つまり、そういうことだと思う。

今作は、「アニメを作る」話であると同時に、「アニメを届ける」話でもある。また、「アニメの作り手」の話であると同時に、「アニメの受け手」の話でもある。アニメは、数え切れないほどの差異を越境して、他でもない「あなた」へと語りかける。今作におけるアニメ製作者の物語の向こう側には、一人ひとりの「あなた」の物語が存在しているのだ。そうした二重性が、今作が非常に深い感動をもたらしてくれる理由であると思う。

そしてこの構図は、アニメに限らず、あらゆる映画やドラマ、アニメ、音楽、小説、漫画などのあらゆるカルチャーに通じている。繰り返しにはなるが、そうした作品は、壁を作るためではなく、壁を乗り越えるためにある。今作が掲げるポップ・カルチャー観を、一人でも多くの人と共有できたら嬉しい。




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