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僕たちは、「コミュニケーション」を諦めたくはない。

【『殺さない彼と死なない彼女』/小林啓一監督】

2019年12月、年間ベストランキングを選出中のこのタイミングで、今作に出会えて本当に良かった。

この作品をスルーしてしまったら、いつか絶対に後悔することになっていたと思う。それほどまでに、映画『殺さない彼と死なない彼女』は、僕にとって大事な、大事な一本になった。



まず、今作のメインビジュアルを見て「誤解」する人が一定数いるかもしれない。

語弊を恐れずに言ってしまえば、今作は、単なるティーンエイジャー向けの恋愛映画ではない。もちろん、その要素がないとは言えないし、むしろ、はっきりと物語の主題として設定されている。

その意味で、この映画がそのようにカテゴライズされても全く不思議ではない。それでも、今作が伝えようとしているメッセージの深度は、はっきり言って、他の作品とは比較が困難なほどに破格なものである。


この映画については、長々と説明するのも野暮だと思うので、ここからは短く書きたい。

今作が投げかけるのは、「コミュニケーション」の本来的な在り方を巡る真摯な問いかけである。

身も蓋もないことを言ってしまえば、個人が心の内に抱く想いは、他者には「伝わらない」のだ。黙っていても伝わらないし、どれだけ言葉を重ねても伝わらない。これは、僕たちが目を背けてはならない、圧倒的な事実だ。

あらゆるディスコミュニケーションは、この大前提の認識の齟齬から起きる。劇中で背景的に描かれる「ある凄惨な事件」は、その絶望的な象徴であるといえるだろう。誰かが誰かに抱く想いが、完全に一方通行なものになってしまった時、その悲劇は必然として起きるのだ。


それでも、僕たちは「コミュニケーション」を諦めたくはない。

その根源的な欲求は、人類が長年にわたり抱き続けてきた普遍的なものなのだろう。「コミュニケーション」こそが、否応もなく続いていく人生にとって最も必要なことであることを、私たちは本能的に知っているのだ。

想いは、伝わらない。「言葉にしなくても伝わる」なんて、欺瞞だ。だからこそ、絶対的な他者である相手を畏れなければならない。敬意を払わなければならない。そして、諦めずに伝え続ける覚悟を示し続けなければならない。不器用な僕たちにできることは、それだけなのだと思う。


「短く書きたい」と前置きしておきながら、結局は長々と文字を綴ってしまった。この文章に僕が込めた想いも、絶対的な他者である「あなた」には伝わらないのかもしれない。

それでもこの映画は、「コミュニケーション」の根源的な可能性を感じさせてくれたからこそ、僕はこの記事を書いた。

傲慢な言い方かもしれないけれど、この想いを、今記事を読む「あなた」と共有できたら嬉しい。



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