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オンラインの、その先

インターネットの発達と共に、私たちの生活も変わってきた。

特に最近では新型コロナの影響でリモートワー化も進み、どこにいても仕事や授業を受けることができるようになった。多くの人が場所の制約を超えて動くことができるようになったと聞く。

しかしリモート化の技術はそれまでもあったし、今のような働き方を実現することは十分可能だった。しかし、今までの習慣や思い込みがそれを阻んでいたように感じる。リモートの方がいいと思っていたとしても、それを言い出す人が異端とみなされたり、絵空事や何かの言い訳として言っているとしか見られなくて、相手にされなかったのではないかと思う。
それがコロナという全世界的に大きな出来事によって、一気にみんなが変わる必要が出てきた。誰がとか何処がとか、言ってられない。ある意味強制的に、変わる必要があった。きっと、そうでもなければこれほどのスピードで私たちの生活が変わることはなかったんじゃないかと思う。

コロナも大きな出来事だったけれど、(そしてそれは今も続いてはいるのだけれど)iphoneが世の中に出た時も衝撃だった。新しいテクノロジーや機器が、私たちの生活に身近になって、多くの人の生活様式が変わった。

この先の近未来の想像、
私としてはこうなるような気がするなーという話をします


例えば紙のように薄いポスターのような液晶がもっと多くの人が買えるような価格で普及するようになったら、オンラインでリビンングをつなぐこともできる。一人暮らしの学生の部屋に、大きなポスターが貼られていて、普段はポスターなのだけれど、来客がない時は実家のリビングとつながっている。全く別の場所にいるのに、晩ご飯に野菜を切る音が聞こえてきたり、向こうのテレビの音が聞こえてきたり、こちらで本を読んでいるけれど、あちらではお母さんが編み物して、お父さんがお茶飲んで、みたいな。そんなことができたら寂しくないよね。単身赴任のお父さんにもいいかも

もちろん過保護な親御さんが「ずっとつないでおきなさいよ!」と言って監視するような問題が出てきたり、そんな時用にフェイク映像制作が新しく旬な仕事として現れるかもしれない

動物園のカメラと繋いで自宅でオリ越しでない動物観察もできるだろうし。そうなったら「昔はオリに動物を入れて外から見てたんだよ。パンダなんて2時間待ちだったんだから」「えーー何それ、家で見ればいいじゃん」って会話もあるかもね

ヒマラヤの頂上の空を部屋に飾れるかもしれないし、1日の富士山を病室からずっと眺めていられるようになるかも

つなぐことが当たり前、つながることが当たり前になったら、今よりもっと掃除するようになる(散らかってたらかっこ悪いからw)もっと個人のものは少なくなって、いろんなものをシェアするようになると、ものを持っていることがむしろダサい、みたいに見られるようになるかも。いやむしろ、もっとより「何を持っているか」にフォーカスされて、例えばたくさんの砂のコレクションを持っている人が、その砂をアートにして、友達に「これは砂丘の砂で、こっちは砂漠、これは甲子園の砂だよ。昔甲子園って高校野球の聖地と呼ばれていて、感動的な試合がいくつもあったんだよ。」って説明して、「すげーかっけー!」って会話がある、とかねw

砂の場合はその砂自体よりも、その人がそこへ行ってきたという経験の蓄積がカッコいい、何を選んでどんなことをするか、そのセンスに価値が見出される、そんなモノからコトへと価値観の移行もあるかもしれない


どんな変化でも何かをしやすくなる、挑戦しやすくなる世界になったらいいな。挑戦するにはそれができる環境が必要、お金のこと、衣食住のこと、ハード面の心配が今よりもっと個人の負担が少なくなって、やりたいことにすぐ取り組むことができる、そんな速度の速い世の中になったら、あなたは何をするだろう。私は、昼寝かなw

おとぎ話だと思う?


じゅんぐり回していきます☺️ 忘れた頃に、大きく育ってあなたのもとにも還りますように🙌🏼