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ep.2 出会い。

僕が写真と出会ったのは浪人生の頃だった。

子供の頃の僕は「お兄ちゃんとお姉ちゃんはできるのにお前はダメだなぁ」と小1で担任の先生に言われるくらい勉強が苦手で、小中と続けていた野球では何度か打席に立ったけれど、生涯打率ほぼ0割というなかなかの成績を残した。むしろ、思い出づくり采配で最後の一人として代打に出されるのを、苦痛に感じるくらいプライドだけは高かった(ちなみに守備練習が大好きでした)。そして、思ったことをそのまま口にだして、人を傷つけてしまうことが多かった。母からも「いつも一言多い」とよく注意されていた。

当然、友達は少なかった。

そんな生意気なヤツを受け入れてくれた人たちがいた。高校時代のバイト先で知り合った少し年上のお兄さんとお姉さんだ。お姉さんのK美さんは一言多い僕のことを「ツトムはブラックだねぇ」と笑ってくれた。

彼らは地元の幼馴染グループで進路は違ったけれど、子供のときに慣れ親しんだ吹奏楽で繋がっていて「ミューズ」という楽団を運営していた。みんなでワイワイと楽しんでいるのが羨ましかった。縦笛すらまともに吹けない僕はコンサートで照明を手伝ったり、記録写真を引き受けた。仲間に入れてもらいたくて必死だったのだ。

それが写真との出会いだ。

そもそも、写真が少しだけ撮れたのも、ミューズで知り合ったO野くんの影響だ。楽器の上手い下手はわからなかったけれど、彼のトランペットはカッコよかった。美術を専攻していた彼の夢は「何をやってるかわからない人」だった。

「何、この人!? なんだかカッコいい!!」

すっかり懐いた僕は彼の後をついて回っていた。そんな彼が持っていたのが古いカメラだった。

「うおおおお、カッコいい(なんだかよくわからないけれど!)」

大学生になる僕に姉がプレゼントをくれることになった。本当は古いカメラにしたかったけれど、使いこなせる自信がなかったから初心者に優しい一眼レフを選んだ。プレゼントでリクエストを出したのは後にも先にもこのときだけだった。

noteを始めて過去の作品や自分について振り返る時間が増えて、改めて思うのは、僕はここでも写真に助けられていたのか、ということ。

自尊心が低く、プライドだけは高かい寂しがり屋。控えめにいっても、かなり面倒臭いヤツだ。そんな僕にとって「ミューズ」は心の安定剤だった。彼らが受け入れてくれてなかったら、写真で貢献する手段を持っていなかったら、今頃どうなってのかと想像するとちょっと怖い。

社会人になってから、K美さんとミューズ時代の話になったとき「あんたホントにヤバい子だったよねぇ。お母さんはあんたの将来が心配で仕方なかったよ」と笑ってくれ、母親目線で僕を見守ってくれていたことを知った。ちなみにO野くんは晴れて「何やってるかわからない大人」になり、その才能をいかんなく発揮している。

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