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世界の解像度が低い(推しがわかれば相貌失認ではない)

初対面の人が苦手だ。
人の顔を覚えるのも、とても苦手だ。

「シュガーラッシュ」という映画をご存じだろうか。
8ビット(ゲームボーイくらい)ゲームの主人公フェリックスが、異なるゲームの美麗グラフィックのキャラクターと出会い、
「あなたほど解像度の高い顔を見たことがない」
と情熱的に伝えるシーンがある(映画のメインはその話ではないが)
「解像度の高い顔」という表現が実に興味深い。
何故なら私は人の顔の差分が非常に判別しづらいのだ。
そして判別がつくようになるまで、クラスメイトや同僚のように毎日顔を合わせる相手であっても、1~3か月はかかる。
何故なら相手は毎日髪型や服装が変わるからだ。
毎日同じ服を着てくれればいいのに、と思うが、制服なら劇的に判別しやすくなる、というわけでもない。

「相貌失認」という言葉を知ったとき、もしかして自分はこれなんだろうかと考えた。ただ、他人より時間がかかるだけでまったくわからないわけでもない。それこそクラスメイトや同僚のような間柄であれば、半年もあれば覚えられる。故に、クラス替えや人事異動は非常に憂鬱なイベントである。特に、ごっそりとヒトが入れ替わってしまう人事異動は、仕事と併せて意識的にヒトの顔を覚えるようにするため、顔を覚えるのが得意な人より疲れてしまう。

医師の加藤俊徳氏は著書「悩まない脳の作り方」の中で、初対面の人とうまく話せるようになるためには視覚系の情報収集力を鍛えるとよい、と述べている。
これを読んで私は「相手の顔が8ビットくらいでしか判別できない」のではなく、「世界を8ビットくらいでしか認識していない」のだと合点がいった。

雑踏を歩くと視覚情報が多くて疲れるので、どうも自動で視野を制限しているようだと気付いたのは、大人になってからだ。
たとえば渋谷のスクランブル交差点。
3m先くらいまでの、他人の膝くらいの高さから地面の範囲だけを見ているようだ。
「今すれ違った人おしゃれだったね」
と連れに言われてもわからない。見えていない。

最近とあるイベントで、今応援している(推している)バンドのメンバー全員と一度に会う機会があった。が、咄嗟に持っていた紙で顔を隠してしまった。後からこの行為を振り返って、自分は緊張で「視覚情報を制限した」のだと考えた。一度に5人全員では、情報が多すぎたのだ。
ライブ中は全員見たくて目が足りないと思っているくらいなのに、不思議なものである。

大体しか見ていないくらいが私の処理速度にはちょうどいいのだと思う。
ただもしまた推したちと会う機会があるのならば、もう少し頑張りたい。
それまで加藤氏おすすめのトレーニングで視覚系を鍛えてみようと思う。



そしてこちらが私の推しバンド。


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