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地獄で仏に出会った話

🔹私が出会った仏さま

あなたは地獄で仏に出会ったことがありますか?

2014年に突然重症筋無力症という難病になってしまった私…。

ある日突然、身体にものすごい重さがかかってきて、しんどくてたまらない、手を上げることもできない、
お鍋の中に入れたおたまじゃくしを上に上げることすら、まるで何10キロのものを持ち上げるかのような重みに感じられました。
 病院で治療を受けるだけでは飽きたらず、漢方薬、自然療法、いろいろな治療を試みましたが、自分のまぶたをあげることも、自分の頭を自分の首が支えることも、モノを噛むことも、飲み込むことも、話をすることも、最後には呼吸すら…
 日常の様々な動作に苦痛と困難を感じ、こんな日々が続くなら、自分なんかいなくなったほうがいいのに…と思い、突然地獄に突き落とされたようなそんな感じでした。

そんな状況でしたので、私は自分の病気のことは、あまり人に話さなかったんです。
 それを聞いた人が、
例えばお見舞いを送ってくれるとか、
「なにかできることない?」と、連絡してくれたとしても、
「ありがとう」とメールするとか、
なんらかの返事をする、
そんなことすら、しんどくて、
せっかくの善意に応える体力がなかったから…

例外は、子どもを取り巻く人たちでした。特に私が入院することにより、一番不憫に思ったのは、当時小学三年だった末っ子。
主人は仕事で早い時間に帰宅できないし、
高2の姉も、塾や遠方の学校から、家に帰るのが遅くなるので、学校から帰宅後 長時間ひとりぼっちになってしまう小3の子どもがかわいそうで…。

我が家の子ども3人みんな通ってた近所の景福寺というお寺の瑞松学院という 近所のこども園。卒園後も家族ぐるみのお付き合いをしていただいてた、主任の先生に 思わず状況をメールしてしまいました。

「突然ですが、こんな難病にかかり入院することになってしまいました。
うちの子、帰宅後一人ぼっちで寂しくなって、どうしようもなくなってしまったとき、園に遊びに行かせていただいてもいいでしょうか?」と。


こんなことを書くと「卒園して3年も経つのに、そんなメールをするなんて、まぁ、なんて厚かましい…」と思われた方もおられたかもしれませんね。

でも、そのこども園は卒園したら、「はい、さようなら〜」と言う園ではなかったんです。
卒園後も「 園のことが恋しくなったり、元気をチャージしたくなったら、土曜日園に遊びに来てもいいですよ」と、卒園生のためのおやつまで用意してくださったり、「園の行事もいつでも遊びに来てくださいね」と、卒園生のために模擬店のチケットを用意してくださったり...
とにかく、卒園後も卒園生のことを忘れず、温かくフォローしてくださる園だったので、もしもこどもが、たった1人で辛くなってしまった場合は駆け込み寺のように駆けこめる場所になるかも知れないと、思ってしまったのでした。

あんのじょう、

「もしよければ、いつでも園に遊びに来てください」

とのお返事。


そして、どこまでも温かい
よくぞ、ここまできめ細やかなご配慮が…とびっくりするようなお心配りの行き届いた優しいメッセージの数々が返ってきました。

主人が家に帰れないときには、
園長先生のお家で晩ご飯をご馳走になったり、
おかずをたびたび持ってきていただいたり、
それまで先生のおうちのお子さんとうちの子が同じ塾で、ついでなので、そちらのお子さんのお迎えを何度かさせてもらっていたということもあったのですが、その塾の送り迎えだけではなく、他の習い事の送り迎えまでしてくださったり…

と、本当にお世話になりました。


 普通の人は、人が困っていても、ノータッチ。
 優しい人は、
「なにかできることはない?」と、言ってくださる。
 仏さまのような人は、なにも言わなくても、相手がどんな助けを必要としているか考えて、一歩踏み込んで 助けの手を差し伸べてくださるんだなぁ…
ということがわかりました。

(お寺の園は、仏さまのいる園かな…)
と思っていましたが、
卒園後三年にもなるのに、こんなに良くしていただき、
地獄で仏とは、まさにこのことだなと思いました。

そして仏さまは他にもおられました。

「お父さん、仕事で遅くなるときは、
うちの家に晩ご飯食べに来てね。
うちは、五人兄弟で、争奪戦やから、さっさと食べないとおかず当たらへんけどね笑、
お父さん出張のときは ホームステイも大歓迎やよ。」

