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映画刀剣乱舞ー黎明ーにおける小烏丸考察

2023年3月31日公開の「映画刀剣乱舞ー黎明ー」に、小烏丸が登場。筆者も4月に複数回拝見し、色々な気づきを得られたため、稚拙ではあるが小烏丸に特化した考察を述べてゆきたい。
脚本や演出については多数の意見がある本映画だが、ここで紹介するのは本当に小烏丸だけの話である。脚本についての話は全くしていないのでご了承願う。

以降、考察とともにストーリーに触れるネタバレを多く含むため、未鑑賞でネタバレは見たくないという方は後日読み進めていただけたら幸いだ。

ストーリー

原作ゲーム「刀剣乱舞ONLINE」(以降、原作)と同じく、歴史を守るべく刀剣男士と歴史修正主義者が送り込んだ時間遡行軍との戦いが描かれる。

時は995年の平安京。藤原道長の命で源頼光が大江山の鬼・酒呑童子の討伐に向かう途中、時間遡行軍の襲撃を受け行く手を阻まれる。そこに刀剣男士たちが到着し彼らを救うのだが、先行して敵のねぐらに向かっていた山姥切国広は酒呑童子の呪いを受けて、消えてしまう。
山姥切国広を追っていた三日月宗近は、その痕跡を見つけ出すがそこは2012年の東京だった。そして、そこで重大な危機が迫る。

登場する刀剣男士は、三日月宗近・山姥切国広のほか、へし切長谷部、山姥切長義、髭切、膝丸、一期一振、骨喰藤四郎、堀川国広、小烏丸の10振りだ。

小烏丸のキャラクター設定(原作との違い)

まず最初に、原作においての小烏丸についての説明と、映画公式パンフレットにおける説明を比較してみよう。

古来より重宝として名高い太刀。一説では日本の刀剣が日本刀と呼ばれる形になる成立過程にある一振り。故に、烏の童子を想わせる姿で励起されるが、他の刀剣たちは言わば我が子であり、自らはその父として振る舞う。

「刀剣乱舞絢燗図録二 刀剣乱舞公式設定画集」より

古来、重宝として名高い名刀。一説には日本の刀剣が「日本刀」と呼ばれる形になる過程にある一振であり、自らも他の刀剣たちの父として振る舞う。本作でも不測の事態に動揺する仲間を鎮め、鷹揚おうように構えて行く末を見守る。

「映画刀剣乱舞ー黎明ー 劇場パンフレット」より

前半の説明はほぼ同じである一方で、“烏の童子を思わせる姿”という原作の設定が、映画においては反映されていない
ビジュアルについても、演じる玉城裕規の大人顔が活かされ、年長者としての風格を出すヘアメイクを核としているようで、子どもっぽさは削られている。
音声ガイドにおいて小烏丸の説明がなされる際も、「赤と黒の鮮やかな衣に、羽を広げたかのような髪型」というのみである。
不測の事態にも大きく動揺はしない」という話の通り、台詞も言い回しも落ち着いたもので、冗談を言ったり、喜怒哀楽を大きく見せたり、他の刀剣男士をからかうような様子は描かれていない。

なお、あれだけ激しい殺陣とワイヤーアクションをしても、美しくまとまるヘアスタイルは何なのだろうと筆者も気になって確認したところ、役者の地毛に長いエクステを付け、それをまとめてアップヘアにしてから形を作っていたとのこと。このため、他の刀剣男士よりも長くヘアメイクに時間がかかったそうだ。
また、刀の造形も非常に細やかである上、設定上肩からショルダーストラップのような下げ緒を使って太刀をぶら下げていることから、その動きに頭を抱えたという。

実はこの玉城裕規、舞台刀剣乱舞においても同じく小烏丸を演じている。登場するのは「悲伝 結いの目の不如帰」「維伝 朧の志士たち」の2作である(2023年4月時点)。
この時の小烏丸は、刀剣の父として寛大に振る舞うというだけでなく、冗談を言ってからかったり、表情豊かにおどけて見せたり、笑顔を見せるシーンも多く存在しており、明るく、茶目っ気のあるキャラクターとして描かれている

