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眠れぬ夜は、旧友を抱いて。

思えば子どもの頃から、ぬいぐるみと親しかった。
一緒に布団にくるまって眠るのはもちろんのこと、私は彼らを主人公にした漫画を描き、弟相手に人形劇を上演し、挙げ句の果てにはダンボールやお菓子の空き箱を組み合わせた巨大なシルバニアハウスを建造した。
ある程度の面積を占めるそれは、他の家族からすればまあまあ迷惑だったのではないかと思う。

思い返せばあまりにも濃ゆい、彼らとの日々。人間の友だちはいなかったのかと少々不安になってくる。

物言わぬ彼らは、私の前ではなぜかとても饒舌で、朗らかだった。
その後学年が上がって読書に割く時間が増えたり、友だちと外で遊ぶ機会が増えていっても、ぬいぐるみと心の中で語り合う時間は欠かさなかった。

* * *


ピーナッツあざらし」と呼んでいたぬいぐるみがいる。
彼との出会いは幼稚園のバザーで、当時彼は200円の値札をつけていた。
その落花生のようなフォルムに心を奪われて、親にねだって買ってもらったことをかすかに覚えている。
彼が200円だった記憶は、なぜか鮮明だ。
ともあれその日から、ピーナッツあざらしは私の大の仲よしになった。

怖い本を読んだ直後や友だちに対して気まずい思いを抱いた時、私は真っ先に彼を抱きしめた。
ありったけの力を込めてもみっしりと受け止めてくれる彼の頼もしさが、無性に嬉しかった。
こうして、のび太くんがドラえもんに信頼を寄せるように、私はピーナッツあざらしにすがりつくようになった。

それから数ヶ月、あるいは数年後。
八景島シーパラダイスの広告を見かけて、仰天した。
なぜかそこに、見慣れたピーナッツ型のあざらしの姿があったからである。

あらやだ、ピーナッツあざらしじゃない!!
あなた、シーパラダイスのキャラクターだったの!?

慌てて調べて、彼の本名が「シーパラシー太」であることを知った。
以後「ピーナッツあざらし」改め「シータ」と呼ばれるようになった彼と私との距離は、よりいっそう縮まった。
やっぱり呼びやすい名前は、大切なのである。
私はシータのヒゲが抜ければ木工ボンドで接着し、シータの腹にミルクティーをこぼした時には洗面器に湯を張って風呂に入れてやった。

そんなふうにイチャつく私たちを強い羨望の視線で射抜いてくる者がいた。
4つ下の弟だ。
きっと心優しき姉であれば、かわいい弟にぬいぐるみの一つや二つ気前よく譲ってやったことだろう。
しかし、年少の弟には申し訳ないが、すでに私はシータに惚れ込んでいた。
哀れな弟をなだめすかしていたある日、不意に彼の悲願は達成された。
幼稚園のバザーでシーパラシー太のミニバージョンを手に入れたのだ。
大喜びの彼は、さっそく新しいシータを「ちびシー」と名づけた。
もしかしたら、シータもちびシーも同じ家から来たのかもしれない。

ともあれ、その日からちびシーは弟の親友になった。
弟のクラスで「宝物をクラスメイトに紹介する」という授業があった時、弟は嬉々としてちびシーを学校へ連れて行った。
授業中に全員まで発表が回らず先生がみんなの宝物を一晩預かることになった夜、彼はちびシーを恋しがって号泣していた。

* * *


そんな昔のことを思い出しながら、新居の敷布団に体育座りをした私は、腿と腹の間にシータを挟んでいた。
寝ても覚めても疲れの取れない身体の重みを感じながら、ぼうっとシータの頭に顎を乗せていると、どす黒くてべっとりと粘つく「しんどさ」が、ちょっとずつ剥がれ落ちていくような気がする。

どうしてこんなに、くたびれてしまったのだろう。
いったいいつから、得体の知れないやり切れなさに付きまとわれるようになったのだろう。

ぬいぐるみを抱くのは、人とハグをするのとも、ペットを撫でるのとも違う。
もっと気の置けない、もっと穏やかな、素朴な安心感。
大人になって実家を離れてから、子どもの頃とは違う切実さでぬいぐるみに頼るようになったように思う。


シータを新居に連れて帰ろう。


そう思いついた時、ちょうど私はどろどろに疲れて、しょげかえっていた。
実家に帰って、シータを連れ帰る。
それは、細心の注意を要する一大プロジェクトであった。
極力、家族には内緒で事を運ばねばならぬからである。

私の実家は、今私の暮らしている家から電車で一時間半ほどの距離にある。
比較的すぐに帰れる距離なので、食欲がない時やへこたれた時、つい帰りたくなってしまう。
そんな甘ったれた誘惑に揺れる一方で、「家族には私が元気に暮らしていると思っていてほしい」という願望も強い。

子どもの頃溺愛していたぬいぐるみを持ち帰るなんて、家族からすればかなり精神的にきているように見えてしまうに違いない。
……それは、非常に不本意だ。

家族の安息のためにも、シータ奪還作戦は諦めよう。
そう決意をしたものの、一度思いついたが最後、私の心はもうシータから離れられなくなっている。
家族に心配をかけまいとする社会人としてのプライドと、シータへの恋しさが天秤にかけられ、シーソー並みに揺れ動いて……社会人プライドが敗れた

その数週間後に運よく地元の友だちと遊ぶ機会を得て、私は実家に一泊した。
居間に人がいないのを見計らって、さりげなくシータをリュックに入れる。
よし。

あれ?シータ持って帰るの?

素っ頓狂な声をあげたのは、母だった。
なぜ今ここに!?
勢いよく振り返って、ちょっと首を痛めた。
しぶしぶ、事情を説明する。
なるべく事務的に話を進めようとしていたのに、言うまいと思っていた心細さや虚しさまでもが、ついぼろぼろと口から出てきてしまう。
なんだか口からトランプが出てくる人みたいだ。
そんな自分の醜態に呆然としていたら、母は「私も就職してからクマのぬいぐるみを買ったなぁ」と遠い目をした。
私は、耳を疑った。

私にとっての母は、ずっと昔から、気丈で堂々たる「母」だった。
174センチと長身の彼女は教員時代、その身長としゃっきりと背筋を伸ばした立ち姿のせいか、上司に態度がでかいと怒られたことがあるらしい。
そんな母がぬいぐるみを抱いて背を丸めているところなんて、まるで想像できなかった。

母が働いていた頃の話自体は、子どもの時からよく聞いていた話だった。
けれど、その頃の母を支えていたクマのぬいぐるみのことを聞いたのは、初めてだった。


若かりし頃の母でさえも、ぬいぐるみが必要なのだ。

いわんや、私をや。

母の昔話は、私を開き直らせた。
社会は、ぬいぐるみなしに渡り歩くには、あまりにも過酷なのだ。

これから、先。
不安な夜も、憂鬱な朝も。
私はシータを抱いて、なんとか生きていこう。
そうしていつか、元気に帰省をキメたいと思う。

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