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絶望と希望の物語。映画『ノマドランド』が描いた孤独と、新しい「連帯」の形について。

【『ノマドランド』/クロエ・ジャオ監督】

今年のアカデミー賞を席巻すること間違いなし映画『ノマドランド』は、なぜ、2021年の今、これほどまでに注目を集める超重要作品となったのか。

結論から言ってしまえば、この作品は、「アメリカ映画」、より具体的に言えば、「自由の国=アメリカのリアルを映し出す映画」の系譜における最新型であり、同時に頂点に君臨する一本だからだ。



原作は、気鋭のジャーナリスト・ジェシカ・ブルーダーによる『ノマド 漂流する高齢労働者たち』。この十数年の間に新しく現れた高齢貧困層、通称「ノマド(遊牧民)」に密着取材を重ねることで、「老後なき時代」のリアルに迫ったノンフィクションである。

この原作が炙り出すように、今回の映画においても、リーマンショックによって「家」とそれまでの生活を失い、「路上」へと追い込まれてしまった者たちの苦悩や逡巡、切実な感情が、容赦なくストレートに描かれていく。

しかし、この映画が映し出しているのは、路上生活における絶望だけではない。むしろ、主人公・ファーン(フランシス・マクドーマンド)の誇り高き選択と生き様は、追い込まれた先の「路上」にも、輝かしい希望があることを伝えている。

それぞれに孤独や喪失感を抱えながらも、自らの意志でキャンピングカーを走らせ、その先の人生における選択肢を広げ続けていく。劇中の台詞にもあったように、そうした「ノマド」たちの生き方は、まさに開拓者のようであり、それはそのまま、アメリカの伝統を現代において体現しているとも言える。そう、今作のタイトル『ノマドランド』は、他でもないアメリカという国家の歴史を指し示しているのだ。

そして今作では、「ノマド」同士によるコミュニティが、一つの希望の形として描かれている。社会から「ホームレス」とカテゴライズされようとも、自由な選択の結果として「ハウスレス」という生き方を選んだ者たちは、お互いの価値観を認め合い、そして支え合う。その関係性の中には「別れ」という概念はなく、それぞれの旅路の先に、いつか必ず「再会」できることを信じている。

こうした場所や地域に根差すことのない、全く新しい「連帯」の形は、この過酷な現実に立ち向かうために、力強く輝く希望そのものだ。


この物語は、リーマンショックの原因を究明することも、グローバル企業の在り方を断罪することもしない。その意味で、彼ら・彼女らが「ノマド」という生き方を選ばざるを得なくなった根本的な問題は解決されないままである。

そう、この絶望と希望の物語は、映画館のスクリーンを超えて、僕たちが生きる2020年代へと続いていくのだ。この物語に、どのような落とし前をつけるのか。その問いは、今、このグローバル経済下を生きる全ての人にとって深く突き刺さる命題であるはずで、今作が、アカデミー賞をはじめとする数々の映画祭で大きな注目を集めているのは、その必然なのだろう。

2020年代、僕たちが生きる現実において、「自由の国=アメリカ」は、どのような新章を紡いでいくのかは、まだ誰にも分からない。それでも、今、この映画が生まれ、多くの観客の心を動かしているという事実に、僕はとても大きな希望を感じる。





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