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【短編小説】 サルビアの君

「失礼しまーす。まっきー休み?」
隣のクラスの河田が、おかっぱを揺らして入ってきた。
「うん、今日休むって」
と私が答えると、「明日のパート練の担当、まっきーなんだけどな」と困り顔で言った。

まっきーこと牧子と河田は、吹奏楽部でトロンボーンを担当している。
三年生がコンクール後に引退し、今は二年生の二人がパート練習を交代で仕切っているのだと以前牧子が言っていた。

びっちりとカラフルな蛍光ペンで音楽記号が強調され、「気合い!」「心を一つに!」といった暑苦しい言葉が連なっている牧子の楽譜は、遠目に見れば園児の落書きのような賑やかさだった。

「LINE既読つかないんだけど。まっきー、風邪でも引いてるの?」
まさに誰かに話したいと思っていたことを河田に聞かれて、私はがばりと身を乗り出した。
「聞きたい?牧子が休んだ理由」
若干引きながらも彼女が頷いたのを確認し、わざと重々しい口調で言う。

「振られたんだって。『待ち合わせでサルビアを吸うような女は嫌だ』って」
「サルビアって、あの、花の?」
小さく噴き出した河田に気をよくして、私は続けた。
「そう。赤とか青の、あのサルビア。牧子、デートの待ち合わせ場所に早く着きすぎちゃって、暇つぶしに吸ってたら彼氏にドン引きされたんだって。
たしかに彼女が17にもなって花の蜜吸ってて、しかもその足元に赤い花びらがわーっと散っててたら、彼から見ればホラーだったんじゃない」
「うーん、悪いけど妖怪っぽいかも。でも、まっきーらしいっちゃらしいよね。あの子コンクールのホールでもツツジ吸ってたし」
「遠足の待ち合わせでもホトケノザ吸ってた」
「まっきーの花吸いって、もはや私たちには目に馴染みすぎて気にも留めないレベルなんだよね」
「そうなの。でも付き合いたての彼氏からすれば、まごうことなき妖怪なわけで」
「たかだか三ヶ月しか付き合っていないような男に、まっきーのよさなんてわかんないよ」
そう言った河田の声に少しだけ誇らしさが混ぜ込まれているように感じて、彼女の顔をそっと盗み見る。
牧子を彼氏に取られてムカついていたのは私だけじゃなかったんだ。
それなら遠慮なく、巻き込ませてもらおう。

「でさ、牧子に失恋祝いを贈ろうと思ってるんだけど」
私が言うと、河田は眉をひそめた。
「お祝いじゃないでしょう」
「まあ、牧子にとってはね。でも私たち……少なくとも私にとってはお祝いなの。そんなわからず屋と別れられてよかったねっていう」
「そういう意味なら私にとってもお祝いだわ。ここで一転、吹部に専念できるし。
でも、あの彼に光源氏レベルの度量があれば“サルビアの君〜”とか呼ばれていい感じになってたかもしれないよね」

河田の言葉に、ハッと手櫛が止まった。
「河田、和歌詠んでくんない?得意なんでしょ、国語」
「ええっ、いくらなんでも無茶振りすぎない?」
私の突然の思いつきに河田が戸惑うのも無理はない。
でも、もう牧子の失恋見舞いにはそれ以上のものが思いつかなかった。

「こないだ古典の授業で恋文を結びつけた枝を贈られた姫の話が出てきた時、あの子ロマンチストだから『一度でいいからやってほし〜』ってデレデレしてたのよ。
だからサルビアの茎に和歌結んでさ、牧子ん家届けに行こうよ」
私の説明を聞いて、「いいね、ウケる」と河田の目も輝き始めた。
ルーズリーフとペンを渡すと、少し考えてさらさらと書いた。

恋破れ 天の岩戸に こもりたる サルビア姫の 音ぞゆかしき

ふーん。なんかそれっぽいぞ。
「“ゆかしき”ってなんだっけ?」
と私が聞くと、
「“見たい、聞きたい、知りたい”」
と間髪入れずに返ってきた。
「音が聞きたいってさあ、なんかいかにも吹部じゃない?“顔ぞゆかしき”にしちゃダメかな」
「顔だとなんかダイレクトすぎない?音の方が奥ゆかしい気がする」
そうか。なら、これでいっか。

「じゃあさ、放課後に自転車置き場で待ち合わせて、花屋とおかしのまちおか寄って、牧子ん家行こう」
「開けてくれるかな」
河田が不安げに言う。たしかに自分だったら、失恋直後に友だちには会いたくないかも。
変なジャージかもしれないし、顔洗ってないかもしれないし、もしかしたら……目も赤いかもしれない。
私が迷っていたら、「ドアノブにお見舞い引っ掛けておいて、ピンポンダッシュしない?」と河田が助け舟を出してくれた。

そうしよう、と頷くと彼女はまた少し不安そうな顔になった。
「私バス通学だからまっきーの家知らないんだけど、青柳さんは知ってる?」

なーんだ、そんなことか。
「大丈夫。私と牧子は幼馴染なの。
それに……あの子にサルビアの蜜の吸い方を教えたの、実は私なんだ」

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清世さんの企画「絵から小説」に参加させていただきます。
三枚とも素敵で迷っていたのですが、今回は女子高生のお話で。
突然若返りスイッチを押されたような気持ちでわくわくしました。
ちなみにサルビアの蜜を吸って振られた話は私の実話です(正確には付き合ってすらいない男子に「妖怪かよ、怖www」と引かれた)。


お読みいただきありがとうございました😆