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「暮らし」なんて言葉、大嫌いだった

私の毎日は、ある程度ルーティン化しています。

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8時くらいまでに起床

コーヒー飲んでタバコ吸う

朝ごはんを作り、#モーニングはな Twitterに投稿

掃除、洗濯、洗い物、などの家事を一通り

溜まってるメールや事務のタスクをこなす

練習、筋トレ

昼飯

買い出し、作り置きなどしつつ、引き続き仕事

先に一人で夕飯、テレビ見たり

夫に夕飯

寝る
ライブやらMTGやらがあるので毎日ではないけど、家から出ない日の過ごし方は大体こんな感じ。

Twitterの #モーニングはな を習慣化させたのは、朝ごはんをきちんと食べると一日のリズムが整うことに気づいたのと、躁鬱激しくて不安定な人間だからこそ、愛する人たちに「今日も生きています」のご報告を毎日して、安心してもらいたかった、というのがある。同時に、自分も自分を安心させてあげている。

思えば、結婚するまでの私の生活はなかなか酷かった。

給料日二週間前に千円しかなくなるのがしょっちゅうで電車使えず都内大体歩きで行ったり、毎日朝マックかセブンのお好み焼きパンばかり食べていたり、友達が来てるのにおもてなしどころかおもむろに一人でツナマヨごはん食べたり、トイレの水が止まって慌ててニンテンドーDSを売りにいったり、そのくせ二週間に一度髪の色を金とかピンクとかに変えたり、ライブの前に発狂して眉毛を全剃りしたり、付き合ってた人から逃げるために引っ越した先から一日で実家に戻ったり、婚約してた人以下略

そんな生活を15年ほどしていたので、当時の私には「暮らし」という概念など無く、「生き延びる」ということに必死でした。

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(過渡期の写真。金が無いのに「金運が上がるから!」と金色のヴィヴィアンの財布を持っている)

ゆえに、「丁寧な暮らし」とか「当たり前の中の幸せ」とか「日々の積み重ね」みたいなものへの苛烈な反抗心、「そんな安穏とした感覚になったら死ぬ!!死も同然!!!」みたいに中指立てまくってた結果、トイレの水が流れなくてうんちが流せなくて途方にくれたりしていたわけです。

そんな私も、今じゃ、冒頭の通り。愛する夫と毎日おいしく健康的なごはんを食べ、大好きなおうちをなるべくきれいに保ち、貯金も少しずつ貯めて、たまに温泉旅行に行く。音楽やってなかったらマジでめちゃくちゃ絵に描いたような「暮らし」をしています。

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おうちのベランダから見える朝焼け)
正直、毎日とても、幸せです。

ライブでギャーと叫んでピアノをぶっ叩いて過激なMCなどをして津波を起こしても、家に帰れば凪のような穏やかな気持ちに戻れること。

このオンオフの切り替えと、両極端なことを交互にやっていくことが、私の心身の健康にはすごく合っていました。

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よく、「結婚して何が変わるのか」という問いを貰いますが、私は「全部変わった」と思います。

お金の感覚、
暮らしへの意識、
三食のごはんを食べること、
温泉旅行の楽しさ、
毎日夫に今日の話をできること、
お互いの健康に気をつけること、
些細な変化に気づくこと、
どれだけ一緒にいても飽きない人がいること、
人は皆良いところと悪いところがあること、
損得だけでは人生は面白くないこと、
二人になったら不思議と友達が一気に増えたこと、
こんなに幸せなのだからもっと人にそれを分けたいと思えるようになったこと、
それでも私もあなたも明日のことは約束できないのだという恐怖、
それを忘れないことが相手への思いやりを継続させるコツだと気づいたこと

など、
まだまだ書ききれないほど、あります。

同時に、今のつるうちはなのライブ、音楽は、過去最高にソリッド、かつ、外に開いていると自負しています。

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(写真/マイクサカスミ)


それは、上に書いたようなことを毎日大切にしてるからこそ、できるようになったんだと思います。

守るものが無い、帰る場所の無い戦いよりも、
守るもの、帰りたい場所があって挑む戦いのほうが、タフで、やりがいがあって、私には合っていました。

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人間は、変わらないけど、変わる。

20代の時に絶対嫌だと思っていたことを、今私は山ほど抱えながら、毎日楽しく「暮らし」ています。


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