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漫才とアートと鬼滅の刃と

先日、鬼滅の刃の23巻が販売され、新聞に1面を使った広告が入っていた。

この広告すごくかっこよくて痺れた。
コンビニで各社の紙面を買った人もいると思う。

この新聞広告のかっこよさを考えるに、普段細かい字で情報がびっしり書いてある新聞に、少ない情報量を載せるカッコ良さがあると思う。


普段の新聞をフリに使うことで、大きなイラストと少ない言葉が引き立つのだ。 


フリというのはお笑いにおいて、オチを目指した伏線のようなものだ。

芸人は漫才やコントで様々なフリを散りばめて(オードリー若林いわく、フリだと気づかれないことが大事だとか)、終盤で回収しオチとなる。

テレビはあらゆることがフリとなり、コメンテーターや司会者がツッコムことなどでオチとなる。

これは、アートやものづくり、いや仕事全般にも必要な概念だと思う。

・仕事の話をするにも、お互いに結論を目指している。フリは交渉、オチは結果とも言える。

・ものをつくるにも、自分たちの持つストーリーや歴史のフリをうまく使わないと、ただの思いつき商品となり、薄っぺらい。

・アートはフリをひっくり返しにかかるものだ。固定概念をフリとして作られる。


最終的に何が言いたいのかというと、

鬼滅の最終巻はすごくよかった。

従来の昔話が、「ずっと幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし」で終わるのをフリにし、現在への繋がりを描くことで「生と死」を描くオチとなっている。

今の行いがいつかはフリとなり、常に未来というオチに向かっていっている。

現在というのは、あらゆる人の行い(フリ)のオチであり続けるのだ。

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