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羨ましいの正体

「羨ましい」は自分への枯渇である(断言)
という話。

素敵な人を見て、いいなぁ、羨ましいなぁと思ってしまうことってあると思う

最近は無くなったものの、20代の頃は、例えば友人が活躍したりなんかすると、嬉しい反面自分への焦りがあったり、羨ましいと思ってしまったり、嫉妬が出たり...
そんなことがあった

自分の中で、他の人と比べて沈んでしまう

自分よりずっと若くて成功する人もいるし、
同い年なのに大きな賞をとって成果を出したり、
綺麗でお金持ちで全てが約束させていそうな人もいたり、

きりがない程、世の中にはキラキラ輝く人がいるのです(素敵よね)

今、他の人を羨ましいと思うことは無くなったけれど、今年は特に「自分の自己肯定感を上げる」をテーマにしたので、自分と向き合う中で、「あ、これこれ。」と、改めて見えたこともあった。

備忘録として書いていきます☺️

まぁ長くなってしまったので(苦笑)
見たいところだけでも読んでもらえたら嬉しい


「羨ましい」って、
実は外でなく内向きの言葉

「羨ましい」って、外に向けた言葉だと思っていた。けれど、実は内に向けた言葉である、
という発見。

「あの人が羨ましい」なら、一見「あの人」に向けた言葉だと思うけれど、実はあの人を「羨ましい」と思う自分の状態を示している。

「あの人が羨ましい」は、“あの人”に向けた言葉じゃなく、「あの人みたいではない、今の自分」に向けた言葉

「羨ましい」のは自分だから、
そこには「羨ましいと思っている自分」がいるだけであって、実は「あの人」がメインではない。
全部、自分の中で起こっている出来事なのだ

「羨ましい」は、その時の自分を知るバロメーターみたいなものだ

自分の状態を確認できる、鏡のような便利機能、
それが「感情


何者かになりたい

昔はそう思っていた節がある

例えば大きな賞をとって認められた人、とか
仕事で成功して社会的に一目置かれる人、とか
雑誌やメディアに載るような人、とか
お金持ちになって優雅で余裕がある人、とか

「何者かになりたい」は
「今の自分ではいけない」が裏にある。
「今の自分」を否定している。信じていない。
今の自分を「認めてあげていない」がある。
その枯渇が「羨ましい」感情や焦りを呼び、
モヤモヤ・イライラとなって現れる

「何者かになりたい」の「何者」は、
実は他者から受けた「イメージ」である
自分から発生した自分の想いの延長線上とはちょっと違う「社会的な理想の姿形」のイメージに影響されていたことに気づいた

自分が自分であることを許す、
今の自分、そのままの自分を認める、
自分に自信を持つなら、
自分以外の「何者か」になる必要はない

自分が成功したいなら、「何者かになる」のではなくて「成功した自分」になるために、逆算して今すべきことをするはず
ならそれは「今の自分」の延長線だから、
「今の自分」も、目指す「先の自分(成功した自分)」も「自分」である

自分以外の何者でもないのだ


誰かの幸せを素直に喜べない時

素敵な人を見て素直に「素敵!」と思えず
「羨ましい」と思ってしまうのは、
自分への愛が足りない時だ。
「羨ましい」=「あんな人になりたい自分」「こんなはずじゃなかった自分」
その時の自分を否定し、認めていないから起こる現象である


自分のことをもっと見てほしい、認めてほしい、愛してほしい、自分の中の自分がそう思っている
でもそうでないから悲しい、そんな自分の声が聴こえてくる

自分の中の自分は、誰かに見てほしいでもなく誰かに認められたい訳でもなく、「自分」に見てほしいのだ。自分に認められたい。でもそうでないから悲しい、自分への枯渇



羨ましいの根底にあるもの

誰かを「羨ましい」と思う

今の自分ではいけない

そのままの自分を認められない

その根底には

自分はそのままの自分ではなく「こうしなくてはいけない」刷り込みがある

「羨ましい」について書こうと思ったのはこの動画を見て「あ、そうそう」と思い出したのです

(すごいタイトルよね。笑)

私たちは周りから「こうしてほしい」を要求される状況がある。それは便宜上その方がいいから、集団生活を動かす都合上必要なことだけれど、言葉足らずで自己否定を招くものも数多い

