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「憧れ」=「なりたい」

憧れというものは、なりたいという感情に限りなく近い。」

以前、このような言葉をどこかで目にした。まさにその通りだと私は思った。

自分の人生を振り返ってみる。
小学生の頃から、自分よりも頭のいい友達や、自分よりも運動神経のいい友達に常々憧れていた。頭はいい奴でありたかったし、体育祭で女子にキャーキャー言われるようなヒーローになりたかった。部活動をしていた頃は、全国大会に出場するような競技力の高い選手に当然憧れていた。
でも私の憧れはそんなもんだった。ごくごく普通の誰もが持つような憧れ。そりゃ頭はいい方がいいし、運動もできたほうがいいに決まってる。
こうして思い返すと、高校生以前の私には、何かに強く憧れたという記憶があまりない。芸能人やアーティストを好きになることはあっても、私にとって、彼らはあくまでテレビの中の人でしかなく、その「好き」という感情は「憧れ」と言うには違和感があった。
「好きではあるけど、別になりたいわけじゃない。」
そう言うとしっくり来る。そもそもなれるかもしれないなんて想像すらもしなかったんだ。

天才。運動神経抜群。お金持ち。モテモテ。そんな全人類共通するような憧れをぼんやりとしか持たなかった私が変わったのは、大学生になってからだった。

大学に入学してまもなく、新入生歓迎イベントでアイスホッケー部の主催するスケート体験に参加した。
「ご飯もおごってもらえて、タダでスケートできるなんてラッキー。」
そんな軽い気持ちでついていった。そこで人生で初めて、生で「アイスホッケー」というスポーツを目にした。衝撃が走った。圧倒的スピード。スタイリッシュな防具姿。激しいぶつかり合い。そしてさっきまで一緒に楽しく話していた優しい先輩たちの真剣な表情。

「かっこよすぎる。」

しかも今目の前で氷上を駆け抜ける先輩たちも、始めた頃は自分と同じ未経験者だったという。自分もこんな風になれる可能性が十分にあるということだ。あんなに「こうなりたい!」と強く思ったのは初めてだったかもしれない。
その日、私はアイスホッケー部への入部を決めた。スケート体験に来ていた新入生は他にもたくさんいたが、その殆どが入部しなかった。それはつまりどういうことか。私が受けたあの衝撃は誰もが感じるようなものではなく、私だけの「なりたい!」という強い憧れだったのだ。
そしてその1年後、新入生たちが目を輝かせているのを、今度は氷上から見ることができた。あの日憧れたかっこいい姿に自分もなれたんだ。

それから私の憧れの連鎖は続いた。
クールでかっこいい先輩の運転姿に惚れ、車を持つことを決意した。
バイト先で、バーカウンターでお酒を作る先輩がかっこよくて、立ち振る舞いをコピーした。とにかく憧れては、少しでもそれに近づくために必死に真似た。
先輩の卒業式での袴姿に憧れて、自分の人生初袴は成人式ではなく卒業式に捧げた。
大学以降の私はほぼ憧れでできていると言っても過言ではない。容姿、言動、考え方全てに自分の「こうなりたい!」が詰まっている。

それから私の憧れは身近な人に対してだけではなくなっていった。
ある夏、フェスでサカナクションのパフォーマンスを観たとき、ただ感動しただけでなく、「なりたい」と思ってしまった。こんなにたくさんの人々を自分たちの音楽で熱狂させられたらどんなに気持ちがいいんだろう。しばらく本気でミュージシャンになりたいと思っていた。

私は、大学時代の先輩への憧れをすべてと言っていいほど現実化してきた。今思えば、憧れた先輩たちは遠く見えるようで近い存在だったのかもしれない。たかが1、2年先に生きているだけ。

「だったら自分にもできるはず!」

そんな思いを強く持てたからこそ、先輩たちへの憧れは、実際に自分に取り込むことができた。しかし、ミュージシャンやプロのスポーツ選手への憧れは現実にすることができていない。なぜだろう。それはきっと、自分自身のどこかで

「自分にできるはずがない。」

と諦めてしまっていたからだろう。「できると信じ込む」ことは「できるようになる」上で大きな役割を果たす。ぼんやりとした「なれたらいいな」ではダメなんだ。可能性をはっきり感じた瞬間、その憧れは一気に現実味を帯びる。

そして今、私は新しい憧れを抱いている。ファンと影響力を持つ、スターへの憧れだ。
私は東海オンエアというYouTuberが大好きだ。古参を名乗っていいほど、彼らの活動を初期から知っている。友達と楽しく働きながら、多くの人を楽しませ、お金を稼ぐ。なんて魅力的な仕事なんだろう。
また、現在は解散しCandy Foxxとして活動しているレペゼン地球というアーティストも大好きだった。大きな夢に向かって底辺から成り上がる。なんてかっこいいんだろう。
私も彼らのように信頼できる仲間たちと仕事をしたい。そして自分自身の価値を高め、ファンや影響力を持つビッグな人間になりたい。そんな憧れが頭からずっと離れないでいる。

彼らも数年前は普通の一般人だった。莫大なお金やとんでもない技術が初めからあったわけではない。してきた活動も難しいことばかりではない。誰にでもできるが、誰もやろうとしなかったことをただひたすらに続けてのし上がってきたのだ。彼らだって特別な人間だったわけじゃない。

「だったら自分にもできるはず!」

先輩たちに憧れたときのようなはっきりした可能性を感じる。だったらもう、それが叶うかどうかは「やろうとするかどうか」にかかっている。叶えるためには、やるしかないんだ。

「憧れ」=「なりたい」だ。
そして「なりたい自分になる」ことは、「夢を叶える」ことと同意だ。
つまり、「憧れ」=「夢」なんだと私は思う。
「夢」と言うとどうしても大きなことを想像してしまう。しかし、アイスホッケーができるようになることも、自分の車を運転することも、バーでかっこよくお酒を作ることも、卒業式で袴を着ることも、全て私の小さな「夢」であり、私はそれを叶えてきた。

今度の「夢」は、今までのものより少し大きい。でもできるはずなんだ。今の私は、1つ1つの小さな「夢」を叶える手応えと喜びを知っている。
できると思ったものはできる。できないと思ったものはできない。
だったらこう言うしかないだろう。

「俺ならできる。」

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