玉城裕規本人も、「当初は明るい感じでやり取りをしようと考えていたが、廊下を歩いていたら、どうしても明るい気分にはならなかった。普段のキャラクターは母っぽいイメージなので、どうしたことだろうかと戸惑ったが、黎明の小烏丸は演じてみてとても父らしいと感じられた。」と語っていることから、最初の時点では舞台版と同じ形の小烏丸をイメージしていたものの、物語全体の流れや、他の刀剣男士とのやり取りを踏まえて修正されたものと思われる。

余談だが、今回の映画でとうとう平家の小烏丸と源氏の髭切・膝丸が対面する!と期待した筆者。しかし、髭切・膝丸は他の本丸から駆けつけた形であるため、小烏丸と直接の交流はなかった。(おそらく、渋谷における戦いで少し顔を合わせた程度)今後、機会があるのであればどの程度元主を意識して振る舞うことになるのか、見てみたい気持ちだ。

台詞から見える性格と設定

小烏丸の今回の描かれ方で特徴的なのは、原作由来のボイス(台詞)が非常に少ないということであろうか。
映画のシーンを追いながら、それぞれの台詞について考察していきたい。

大江山中での戦い

小烏丸が最初に登場するのは、992年の大江山。源頼光らによる酒呑童子の討伐を阻止しようとする時間遡行軍と山中で戦うシーンである。
小烏丸はすでに先に戦闘していた、三日月宗近・山姥切国広・骨喰藤四郎・一期一振・堀川国広らの活躍を満足そうに眺めつつ

「頼もしき子らよ。この父も奮わねばな」

と発言する。
また、それぞれが戦いながら軽口を言い合っている中では

「戯れている場合ではないぞ、子らよ」

とたしなめるような言葉も見られる。

冒頭からすべてのフレーズに「子らよ」という文字が入っているのが印象的だ。
自分以外の刀剣男士の行動を見る余裕と実力のある刀であり、この部隊においての保護者かつ引き締め役とも取れる。

実は、この部隊の中で原作において最も遅く実装されたのは小烏丸である。他5振りに関してはサービス開始当初(2015年1月)から存在する刀剣男士であり、小烏丸は翌年(2016年11月)に追加されている。

つまり、原作通りにいくとこの場面では小烏丸が最もレベル(練度)が低いという話になってしまうのだが、そういった未熟さは台詞から感じられない。むしろ、この後の審神者との関係性を踏まえると、少なくとも骨喰藤四郎・一期一振・堀川国広よりも先に顕現しており、レベルも高いものであると考えられる。

刀剣男士との会話

その次の登場シーンは、山姥切国広がいずこかへ消え、その行方を追って三日月宗近が2012年の東京で捜索を進めている折、本丸で待機している不安な様子の骨喰藤四郎・一期一振・堀川国広の質問に落ち着いて答える姿である。
一連のやりとりをまとめて見てみよう。

一期一振「主の様子は?」
小烏丸「おぼろげだ」

御簾越しの審神者。色が失われ、消えかかっている。

一期一振「歴史改変が行われ、審神者の存在が危うくなっていると?」
小烏丸「審神者に連なる歴史になんらかの影響が及んでいる、と考えるのが妥当よな」
堀川国広「でも今まで。そんなこと一度も!」
小烏丸「ああ、そうよ。容易なことではないからな・・・・・・」
骨喰藤四郎「消えた山姥切と関係があるのか」
小烏丸「わからぬ・・・・・・」
一期一振「三日月殿は・・・・・・」
小烏丸「事の対処に当たる為、行ったのだろう。戻って来ぬということは、前進しているということだ」
堀川国広「でも・・・・・・」
小烏丸「歴史とは、大河の流れのようなもの。人々の念いを繋げたその先に明日がある。それは審神者も変わらぬ。三日月はそれを守るため、分岐点にいるはず」
一期一振「審神者に繋がる歴史の分岐点・・・・・・」

ここで注目しておきたいポイントは、この4振りの中で、小烏丸のみ唯一審神者と面会し言葉を交わす関係性であることである。
古参であるかどうかにかかわらず、大きな信任を得て本丸の守備任務に着いていることがわかる。また、本丸存亡の危機に動揺を隠せない3振りに対して、あくまで淡々と状況把握をしており、不在の三日月宗近や山姥切国広とも深い信頼関係を築きあげていることが読み取れる。

