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セパタクロー熱中時代。 vol.3

僕が初めてセパタクローを取材したのは2004年だった。写真を始めて2年、まだカメラマンとして独立はしておらず、あらゆる競技をそれこそ手当り次第、撮影して回っていたときだ。

以前からセパタクローの取材を続けていたK兄さんの「可愛い子いるよ」という甘言に唆されて、体育館へいったのが最初だった。

当時、僕の目標はワールドカップを取材することだったから、セパタクローはあらゆる競技の中のひとつに過ぎなかった。それでも彼らに興味を持ったのは素朴な疑問があったからだ。

「なんで彼らはセパタクローを続けているのだろう」

プロスポーツを除けば、陸上や競泳でさえもオリンピックでメダルに絡むレベルになければ、社会人で競技を続けるのが難しい日本において、マイナースポーツの置かれている状況は想像に難くない。

当時は大学を卒業したら第一線から引退する選手がほとんどで、代表に絡む選手だけがアルバイトなどで生計をたてながら競技に打ち込んでいた。まさに人生を削りながらボールを蹴っていたのだ。

そんな興味本位から始まった取材が、その後の僕のカメラマン人生を大きく変えることになるとは、このときは想像もしていなかった。

(続く)

※写真は2006年、タイのロッブリーにて。日本代表の寺本進を撮影した。

SPOAL「セパタクロー熱中時代。」を一部加筆修正して転載>

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