安倍総理がTwitterに投稿した動画「うちで踊ろう」を見て感じたこと

僕は、先週に「note」上で、星野源がSNSにアップした楽曲「うちで踊ろう」、そして、その楽曲を起点としたムーブメントについて紹介しました。



TwitterやInstagramのハッシュタグ「#うちで踊ろう」に集まる投稿を見れば分かるように、この企画に参加しているのは、音楽シーンで活躍するアーティストだけではありません。

俳優、ダンサー、お笑い芸人など、様々なジャンルで活動する表現者や、普段は歌ったり楽器を演奏したりしないリスナーまで、本当にたくさんの人が、このムーブメントに主体的に、能動的に、参加しています。

また、今や国境や言語の壁を越えて、このムーブメントは世界的なものへと発展しています。

この楽曲の英題は「Dancing on the Inside」。「home」ではなく「Inside」という言葉が選ばれている理由は、星野源自身の解説によれば、様々な事情で外出しなければならない人は「屋内」で、そして、怪我や病気で体を動かせない人は「心の中」で踊れることを願っているから。たしかに、日本語タイトルを振り返っても、「おうち(家)」ではなく、「うち(内)」という言葉が用いられています。

改めて、僕は、この「#うちで踊ろう」は、ポップ・ミュージックの理念を体現する素晴らしい企画であると思っています。



その上で、今朝、安倍総理がTwitter上に投稿したこの動画について、僕が感じたことを一言だけ述べさせてください。(今このタイミングで、総理大臣が、この企画に参加することの是非については、今回、僕のコメントは省略させて頂きます。)

いろいろな前提や文脈や背景はありますが、僕がこの動画を観て真っ先に感じたのは、安倍総理が「踊って」いないことへの違和感でした。

他の「#うちで踊ろう」への投稿作品と並べてみても、その、あまりにも不自然な動画内容に、強烈な違和感を感じました。

もちろん、では「安倍総理が歌っていればいいのか」「踊っていればいいのか」という話では決してありません。ただ、星野源が「うちで踊ろう」という楽曲に込めたメッセージが無下にされているような気がして、この企画に救われてきた一人の音楽リスナーとして、とても惨めな気持ちになりました。

僕は、今、星野源が示そうとしてくれているポップ・ミュージックの眩い可能性が、一人でも多くの人の希望になることを、ただただ願っています。

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