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前世のトラウマをお空に帰す方法

釣アンナ恵都子
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今日は2022年5月18日。マヤ暦の260日の周期が終わる、マヤ暦の大晦日のような日です。そんな日に、心の大掃除、とも言える、大きな気づきがあったので書いておきます。
 
今、この世は間違いなく次の時代へ進んでいるわけです。
先日、天体の星が重なる特別な日に、手放しのワークをやってから、なんだか冴えており、いろいろなことに気づくようになっています。
 

あるSMSでふと気付かされる


そんな中、友達からあるメッセージが届きました。「今度パーティーをやります。参加者はOOなどです。。。」そんなたわいもないメッセージからまた一つ気づきをもらえたのでここに書いてみます。皆様の何かの気づきになれば幸いです。
 
自分はこのところ色々精神的なことの勉強をしてきて、過去の自分の辛かった思い出や自分の弱さとも見つめ合ってきて、自己承認も少しづつできるようになってきて、「もう大丈夫。自分は元気いっぱい。これから人を助けなきゃ。」と思っていたのですが、あることから、 自分の中にまだトラウマの傷があることに気がつきました。
 

現在、ある人がどうしても苦手、という状況があり(その人とはまだ二度ある集まりであってちょっと話したことがあるくらい。普段は同じ街にも住んでいないし普段の生活では完全に忘れているくらいの存在感の人)、これは、他にどんなに素敵な友達がたくさんいるとっても楽しいパーティでも、「その人がいるなら私は絶対行かない」、と頑なになるくらいのものだったんですが、どうして「その人」とそんなに会いたくないのかな、と考えたら、ふと、天から答えが降りてきたんです。多分、これは前世のトラウマ、からきていたみたいです。なんでそう思うかという、トラウマにまつわる自分の話をします。
 

過去の自分を振り返る


ずっと自分の過去を振り返ってみると、そう言えば、自分は幼稚園、小学校の頃は男性恐怖症でした。自分と同い年から50歳くらいまでの年齢の男性がとにかく怖い。(年下とおじいちゃんは大丈夫)
中学、高校、大学時代になるともう男性に対して恐怖を覚える気持ちはほぼ消えていったけれど、男の子に恋心を抱くことは全くなかった。周りの女子が「あの男の子かっこいいよねー」などと話している会話には全然乗れない。時々、自分はおかしいんじゃないか、レズなんじゃないか、と悩むこともあったけど、女の子に恋心を抱くわけでもないので、これはどう言うわけなんだかさっぱりわからなかった。中学くらいから男性に対する恐怖が消えてからは、男子も女子も同じ人間として興味があるので、友達、としてなら男の子と二人っきりになっても全然平気なんだけれど、恋愛的な雰囲気が匂い出すと、もうだめ。スタコラさったと逃げ出す感じだった。(その当時、デートだと思って散歩とかに誘ってくださっていた男子諸君、ごめんよー。私はただの友達との散歩だと思っていたんだよ。苦笑)

その後、ほんの少しでも恋愛的な雰囲気を伴って近寄ってくる人を敏感に感じ取り、その「恋愛シグナル」を完璧に無視して単なる友達としてコミュニケーションをとり続ける技術を身につけた。ただ、ある一定いる、「まずはお友達になりましょう」の段階を飛び越えていきなり「恋愛120%」でくる人は全然だめ。苦手を通り越してその人に恐怖を感じる。なので、自分を守るためにその人から逃げるか避ける、ということを無意識レベルでするみたい。

みんな、なんで、かわいいくみられたいの?


ちなみに、自分が女性的に見られるのもずいぶん長い間だめだった。「綺麗ですね」なんて言葉はたとえお世辞にも言われても全然嬉しくない。(外人の男性陣は場を盛り上げるためにこの言葉をよく言う。笑)自分が美人かどうか、について疑問がある、ということ以前に、「綺麗」=「女性としてみられている」ということに昔からなぜか非常にネガティブなイメージがあって自分が自分で不思議だった。女性的な服装、つまり、スカートも履きたくない。自分が服を選ぶ基準は、「清潔に見える」「ちゃんとしてみえる」「機能的」というもの。中学の時とか、わざわざ制服のスカートを短くしたい他の女子の気持ちがわかりかねていた。「可愛く見える服」「肌の露出が増える服」は自分にとっては「女性らしさを前に出す」=「危険」なイメージがあって、わざわざ着たいと思わなかった。頭では、普通の女子は、「可愛らしく見える」=「女性らしさを前に出す」=「質の良い男子をゲットできる」=「良い子孫を残す」という、本能的な感覚からきているのだ、ということは理解できるのだけど、自分の心はその本能的感覚が完全に凍結している感じだった。
(ちなみに、舞台衣装になると完全に吹っ切れるので多少の肌の露出があってもちゃんと着られます。なぜなら、舞台で起こることは現実の世界じゃない、という安心感からだと思います。)

頭の中のパズルがかちっと合う瞬間


で、どうして、そんなに自分が女性としてみられることに恐怖を感じるのか、ということについて考えてみた。ふっと思い出した。何年か前に、戦後特集で、国を守るために体を差し出せと言われて強制された女性たちのことを読んだのだ。その記事を読んだ時に、何か自分でもびっくりするくらいものすごい衝撃と不安な気持ちが走り、その村の様子が目の前にありありとみえるようだった。なんでこんなにこの話に心が震えるのだろうか、とその時は自分で自分にびっくりしただけだったのだが、ここにきて頭の中のパズルとパズルがカチッとあうように、ピンときた。どうやら、自分の前世で何か性的なことに関係する大きなトラウマがあったんだ。多分、あの時の記事のように、戦争直後、体で国を守れと村中の人に言われて他国の兵士に差し出されたうら若き娘だったか何か。
 
