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それぞれの味覚、それぞれのぬか床

実家を出て従姉と二人、千葉県に住んでいた頃。私は、縁側で豆苗を育てていた。
育てるといっても、スーパーで買った豆苗の根の部分を残しておき、それを水に浸けて日に当てておくだけのこと。
たったそれだけでスイスイ伸びていく健気さが愛おしく、刈り取った豆苗で作ったお浸しもおいしく、私はとても浮かれていた。

浮かれポンチの私は、その豆苗を二回目に刈り取った時に、茎が以前と比べてかなり細いことや手触りが硬いことに気づいていながらも、惰性のままに前回同様お浸しにした。

そのお浸しは、恐ろしい仕上がりだった。噛めども噛めども、噛みきれない。食物繊維そのもののような筋張った茎は、嫌な引っかかりを残しながら喉を通過していく。
無理やり二口飲み込んで、ふと「捨ててしまおうか」という誘惑が頭をよぎった。
けれどこの豆苗は、私がせっせと水を取り替え、いそいそと日の当たる場所に配置し、こまめに声をかけてきた豆苗だ。こんな身近で共に暮らしてきた仲間を、あっさり捨てるわけにはいかない。
尊い生命を、犬死させるわけにはいかない。
そう心を奮い立たせて、私は食べかけのお浸しを細かく刻み、冷やご飯と卵と共に炒めてチャーハンにした。豆苗がやたらと口に残ったが、食べられないほどではなかった。

買ったからには、育てたからには、なんとしてでもおいしく食べたい。
思えばこれが、自分の食に対する執念をはっきりと自覚した最初の出来事だったのかもしれない。

その数年後、私はまたしても同じような試練に直面した。
かぼちゃのぬか漬けが、まずかったのである。
生のまま漬けたものも加熱したものも、ものの見事に失敗だった。
もちろん、これを好きだという人はいる。サラダみたいでおいしいと書かれたブログを見た覚えもある。
ただ、私には合わなかった。
生のかぼちゃは、酸っぱしょっぱいうえに硬かった。いかにも生っぽい、じょりじょりした食感。
普段は食欲をそそるぬか特有の匂いも、生かぼちゃと合わさると無人の飼育小屋を想起させるような、荒涼とした香りに感じてしまう。

加熱したかぼちゃも、残念ながらいまひとつだった。かぼちゃの持ち味である甘味はまったく感じられず、酸と塩が口いっぱいに広がる。
甘いものを長時間漬けて失敗するのは、リンゴに続いて二回目だ。あの失態を活かせなかったことが誠に遺憾である。
ほっくりとした癒やしを求めるなら、かぼちゃは普通に煮るのが一番なのだと学んだ。

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↑ かぼちゃのぬか漬けと生姜味噌ご飯(後述)

ともあれ、目の前のかぼちゃに集中しなくては。
ぬか床に長く漬けすぎた野菜は、しばらく水に浸けておくと塩味が抜けると聞いたことがある。とりあえずぬか床からすべてのかぼちゃを掘り出し、水に浸した。

加熱かぼちゃを取り出すと、切り口のメロンのような味がする部分(通称かぼロン)がほろほろと崩れ落ち、ぬか床に混じり込んでいった。
あーあ。
野菜を取り出す時は綺麗に取り出さないと腐敗の原因になってしまうと、本やサイトで見かけたことがある。
けれど、つまんだ先から崩れていくかぼロンをすべて取り除くのは至難の業だ。ここは潔くあきらめよう。
このほろほろがぬかの栄養になってくれることを祈りつつ、私はかぼちゃの繊維を指ですり潰しながらぬか床に練りこんだ。
この選択が吉と出るか凶と出るかは、わからない。

気を取り直して水に浸したかぼちゃを齧ると、全然味が変わっていなかった。
相変わらず、酸っぱしょっぱい
……つらい。
こうなったら、刻んでスープにしてしまおう
かぼちゃを細かく刻んで、冷凍ごぼうと小松菜を加えて煮る。チューブのパクチーと醤油、生姜で味を整えれば、「なんちゃって東南アジアスープ」の完成だ。

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歯ごたえといい味といい、かぼちゃの面影はもう微塵も残っていない。
鮮やかなオレンジ色だけがかぼちゃらしさを死守しようと最後の抵抗を見せているが、無理やりにんじんだと思い込んで、飲む。
かぼちゃだと思わなければ、意外と大丈夫な味だった。よかった。
それにしても、四分の一カットを全部ぬか床に漬けるのはさすがにやりすぎた。
スープを飲みきると、どっと疲れた。
やっぱりかぼちゃは、普通に煮て食すにかぎる。


一方、殺菌効果を持つ生姜vs乳酸菌を保有するぬかの戦いは、どうやら生姜の勝利に終わったらしい。
別容器で漬けていた生姜を齧ってみたところ、生姜らしい鮮烈な辛さはまったく衰えていなかった。

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↑ 色もあまり変わっていないような気が……。


ガリみたいに薄く切ってそのまま食べられたらと期待していたけれど、それは到底不可能。
細かく刻んで味噌、みりんと炒めれば、ご飯が進む生姜味噌の完成である。
正直ぬか感は皆無だけれど、おいしいから、いい。
ぬか漬けとしては完敗だけれど、もう、いい。

一方はぬかが効きすぎていて、もう一方は素材の完全勝利。
そんな一筋縄ではいかない食材たちを取り出した後は、アボカドとブロッコリーの茎、ピーマンと木綿豆腐を漬けた。
木綿豆腐以外は初めて漬ける食材だ。
とはいえ事前に複数人からおいしいと聞いていたため、かなり気が楽。

二日後に食べてみると、どれも堅実においしかった。
アボカドはスモーキーな香りとねっとりとした濃厚さを身につけ、みーなさんおすすめのブロッコリーはコリコリとした歯ごたえとほどよい塩気をまとっている。

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のりたまさんに聞いて丸のまま漬けたピーマンも、シャキッと感は残しつつ特有の青くささは控えめになっていて、とてもいい感じ。
前回はそのまま漬けてぬかが埋め込まれてしまった木綿豆腐も、キッチンペーパーで包んでリベンジ。分厚い湯葉の燻製のような、しっとりとした濃厚なうまみにお酒が進んだ。

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よしよし、こうでなくっちゃ。
食材とぬかとがうまく噛み合っているのを確認して、ようやく身体から力が抜けた。
今回の失敗(あくまで私にとっては、ですが)を受けて、何をおいしいとするかは、人によって違うのだということを強く感じた。さらにいえば、ぬか床自体の発酵度合いや味、好みの漬け時間もまた、人によって違う。
だからきっとこれからも、「どうしよう、おいしくない!」とか「私には合わない!」と衝撃を受けることは避けられないと思う。
ならばせめて、それに直面した時においしく食べるためのアイデアは、たくさん用意しておきたい。
それが私たちにできる、食べものに対する最低限の礼の尽くし方だと思うからだ。

ぬかプレ

↑ 私のぬか漬け表(最新版)

お読みいただきありがとうございました😆