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ハンドメイド界のインフルエンサーになりたいの?と問われまして。

インフルエンサーという言葉を聞いたのは、乃木坂46の曲名で、それがインフルエンザが猛威をふるってた時期でもあったものだから、まずはそれと勘違いし、なんのことやらと思い、後日その意味を知る、といった経緯である。(ちなみに曲の方を意識して耳にしたことは、まだない)。

さてあらためてインフルエンサーについてだ。
Wikipediaより引用すると、その言葉の定義はこんなことになっている。

インフルエンサー (英: influencer)は、世間に与える影響力が大きい行動を行う人物のこと[1][2]。その様な人物の発信する情報を企業が活用して宣伝することをインフルエンサー・マーケティングと呼んでいる[2]。従来の有名人やタレントといった知名度があって多数のフォロワー数を持つインフルエンサーと比べ、フォロワーが相対的に少なく万単位に満たない場合は、マイクロインフルエンサーと呼ばれる。[3]

(引用元は以下より)

ということなのだけど、ようは世の中に影響をもたらす人、言い換えれば、多くの人にとってのある意味カリスマ的な存在となる人ともいえようか。カリスマという言葉が、適当かは、ちょっと語弊があるかもしれないが、誰もがその人に影響を受けたがる、惹かれる、その価値観を良しとする、という点ではあながち間違いではないだろう。

それはともかく。
たまにSNSのプロフィールに「インフルエンサーになりたい!」と書いてある方を見ると、ちょっと戸惑う自分がいる。なんでだろう。
その感じは、思い起こせば、大学四年生のときのマスコミ就職セミナーに顔を出してみたときのものに似ている。「俺たち、私たちは、世間の価値観を作る側に行くんだ!」っていう雰囲気がヒシヒシと伝わってきましてね、なんかその選民思想?にやはり戸惑い、逃げ帰ってきたのでしたよ。

「世の中の価値観を作る側になる」。インフルエンサーになりたい人の深層心理は、そんなとこにあるのではと、個人的にだが思うのだ。つまりそれは「世の中の価値観を与えられる側にはならない」ということだと逆説的に言える。わたしは、この考え方による世の中の2分割が実はとても苦手なのだ。というのは、実際、そんな2分割で世の中出来るほど単純ではないし、例えそうだとしても、結局のところ個人の価値観は与え与えられあって作られるのだと、感じてる。

人間、野心的であってもいい。(ということはモーニング娘。も「Ambitious! 野心的でいいじゃん」という曲で歌っている、ハイ、余談)。野望を持っちゃいけない訳じゃない。だけどその方向を、インフルエンサー、という口当たりの良いことばに隠して「世間に一握りしかいない特別なわたし」を目指しては、なんか、変なことになるのではと懸念してしまう。やはり、選民思想を感じてしまうのね。特別なわたしたち、特別でないあなたたち、その2分割でしか世間や人生や人間関係を作れなくなったら、おそらく、とてもつまらないことになる。そういう懸念だ。

とはいえ、お前はどうなんだ、と言われる。ハンドメイドライターとか名乗って、あれこれ物申して、要はハンドメイド界のインフルエンサーになりたいんじゃないの。と、聞かれたことがある。わたしは、正直、自分がやっていることがそう見えるのか、とかなり、戸惑ってしまった。
少なくとも、わたしは、インフルエンサー、になりたいわけでない。ハンドメイドに対するわたしの変態的な愛から来る、あれやこれやの活動やら発言やらは、ただまずは「わたしはこう思う」という自己主張に過ぎなくて、さらにその後に「あなたはどう思う?」という問いが続くのだけど、それは問題提起でしか自分の中でしかなくて、同調をハナから求めるものではない。
結果として、僭越ながら、もし、わたしがそのあれやこれやで誰かに影響を与えているとしても、それは問題提起の結果でしかなくて、それはやはり、世間でいうインフルエンサーというものとは違うのだと思ってる。そりゃ、うん、そうだよね!って言われるのは、否定されるより嬉しいけど、それは自然な人間の感情だと思う。

わたしはわたしが生きた証が欲しいだけだと何をするにも思う。もしかしたら、インフルエンサーを目指す人も、他人への影響力というのに自分の生きた証、存在価値を求めてるのかもしれない。
なら、やはり、わたしはインフルエンサーにはならない、というか、どう転んでも、なれない。自分によって、誰かがこうした・ああした、ということに生きた証は求めない。結果として誰に影響を与えようとも、わたしは、誰かを動かしたことより、自分の心の思うように生きることに、自己の誇りを求めたいのだ。

いろいろがんばって日々の濁流の中生きてます。その流れの只中で、ときに手を伸ばし摑まり、一息つける川辺の石にあなたがなってくれたら、これ以上嬉しいことはございません。