と、メールをくれた 尚子さん。
どこまでもさりげなく温かい
こんなお言葉にどれだけ心丈夫になったことか、計り知れません。

高2の娘のお友達まりやちゃんのお母さんのちえさんは、

「お弁当一つ作るのも二つ作るのも同じ手間ですから」と、

毎日娘の分までお弁当を作ってくださいました。(お弁当作ってください、なんて一言もお願いしていないのに…)

こちらから「もう大丈夫ですので…」
というまで、三カ月間 来る日も来る日も、まりやちゃんは
重たい学校の鞄の他に娘のお弁当まで持って登下校してくださったのでした。

この記事のタイトルのバックの仏さまの画像は、私が苦しくて苦しくてたまらなかった時にTumblrと言うSNSでファンになった匚円堂さまに、本当に厚かましいなと思いながら、「病気平癒のための仏さまをお譲りいただけないでしょうか?」とお願いして彫っていただいた仏さまです。

こうして書き出していくときりがありませんが、そんな多くの方々の祈りとやさしさこそが私の心身をいやしてくださったのだと、
ご厚意の数々を思い出しては、目頭が熱くなっています。


世の中、病気もあれば事故もある、
天災もあれば、不況もある

人生山あり谷あり。
時にはまるで地獄にいるように感じるようなこともあるけれど、

どれだけ大変なことがあったとしても、
周りに仏さまのような人がいれば、
救われる と思いました。

私が救われたからです。

こんな皆さんのやさしさにふれて、すっかり元気になった私。
当時小学校3年生だった息子も今は高一になりました。


🔹今度は私の番

今なにか困っている人のために、なにか少しでも、私にもなにかできることないかな?

と思い、

この夏、末期ガンで闘病中だったママ友さんに、こんなLINEをお送りしました。

私、難病で体が動かなくて何もできなかった時がありました。
そのとき、高校生だった娘のお友達のお母さんがお弁当を1つ作るのも2つ作るのも一緒だからと言ってくださって、毎日娘のお弁当も作ってくださったんです。

私自身そんなふうに、いろんな人に助けていただいたご恩があるので、もしもなにか私にできることがあるなら、なにかさせていただけることがあれば、とてもうれしいです。

○○さんのお弁当のようにおいしいお弁当は作れないと思うし、**くんのお口に合うかどうかもわからないけれど…。息子に「お弁当の運び屋さんしてくれる?」って聞いてみたら、
「もちろん!」って…

とりあえず、思いついたのはお弁当のことなんですが、他にも何かできることがあれば教えてくださいね。

と。

ご自分が入院したりして、子どもさんに手作りのご飯を作ってあげられなくて、彼女も辛い思いをされていたんだと思います。

私の言葉をとても喜んでくださって、はじめは週に二回だけとおっしゃってたんですが、息子さんがとてもおいしいとお弁当を喜んでくださったとのことで毎日作らせてもらうことになりました。(のちに、共通の友人が私も作らせてほしいと言ってくださって木曜日はその方にお願いすることにしました)

私が病気になって何もできなくなったとき、考えることは子どものことばかりでした。
「子どもが寂しい思いをしていないか」「子どもはちゃんとしたものを食べているだろうか…」
 時々夫が
「今日はこんなものを食べたよ」と食卓の様子を撮ってLINEで送ってくれた時
「あーよかった。こんなにおいしそうなものを食べてるんだなぁ」と、どれだけ嬉しかったか分かりません。

なので、1週間に1回ぐらいお弁当の写真と一言だけ解説も添えたお弁当レポートのLINEを送ることにしました。

例えば、

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この紅しょうがはおばあちゃんの手作りで、プチトマトは家庭菜園の無農薬のとれたてなんですよ。  

とか、

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ご飯の上にのっているのは庭のシソの実の醤油漬け。見かけは悪いけど、うちの子の好物なので入れてみました。