そういえば、自分は小さい頃から、日本の同調圧力、が大嫌いだった。みんながやっているから、という理由で自分もしなければいけない様々なことに大きな疑問があったし、人と意見を合わせなければいけないという日本の文化が怖かった。日本にいる時は、みんなに合わせなければいけないストレスでよく体を壊していたしアレルギーや高校くらいからはアトピーまで発症した。だから海外にでてこの同調圧力から解放されたらアトピーなんてあっという間に直ってしまった。そして、よく海外に出た日本人がする、「日本文化アピール」(例えば和紙を配ったり、浴衣を着て歩いたり。)を自分では全然できなくて、海外に出てからも、日本が好きだとはこれっぽっちも思わず、自分が日本人であることを心の奥底で忘れたい、と思って生きていた。(今はそうでもないけれど、それでも日本人グループの中に入るのけっこう度胸入ります。)

多分、同調圧力によって、「自分の体を兵士に差し出すことが仲間を守るために正しいことなのだ、やれ!」、と強制した日本国民への恨み、と、乱暴に性的に搾取された際の究極の恐怖、がトラウマになっているのだろうと思われる。
 

「恐怖」はその出どころを見つめれば自然に消える


と、ここまで自分の恐怖の出どころを掘り出してみた。
恐怖はその出どころを探し当てれば消えるというが、このトラウマは現世ではないからか、消えそうもない。ではどうしようか。
こういう時は、インナーチャイルドを呼び出す心理学のワークを応用してみる。
ただ、その時の前世の自分に戻って、誰が悪かったのかと悪と正義を炙り出してもしょうがないことだ。(この世の中の物事を正しいと間違っている、だけでジャッチしてはいけないというが、それはこういうことなのだな。)なので、

インナーチャイルドを呼び出して自分を癒す心理学のワーク


目をつぶって、イメージの中で、自分で前世の自分に会いにいく。そして、まずは前世の自分を思いっきり抱きしめる。「辛かったね。怖かったね。恐怖を感じてもいいんだよ。あなたを愛しているよ。もうパニックにならなくて大丈夫。」しばらく抱きしめてその前世の自分がパニック状態が収まり少し落ち着いたところで、「この恐怖の出どころを見てみよう。」と一緒にその恐怖と向き合ってあげた。
するとまあ不思議、心の奥底の恐怖が消えて行った。
 

自分を癒せるのは自分だけ


自分を癒せるのは自分だけ。癒しは人が与えてくれる、と思っている人がいるけれど、そうじゃない。
恋人、友達、カウンセラー、ペット、動物、音楽、自分の好きな物、アロマ、等々、癒しを歌うものは世の中に蔓延しているが、それらは束の間辛さを忘れさせてくれるだけだ。根本的に自分の心の傷を癒せるのは世の中でたった一人、自分だけ。これは病気も同じ。病気を治すのはお医者さんじゃない。自分自身だ。それはアトピーのようなものから、ガンまで、なんでもだ。薬は一時的な症状の緩和であって根本治療ではない。自分が治りたいと本当におもわなければ病気は治らない。
 

依存し合う男性性と女性性からも脱却しよう


世の中には女性に癒してもらえるだろうと思う男性が山ほどいるし、男性に守ってもらいたい女性がわんさかいる。しかし、そういう依存状態では男女関係はうまくいかない。相手に幸せにしてもらいたい、と思っていても絶対にそれは叶わない。なぜなら幸せを感じられるのは自分自身の心だから。馬を水辺に連れて行くことはできても馬に水は飲ませられないのと同じ。他人はそのきっかけにしかならない。自分を癒すのも幸せにするのも自分。他力本願は何にも生み出さない。
 
自分の心の傷を癒すためには、その傷の出どころを見つめなければいけない。これはとても勇気のいる作業である。上記のワークは自分の精神的エネルギーが高い時(心が元気な時に)にやってくださいね。その自分の傷を見てやろうじゃないか!という気分になった時は、もう大丈夫、乗り越えられる力があるということです。そして、その傷にまっすぐ向き合うことができたら、そしてその痛みを伴っている自分を許すことができてそのまま愛で包み込むことができたら、その傷はあっという間に消えていきます。
 

 自分をたくさんハグしてあげよう


自分の心の中で陰と陽など、すべての気持ちのバランスが取れている人の生き様は、外から見ていてなんとも素晴らしく周りの人を幸せにする。そんな人になるためには、まず自分と深く向き合わなければいけない。自分の意識を外に向けるのではなく、(つまり周りの人を救おうとか、誰かのリーダーになろうとか思わないで)まず自分の中に意識を向けよう。そしてたくさん、たくさん自分を許し愛しハグしてあげよう。
私の中にもまだまだ自分自身で気が付いていない、心の傷があるんだなあ、自分で癒してあげなければいけないところがあるんだなあ、と気づいたマヤ暦の大晦日でした。まるで心の大掃除のような。自分の心の傷をまた一つお空に返してあげれました。


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