そしてキーフレーズとなる「歴史とは、大河の流れのようなもの。人々の念いを繋げたその先に明日がある。それは審神者も変わらぬ。三日月はそれを守るため、分岐点にいるはず」という台詞。念いがこの映画においての大きな核になっているのは、本編をご覧になった読者は理解しているだろう。

しかし、これをあえて小烏丸に言わせたことを筆者は非常にうれしく感じている。
というのも序盤ですでに三日月宗近が人々の念いについて語っていることから、別の時代に離れていても三日月と小烏丸が阿吽の呼吸で、ほぼ狂いなく同じ理論にたどり着いている事がくみ取れるからだ。

また、小烏丸の来歴を考えれば、この10振りの中では最も長く栄枯盛衰と諸行無常をつぶさに見てきた刀剣であるし、「人々の念いによって成り立った物語を背負って刀剣男士になっている」ともいえる刀剣である。
もし琵琶法師がいなければ。もし平家物語が早々に天災で失われていたら。もし時の権力者にもみ消されていたら。小烏丸という刀が存在したとしても、刀剣男士として顕現し、強い力を持つまでにはならなかったのではないだろうか。

我々は、見える範囲に物語や資料、刀本体があるために、それを当然と捕らえてしまうが、さすがに1000年以上も残り続けるのはそう容易い事ではない。しかし同時に、人々が語り継ぐ事で守られ生き残ってきたのも事実である。あの場においては小烏丸が最も強くその自覚があったのではないだろうかと思えるのだ。

断っておくが、他の3振りの逸話が少ないといっているわけではない。足利・豊臣・新選組など彼らの逸話の根源にもなっている、元主たちは歴史の教科書で欠かせないほどの主要人物たちである。
小烏丸にも、天皇家や平家という歴史上に名の残る面々が持ち続けたという話があるが、時代の古さを別にすればこれは3振りも変わらない。

小烏丸の何が他と異なるかというと、先ほど述べた「平家物語」の存在である。成立には諸説あるが鎌倉時代の僧・慈円じえんが保護していた信濃前司行長しなのぜんじゆきなが生仏しょうぶつが語り始めたこの物語は、一般庶民へ諸行無常や因果応報の理を広めると同時に、戦で死んだものたちの救済を目的に語り継がれていく。その後も語り継ぐ中で大きく脚色が加えられ諸本が多数生まれた物語でもある。

つまり、大多数の庶民が聴き(読み)、長い歴史の過程で人の念いも多く織り込まれた物語だといえるのではないだろうか。
庶民との長い時間、物語や逸話を通して関わっていた。これに加えて、日本刀の祖としての設定を持ち合わせているために、先の台詞にも説得力と重みが多分に含まれることになったのだ。

三日月宗近、山姥切国広への思い

次のシーンでは、いよいよ現代への攻撃が強まり、審神者や本丸から色が消え、危機的な状況を迎える。
そこで小烏丸は、倒れながら手を伸ばし

「三日月・・・・・・山姥切・・・・・・」

とだけつぶやいて闇に飲まれる。

演者である玉城裕規は、「たぶん彼らの名前を読んだ理由は、ひとつじゃなかったと思うんです」と記事で語っている。
よくよく見るとわかるとおり、2振りを心配する親のようであり、本丸と審神者の行く末を託すような発言にも取れる演出になっていた。読者の皆さんはどのように感じられただろうか。

残る3振りがうめき声とともに倒れていくというのに対して、ここでも小烏丸は年長者として、本丸の刀剣男士全体を見守っているという立ち位置で描かれているのが特徴である。また、異変を察知した際には驚いた表情を見せているが、動揺の色は薄い様子であるため、常に最悪の事態を想定して行動しているとも考えられよう。

また、この場面において小烏丸のみ伸ばした指先に少しばかり赤い色が残っている。処理上のミスとも考えられるが、完全に本丸と審神者・刀剣男士がかき消えた訳ではないという演出になっているとも思われる。

渋谷スクランブル交差点での戦い

渋谷スクランブル交差点に、応援の部隊が到着する場面が小烏丸にとっての最終シーンとなっている。
桜吹雪と同時に現代に到着した、小烏丸・一期一振・骨喰藤四郎・堀川国広。

「安心しろ。本丸も、審神者も無事だ」

という報告が開口一番に行われている。

さて、ここで違和感を感じるのは小烏丸のみが先のシーンからずっと審神者の状況を把握し続けていることにある。つまり、推定だがこの黎明の本丸では近侍が小烏丸なのではないかと考えられるのである。

