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マイノリティは、善人でないといけないのか、優秀でないといけないのか


「知的障害者はピュアな心を持つ」
「発達障害者は突出した才能を持つ」
「LGBTは消費市場として大きな可能性を持つ」
「ゲイや女装家はトーク上手で楽しませてくれる」
「企業上層部で活躍する女性は、女性ならではの感性を生かしている」


こうした言説の一つや二つを聞いたことのある人は多いのではないでしょうか。 



マイノリティが多様性の輪に入れてもらうためには、マジョリティの得になるプラスαの何かを求められる空気感があります。


プラスαの何かまでいかなくでも、マイノリティとして生きていると、品行方正であることや努力していることを社会に求められていると感じたことのある当事者は多いのではないでしょうか。

私自身レズビアンや発達障害などのマイノリティ属性を持ち、当事者のコミュニティによく出入りしているのですが、真面目な人ほど社会の要求を敏感に感じとっては応えようと苦しんでいるように感じられます。

私はそんな社会の風潮に疑問を抱いています。





マイノリティとして生きるのは決して楽なことではありません。

みんなと同じ土台に立つには、通常の何倍もの労力が必要だったりします。

偏見から自分を守るためには、嘘や建前で身の事情をかためることもときには必要になります。
それは少なからず心理的負荷がかかりますし、その状態が日常的になってしまうと心は削られていきます。
(宝塚大学の調査によると、ゲイやバイセクシャルなど性的少数者の男性は、異性愛の男性に比べて自殺を図るリスクが6倍も高いということが明らかにされています)



ただでさえ困難とともに生きている人に、多数派側にとってメリットになりえる何かを求めることは、多数派側の無自覚なおこがましさがどこかにあるように私には思えます。



もしも、これを読んでいるあなたがマイノリティには良い人や優秀な人が多いなという印象を持っているなら。


それはマイノリティの生存戦略である可能性を考えてもらいたいのです。




 *  *  *




知的障害の支援学校で教員をしている人からこんな話を聞いたことがあります。

「学校では愛される障害者になりなさい、と教えているの。あの子たちは支援を受けないと生きていけない。だから『自分から挨拶をしましょう、素直な心でいましょう、常に清潔にしていましょう』って愛される上で大事なことを教えているの。そうすれば温かい支援を受けやすくなってあの子たちも生きやすいでしょう」

これを聞いた私は、それは真の生きやすさと言えるのか疑問を感じました。

知的障害児(者)といっても色んな性格の人がいるでしょう。
もともと無愛想な人や、ちょっと偏屈なキャラの人もいるでしょう。
可愛げのあるキャラクターの枠に当てはめられるのに違和感を抱いている知的障害児(者)もいるのではないかと私は感じました。




 *  *  *




私は高校時代、あるクラスメイトからゲイであるとカミングアウトを受けたことがあります。

「僕は普通ではない。だから指差されないように、女性と恋愛できなくでも認めらえる存在にならないといけない」と話していた彼は、都市部の難関大学を目指して猛勉強していました。

男子生徒が大多数を占める理数系クラスだったのもあって、教室にはちょっとした男子校のような雰囲気があり、授業や休憩時間には男性の同性愛を揶揄する冗談がたびたび見られました。

まだLGBTという言葉すら浸透していなかった10年以上前のこと。
地方の高校という閉鎖的な場所で、同性愛者だとばれないように一緒に笑っていた彼。同性愛を欠陥と捉え、それを補完する手段として猛勉強していた彼。どんな気持ちで過ごしていたのか、今は穏やかに暮らせているのか、ふと思い出します。




 *  *  *




東京都新宿区の日本初の同性パートナーシップ条例において第1号として登録されたカップルが破局に至ったニュースは、世間で大きな話題になりました。

二人はブログで、
「皆様からの期待を裏切ることになってしまって申し訳ないです」
「現在日本のLGBTをとりまく環境が日に日に改善している中で、私たち個人が出したこの結論が、その流れに水を差すことになってしまわないか、その懸念についても慎重に話し合ってきました」
「非常に重い責任を感じています」
と述べていました。

まっとうに考えれば、お二人が申し訳なく思う必要も、責任を感じる必要もないはず。
同性愛だろうと異性愛だろうと付き合おうが別れようが当人らの自由ですし、
一般の男女でも3組に1組は離婚する時代なんだから、同性カップルがパートナーシップを解消するのも十分有り得ることです。

にも関わらず、あのようなブログを出されたのは、「同性カップルは苦境を乗り越えて強い愛で結ばれ、添い遂げる」というストーリーが求められているからではないでしょうか。 

同性愛者が純愛を貫くとは限りません。 二股も浮気もありうるし、何かのきっかけで別れることだって当然あります。

しかし我々LGBTが社会からご理解をいただくには、「同性カップルは純愛を貫き、添い遂げる」というストーリーでいた方が有利です。
そうした社会からの圧があのようなブログを書かせるに至ったのではないでしょうか。




 *  *  *


ここまで挙げた例から、マイノリティが善人であるとか優秀であることには生存戦略でもあると感じ取れます。




マイノリティは、マイノリティである以前に一人の人間です。
いろんな人がいて、それぞれのパーソナリティーに色があります。

パーソナリティーが先、マイノリティ属性はそのあとです。

社会の要求によって個々人のの色が塗りつぶされることはあってほしくないなと願っています。



おしまい。


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