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相反するものは同居する

昨日うちの庭にアナグマが出ました

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私はあのタヌキみたいにぽてぽてした感じが好きで、可愛い!と思う派ですが、夫はバリバリ捕りに行く派であります

最近ポジティブとネガティブは同居すると自分の中で発見したことがあり(後日書きますね)
巷でよく扱われるテーマで、似てるなーと思ったことを書いていきます


まず、

前夜、晩ごはんの時にアナグマの話が出まして、

山でアナグマを見つけ「お!アナグマや!よっしゃ!」と、とっさにナタを投げた夫😂

その後いろいろあって、アナグマは逃げおおせたようで、そんな話を聞いたよく朝、なぜかタイムリーにも我が家の庭にアナグマが!

なんてタイミングなんだ!

その日、夫は休日出勤だったので、アナグマは無事、我が家の庭を後にしました。

そんなアナグマを見ながら、心の中で思った、
「よかったね、アナグマ。食べられなくて😂」


と、こんな話をするとですよ、
中にはこんな可愛いアナグマにナタを投げるなんて可哀想‼︎って言う人が絶対いると思うのです

それ自体は別にいいのです。
だって、感じ方なんて人それぞれだから。

でもね、よくあるのは

「命を大切にしましょう」とか
「生き物に感謝しましょう」とか、

「食べられる命に感謝して残さず食べましょう」とか、


いいんですよ。
正論でしょう。合ってます合ってます。


でも私が思うのは、「可愛い」と「食欲」も同居するということです。

うさぎとか鳥、牛とか馬も可愛いですよ。
でも美味しいよね。

鳩とか豚もそうだし、雀も串焼きで売っていたりする。どの動物も「可愛い」けど「食べる」よね。そこに「可哀想」を挟むなら、食べなきゃいいんじゃない?と思うのだけれど、多分そんなことを言う人は「ぼく・私は殺してないから悪くない」って言う傾向がある。


その「悪い」って何?


殺すことは「悪」だけど、「食べる」ことは仕方のないこと?それ、誰が決めたこと?その価値観は個人のものです。


顔の見えない誰かにト殺してもらって、お肉になった状態には可哀想と思わないのに、生きてる動物だったら可哀想なの?殺すことが悪なら、自然界の虫も動物も、みんな悪じゃん。みんな殺して食べてるんだから。


なんとなく、自分の都合の良い方へ感情論が入り混じって捻れた正論みたいな感じがして、私は「いやそれ、綺麗事でしょ」と思ってしまう。


私はアナグマも機会があれば普通に食べるし、美味しいお肉は美味しく食べたい。

可哀想とは思わないし(まぁ、0ではないけれど、それほどない。だって、可哀想と思いながら食べる方が失礼でしょう。)感謝しなくちゃいけない」とも思わない。なぜなら、「感謝しなさい」って言葉は命令で「感謝すること」が目的になっているから。もっと大切なのは、「なんで感謝しなきゃ”いけない”の?」ってところだと思っている。

それは、多分、個人で違う。


正論は正論。でも、実際はもっと多様で、思うことも感じることも人によってそれぞれなはず。

ネガティブでもポジティブでもいいけど、せっかくならしっかり「感じる」ことができれば、何か学びになるんじゃないかな。と、私はそう思う。


動物たちのお肉も食べるけど、可愛いとも思う。

可愛い〜!とも、締まった肉だな、とも、
2つの思いは同居する。一見相反するようだけれどそこに矛盾はないです


そんな話ですが、「命を粗末にしていい」とは思っていませんからね!くれぐれも、誤解なきよう🙏

「いただきます」も「ごちそうさまでした」も、ちゃんと言う。大切にしている言葉です☺️



じゅんぐり回していきます☺️ 忘れた頃に、大きく育ってあなたのもとにも還りますように🙌🏼