セパタクロー熱中時代。 vol.16
あとがき
インドネシアのアジア大会には本稿に入れなかったオチがあります。実は銀メダルを獲得したクワッドの試合に僕はいなかったのです。当初はすべてカバーするつもりでいたのですが、別件で仕事のオファーが入ったので、チームダブルの銅メダルを見届けたあと、イタリアのミラノに飛んでいました。
当時、この仕事を受けるかはすごく悩みました。そこで寺島くんに相談したところ、日本代表のメインはあくまでチームダブルで、新種目のクワッドについては、見通しが立たない状況だと聞き、引き受けさせてもらいました。
しかし、蓋を開けてみればクアッドで史上初の決勝進出。その様子をミラノでチェックしていた僕はギリギリまでパレンバンへ帰る道を模索しましたが、どうやっても間に合わないことが分かり断念しました。
そして、Facebookで代表選手と組んでいたグループメッセージで、自分の薄情さを謝罪し、ささやかなエールを送りました。そのときのスクリーンショットがこちらです。
ミラノのホテルで泣きました。
寺島くんとセパタクローをテーマにしたドキュメンタリー作品はアジア大会直後に「夢を跳ぶ。寺島武志、セパタクローに生きる」というタイトルで、六本木ミッドタウンのフジフイルムスクエアで発表することができました。
※富士フイルムフォトサロン若手写真家応援プロジェクト【写真家たちの新しい物語】について
この展示では大小様々なパネルでセパタクローの魅力を多くの方に届けることができたと思います。そして、関係者やご家族にも喜んで頂けたようで、少しだけですが恩返しができたのではないかと思います。
実は過去にもセパタクローのノンフィクションを売り込んだことがありました。2006年にタイで寺本進さんを撮影したときの写真です。このときも媒体探しには苦労しました。
当時はマイナースポーツだからと冷たくあしらった編集者を恨めしく思ったこともありましたが、よく考えたら年に1度、取材するかしないか程度の人間がいくら喚いたところで、誰の心に届いたでしょうか。
今は覚悟もなくただ騒ぐだけだった自分を恥ずかしく思っています。ちなみにこのときの記事もセパタクローを紹介してくれたK兄さんとの合作で無事に発表できました。
セパタクローの制作は「自らの殻を破りたい」という極めて個人的な発想から始まりましたが、好きなことに打ち込む彼らと過ごした5年間の中でとても大切なことを教えてもらいました。今後も彼らとの付き合いは続きます。2年後には中国の杭州、6年後の2026年には名古屋でアジア大会が開かれます。そのときはぜひセパタクローに注目して頂ければ嬉しいです。
禊の意味も込めて、帰国した選手たちを彼らの家族や選考から漏れた若手たちと共に羽田空港でお出迎えしました。その胸には銀メダルが!
最後にジャカルタ/パレンバン・アジア大会での日本代表の活躍を写真で振り返らせてください。
チームダブルの初戦は強豪の地元インドネシアだった
アタッカー佐藤優樹は仁川での落選を経てこの大会に臨んだ
日本屈指のサーバーの山田昌寛は体格を活かしブロッカーとして活躍した
トサー小林裕和は代表のしっかり者。情に厚いイケメン
自身も元代表選手のコーチ飯田義隆は試行錯誤の日々を送った
アタッカー林雅典はベテランとして若手を支えた
アタッカー内藤利貴は怪我に苦しんだけれど抜群の身体能力を披露した
トサー水戸一希は仁川に続き落選。前回同様、現地まで応援に駆けつけた
日本代表のキャプテンを務めるトサー高野征也は絵になる男。6年後の名古屋まで現役続行を宣言している
サーバー増田稜はピンチサーバーとして貴重なエースを決め期待に応えた
トサー佐藤翼はいつも冷静沈着。寺島と組んだから写真少なくてゴメン
アタッカー寺島武志。彼がいなければこの作品は成立しなかった
この続きは2年後の杭州アジア大会、6年後の名古屋アジア大会で!
本当に終わりッ
<SPOAL「セパタクロー熱中時代。」を一部加筆修正して転載>
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