生きていく過程で知らず知らずに受ける“洗脳”と呼ばれること。でもそれは意図があったりなかったり、結果的に洗脳になってしまっている、
私は「勘違い」だと思っている

自分は自分でいいのに「そのままではいけない」という思い違い

そうじゃないよ、そんな意味ではないからあなたはあなたのことを大切にしていいし、そのままでいい。「まず自分を認めた上で成長していけばいいんだよ」と教えてくれる人がいたら、聞く耳をもっていたら、多分自分を大切にすることを許して、自分を好きで、自分を認めて、良いところを伸ばして変わりたいと思うところを変えていける。

誰かを「羨ましい」と思うのは、自分を見てほしい自分からの信号

自分が枯渇しているよーとか、疲れてるよーとか、自分が知らせてくれている

だから気づいて自分と向き合う時間を持てたら、きっと必要なことが見えてくる

自分を認めると他者を認められる

例えばもし自分のことを考えられない程忙しいなら、その忙しい状況を変えるためにできることを始められるし、具体的に取り組むことが見えてくる。すると心が安心する

気づいたら、見る、向き合う、解決へ取り組む

その繰り返しで、きっと「羨ましい」と思うことは減って、素直に「すごいな」とか「素敵!」と思えるようになる

他人を認められるようになる

自分を認められたら、自分以外も認められる

自分を認められないから、自分以外も認められない。自分を認められないのに、あの人だけずるい!となってしまうのだ

大事なのは、まず「気づく」。そして向き合う。そうして見えた必要なことを一つずつする。
その積み重ねで、積み上げていく
それが自分への自信になる

大事なのは自分を責めないこと
これがコツです

人を「羨ましい」と思うことで、何くそ!とパワーに変えることもある。それはそれでいい☺️
負けない自分になるために、自分のために行動する力にするなら、それはエネルギーの循環が出来ているから、それでもいいと思うのです

でも、そのままではいつまでたっても満たされない。ある程度山に登れて見渡すことができたら、自分は誰に認められたいのかを振り返ってみるといいと思う。例えそれがお父さんなら、お父さんに認められることで自分を認めることを許す、最終的には自分に行き着くと思うから。


産まれてから死ぬまで
ずっと一緒にいる

自分と一番付き合いが長いのは自分だし、
楽しい時も嬉しい時も、
辛い時も悲しい時も、どんな大きなトラブルが起こってもそばにいてくれる
死ぬまでずっと片時も離れずに一緒にいる
それは誰でもない「自分自身」だ

そんな自分を喜ばせてあげて、いいんだよ

自分を好きでいいのです
自分を愛することを許してしまえばいい


ダメな自分でも、何者でもない自分でも、
自分を認めることに条件なんていらない

正確には、
条件を付けるのも、付けないのも自分なのだ。
だから自分で決めていい
自分のことだもの

他の誰に決定権があるものでもない
他者は自分に関係ないように、自分も他者自身には関係ない。だから、誰かに入り込もうとしなくていい


大切な人のために、してあげられること

大切な大切な自分のために、
時間を使ってもいいし、好きなものを買ってあげてもいいし、自分のことを想えば本当に自分にいいもの、自分のためになるものを選ぼうとするはず。大切な人にあげるものだもの

自分のためにお金を使うことを許していい
その人のことを想うなら、堕落した浪費ではなくて、本当に必要で効果的な使い方を選ぶと思う

お金の使い方もいろいろだけれど、
現実逃避として一時の快楽にお金を使って、後で何か違うと思うなら、多分それは自分のことを見ていないのだ。自分のことをちゃんと見て必要だと思ったのなら、たとえそれが他の人から見てしょうもないと思うことでも自分にとっては意味がある。例え失敗したとしても

今は気分が落ち込んでるからパフェを食べようとするとして、そこに罪悪感を持つなら違う。
でも誰かに「またそんなもの食べて」と言われても、これを食べることで幸せを感じて、贅沢させてあげる“許可を出した自分“を褒めてあげられるなら、落ち込んだ気分を最短で変えられるなら、
また動き出せるから自信を持って「いいの」と思えるなら、万々歳だと思うのです

何を正解とするのかも自分次第

だから自分を認めることってとても大事


ピラミッドの最下層

ピラミッドの一番下の部分がそれなのです

一番根底の「今の自分、そのままの自分、自分自身を認める」ができていないと、その上に何を持ってきても崩れてしまうのだ

自分を好きでいいよ、
自分を愛してあげていいんだよ
大前提として、自分を認めていいのです

ナルシストとか、自信満々のいけすかない人ではない。自分を好きなことが傲慢になることとは違う。安心して、好きになってください、自分自身のこと

今日も自分を愛することができたら、何ができなくても一番大切なことが“できた“

「それでいいのだ」




じゅんぐり回していきます☺️ 忘れた頃に、大きく育ってあなたのもとにも還りますように🙌🏼