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【読書記録】蛇の言葉を話した男

2021年238冊目。

これがどんな本かって?トールキン、ベケット、M.トウェイン、宮崎駿が世界の終わりに一緒に酒を呑みながら最後の焚き火を囲んで語ってる、そんな話さ。エストニア発壮大なファンタジー。

壮大なファンタジー小説ではありますが、剣と魔法の冒険小説ではありません。世界観としては『もののけ姫』に近いでしょうか。

主人公のレーメットの暮らす森は住人の大半がキリスト教徒の村に移住してしまっており、レーメットは最後の子どもとして暮らしています。

前半は森での暮らし、後半は森を出たレーメットが各地を旅して再び森へ帰る行程が描かれます。

物語には多様なキャラクターが登場します。姉のサロメとその恋人で熊のヌヌー。村の宣教師ヨハネスとその娘マグダレーナ。聖なる森の番人ウルガス。レーメットの幼なじみで森を捨て村へ移住したペートロス。かつて森を守って戦った大いなる蛇サラマンドルや百年に一度海上に現れる大魚アフテネウミオン。

様々な登場人物が描かれることによって、森の生活も村の生活も、キリスト教徒も森の住民も動物たちも徹底的に相対化されます。等しく相対化することで、森の生活と村の生活の単純な二局対立としなかった点が面白かったですね。本書はキリスト教徒の文明社会の驕りを非難し、森での素朴な生活を称賛する書ではないのです。

相対化されることによって、交流は他人とのつながりではなく、自分は他人とは違うという孤独を描き出しました。

この孤独こそが本書のテーマです。

本書では滅びゆく人たちの哀愁が随所に感じ取れました。

ペートロスは蛇の言葉を否定し、アフテネウミオンは今回が最後と深い海の底へ沈んでいきました。大いなるサラマンドルも眠りについていて目覚めることはありません。取って代わる存在のはずのキリスト教徒の村も安泰ではありませんでした。

レーメットは単調な森の生活に飽き、村で生活を始めますが、自分の考えを変えることはせず、悪魔の僕たちとの交流を止めることはありませんでした。

異文化の存在は結果として激しい対立を生みました。レーメットは親しい人達を全て亡くし、本書冒頭の一文「森には、もう誰もいない」につながっていってしまいました。

異文化コミュニケーションはかくも難しいものかと思い知らされる一冊でした。

村に移住し、キリスト教徒として生きる道を選んだペートルスが最後まで生き残り、騎士の従士となる(キリスト教徒社会での)栄誉を授かったのは皮肉としかいいようがありません。

晩年のレーメットのように、我々は孤独に暮らすしかないのでしょうか?

問いかけられたものは大きいです。

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