原作において、現時点では近侍に設定している刀剣男士は遠征に出せない。また、特命調査といわれる特殊な(長期間出陣し続ける)任務についても出すことができない設定になっている。
小烏丸は今回、現代には出陣せず本丸の守備につき、審神者の状態を確認でき直接会話できるような立ち位置であったことから、近侍だったとしても違和感はない。

また、「審神者も無事だ」と発言していることも見逃せない。自分たちの主のことは「主」と発言していたため(先のシーンでの一期一振の台詞参照)、自分たちの本丸以外の「多数の審神者」の状態も「無事」であると知らなくてはこの発言にはならないはずだからである。
本丸同士の連絡網にて、各本丸の審神者の状況を知った上での報告であった可能性が濃厚であり、加えて小烏丸は自分の本丸だけでなく他本丸の刀剣男士に向かって無事を報告する配慮を見せていることになる(実際、この報告を聞いた全刀剣男士が安心して戦闘体制に入っている)。

個人的には「安心しろ」と発言している点がとても興味深い。
いつもの余裕ある小烏丸であれば「安心せよ」「案ずるな」などの別の言葉が適切であったように思うからだ。
そう考えると、やや乱暴な言葉遣いに該当する。表情には出していないものの、内ではとんでもなく激高しているようにも取れはしないだろうか

自身が護るべき子らが傷つき、本丸も存亡の危機に陥っていたことを考えれば、小烏丸の怒りは至極当然のものである。こういった微妙な発言からも、感情の機微が汲み取れる。

ラストの台詞は、戦闘開始直前に発する

「それでは、刀本来の役割を果たそうか」

というものである。
これはご存じの通り、原作において開戦とともに発する小烏丸の台詞。黎明の小烏丸は唯一このときに原作の台詞を発したということになる。
この発言に間髪いれず虎脇差を攻撃。この際、容赦なく首元に攻撃をしている点にも注目して欲しい。
攻撃後、ゆったりと敵に背を向けて微笑みながら去って行く。追撃しようとする虎脇差は上空から骨喰の真っ向切りを受けて果てる。
明らかに敵にまだ息があることを小烏丸は気がついており、手柄を骨喰に譲った格好である。ここでも子の活躍を願い、見守る父の様子がよくわかるのではないだろうか。

この戦闘が落ち着いた後、小烏丸たち本丸組の4振りは先行して本丸に帰還している。現代での滞在時間はおよそ1時間前後だろうか。やはり長時間の出陣はしていないことがわかる。

さいごに

映画刀剣乱舞ー黎明ーの小烏丸は、他のメディアミックス作品とは異なり、あまり表情を見せない。この点少々、怖いと感じる方もおられるかとは思うが、すべては子ら(自分よりも若い刀剣たち)の成長を願っている立場であったからだと推測される。
目線や口元、発言の内容にわずかばかり感情が反映されている点を是非ご確認いただきたい。
逆に、もっと違った小烏丸を見てみたいという方は、舞台刀剣乱舞やアニメの刀剣乱舞花丸などをチェックしてみてはいかがだろうか。

また映画では、場面の中で唯一審神者と直接会話している立場であり、近侍もしくはそれに準ずる実力と信頼を獲得していることも伺わせている。描かれている緊急時の小烏丸ではなく、通常時はどういった刀剣男士であるのかや、今回登場しなかった刀剣男士との関係性などを想像してみるのも楽しいはずだ。


参考
・「映画刀剣乱舞ー黎明ー 劇場パンフレット」東宝株式会社映像事業部 2023年
・「映画刀剣乱舞ー黎明ー 公式シナリオブック」株式会社ニトロプラス 2023年
・「映画刀剣乱舞ー黎明ー 公式フォトブック」株式会社ニトロプラス 2023年
・「映画刀剣乱舞ー黎明ー オフィシャルガイド」日経BP 2023年
https://touken-the-movie.jp/ 映画刀剣乱舞ー黎明ー公式ホームページ 2023年4月20日閲覧
・「刀剣乱舞絢燗図録二 刀剣乱舞公式設定画集」株式会社ニトロプラス 2018年
https://moviewalker.jp/mv77157/ ムービーウォーカー 映画刀剣乱舞ー黎明ー 映画作品情報 2023年4月27日閲覧


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