とか…。

お弁当LINEレポートを送ると、それはそれは可愛い絵文字と♡と喜びの声がすぐに返ってきて、心の底から喜んでくださっている様子がひしひしと伝わってきました。

ところが、私の両親も入院したりして、実家を行ったり来たりで忙しくなってお弁当レポートを送ろう送ろうと思いながら、なかなか送れなかった時、ママ友さんの訃報が届きました。

まさかこんなに早く逝ってしまわれるとは…予想もできませんでした…。

つつじさん🎵
おはようございます☀️
いつも美味しいお弁当 **大喜びです💕💕
おかげさまで体はきついですがしっかりと神様に守られています😂
その時いつもつつじさんのお顔が浮かんできます😊
本当に感謝しています💖
周りのたくさんの方々に支えられて助けられて救われています✨✨
つつじさんの大きな気持ちがこちらを包んでくれているのがよく分かってありがたいと思っています💖

と、亡くなる10日ほど前に、メッセージを送ってきてくださったんですが、
これは、今思えばお別れのご挨拶だったのかもしれません。

その日は胃がんの母の手術の日で、がん封じの神社と病気平癒の神社と、2つお参りに行ってきて「〇〇さんのこともお祈りしてきましたので…」と、神社の写真のLINEはお送りしたのですが、お弁当レポートは結局送れずじまいになってしまってたことが心残りです。

11月10日のお葬式のとき、私たちや、彼女のだんなさまはボロ泣きでした。

でも、息子の同級生の**君は、まだ高一なのに、
「母はここにいますから…」と、
自分の胸をトントンと叩き、
涙一つ見せず、泣きじゃくるお父さんの背中を優しくさすっておられました。

そして、お葬式の晩に、**君から、LINEが届きました。
それはそれは丁寧なお礼と、「つらく悲しいけれど、母がいつも通りに…を望んでいるような気がするので、明日から登校します。もしよければ引き続きお弁当を作っていただければ嬉しいですが、お疲れのことと思いますので、どうかご無理のないように」と...。
最愛のお母さんを亡くして大変な中、いろいろと気配りあふれるLINEに胸が熱くなりました。

いま私にできることは、1つ作るお弁当を2つ作ることくらいで、大したことは何もできません。

でも お弁当が美味しくて、それを食べるのを楽しみにしているというようなメッセージをいただくと、
すごく嬉しくてありがたくて、(ちょっとプレッシャーはありますが🤣)お弁当づくりにやりがいを感じています。

突然難病になってしまい、体中の筋肉が自分の言うことを聞かなくなってしまい、一時はもう何もできない、誰かのお世話になることしかできない無力な自分…と思った私ですが、少しでも誰かの役に立ててるのかもしれないと思えることで、なにより自分が救われているような気がするからです。


🔹今地獄にいるような気持ちのあなたに…


難病にかかるまでの私は、自分が困っていてもSOSを出すことができなかったのですが、
病気になって、自分にできることがなくなれば、なくなるほど、SOSを出せるようになりました。
そして、自分の周りにたくさんの仏さまがいることがわかりました。

それは、病気のおかげだと思っています。

そしてそのことは病気だけじゃなく、
例えば仕事においても、経済的なことでも、人間関係のことでも
今トラブルを抱えてる方は
なにもかも一人で抱え込まず、どうか、だれかにSOSを出していただきたいのです。
そこで救われることも多いと思うからです。

松下幸之助は成功した要因を人に聞かれて

1. 生来からだが弱かったがために、人に頼んで仕事をしてもらうことを覚えた。
2. 学歴がなかったので、常に人の教えを請うことができた。
3. 財産がなかったので丁稚奉公に出されたが、そのおかげで幼いうちから商人としての躾を受け、世の辛酸を多少なりとも味わうことができた。

と語ったという話を読みました。

今、地獄にいるような気持の方は、今まで自分ができたことができなくなり、それはそれは苦しい思いをされてるかもしれません。
でも、だからこそ、幸之助のように、人に頼んだり人に教えてもらったりと、自分だけではない誰かの力を借りて、その力を活かす力が育つのだと思います。

コロナ禍の今は、たくさんの仏さまが活躍でき、助け合い救い合い補い合い成長し合える時、

お互い今自分にできることを、探し合い出し合って、優しさで癒し合うつながりを育むチャンスなのかもしれません。

どうかどうか、災い転じて福になりますように…💕








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