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稽古と練習

一つの仕事が落ち着いてこちらの方にも本腰を少しづつシフトしてきている吉田です。

少々仕事と仕事のバランスを整えつつありますがこれもコロナの影響で成しえた事。コロナは本当に人を表してしまいます。
この辺りのコロナでもたらした影響は、別途書きたいと思います。

さて今回は「稽古と練習」について。

これに関しては、今までやって来たblogにも記載していますが再度書きたいと思います。※私なりの解釈なので気にいらない場合は読まなくても良いです。

空手に限らず武術・武道には流儀があり受け継ぐものがあります。空手や武道・武術は一石二鳥で生まれるものではない。
それが空手ではなく、〇〇拳法とかならまだわかりますが・・もちろんそれぞれの拳法にも沢山の歴史があります。

そう。歴史や伝統があります。それを受け継ぎ後世に伝え現在残っていたりする訳です。
勿論その深さであったり広がりであったり多種はあります。

「稽古」の稽の字を見ると、禾と尤(ゆう・とがめる)と旨(シ→ケイ)とから成り立っています。かんがえると言う意になります。
つまり古(いにしえ)を考えるという事になります。
よく「稽古」と言う言葉は、伝統芸能である舞踊・歌・演劇・演芸・音曲などです。
例えば、舞踊であれば神楽や田楽。盆踊りもそうです。演劇であれば能や狂言・歌舞伎。
どれをとっても「練習」とは言わず「稽古」と言っていると思います。
演劇や演芸など「舞台稽古」とよく言われています。

この伝統あるものを身に付ける為にやる事が「稽古」となる訳です。

それでは「練習」とは何か?
単純に伝統や歴史ある事以外の身に付ける為にやる事が練習。
例えば、スポーツにおける走ったり筋トレしたりする事でスポーツ全般を言っても良いのかも知れない。
いやいや待てよ!サッカーや野球など古くからあるスポーツは「稽古」じゃないか!ってなります。
そこで最初に書いた流儀が出てくる訳です。流儀は、先人がそれを行う為に必要な事柄をまとめ体系化(システム)したものと私は考えます。
空手で言えば私の教えている空手は剛柔流。その剛柔流の型と言うのが剛柔流の技術や考え方などが沢山詰め込まれた体系化されたもの。
古くからあるスポーツは流儀がない。
いやいや体系化されているよ!ってなります。確かにブラジルやフランスなど選手を育てるシステムは構築されています。そして結果も出ています。
これは正に伝統でありますね。「稽古」と言っても良いかと思います。
なので、私的には古くからありシステムが構築されているなら【○○流サッカー】でも良いのかと思います。そもそも命名する考え方では無いのかも知れません。(したら良いのに・・)
ただ「練習」も「稽古」も英語に変換したらtrainingやpracticeとなります。又、舞台などではrehearsalと言ったりします。シーンによって使い分けがありますね。
しかし最近では、海外で行われている空手などの武道では「KEIKO」と言ったりもしているようです。
ここは大事で「稽古」ってそもそも日本の文化の一つだと言う事。

伝統や歴史があって流儀がありそれを身に付ける事が「稽古」なのです。
勿論、歴史があり体系化されているなら稽古だと思います。

で、武道・武術に戻して考える。そもそも自分のやっている武道・武術に流儀があるのか?名乗っているのか?(ここ大事!)
武道・武術の世界には流儀を名乗る文化がある。空手で最初に流儀の名乗りを上げたのは剛柔流(1929年に新里仁安先生が命名)とされています。
もっと以前には兵法などにも○○流と付いています。

先ず、くれぐれもこの先は否定してるとかではありません。
現状多くの空手・空手道と言っている道場で流儀を名乗っている所は本当に少ない。全体の数%かも知れません。しかもそんな道場では様々な流派の形(←あえてこの書き方)をやっている所もあります。これでは身体の使い方や体系化されてる所が崩れてしまいます。先人は型の中に技術や思いなどを入れ込み作り上げたと思います。
中には、そんな事は分かっていて空手道とは言わず空手術・空手拳法など言い方を変えている所もあります。それはそれで素晴らしいと思います!
自身の学んでいる空手が流儀があるのか?どんなルーツがあるのか?知る必要があるのかも知れません。
そして流儀を名乗っていないのは何故?って所に行きつくと見えてくる事があると思います。あ~だからか~って。
勿論、何を学んできたのか?って所も大事。流儀を名乗っていてもその流儀の型や中身が出来ない・知らない方もいます。
ここまで来ると何だか分からなくなりますね。。

稽古と練習を使い分け実際にその学んだものが使われ実践されているのか。

私自身も型や基本それを解釈する時は「稽古」としています。それを使える様にする為に、更にパフォーマンスを上げる為にやる事(例えばミット・サンドバッグや各種トレーニング)を「練習」と言っています。

本物であれば歴史があり現在も残っているはずです。

そしてそれを大事にしていると思います。

古を考える。日本の「稽古」と言う文化を絶やさないでいきたい。



吉田統光
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