「感覚の制御」についての覚書

感覚の制御は瞑想には欠かせない。それができる人にとっては、体感的にはっきりしているが、それをどのように具体的に説明することができるだろうか?

そもそもこの「感覚」とはなにか?
それを知らなければ、制御しようもない。

感覚とは、エネルギーとも言える。これは、心と身体の中間のもので、身体(五感)と心(知覚)をつなぐものだ。

身体は解剖学的な物体でしかなく、それ自体では活動できない。活動するエネルギーが感覚である。そして、心が意思である。

五感で捉えた外部刺激によって、感覚が生じ、それを心で知る。
五感→感覚→心となる。

このように見ると、感覚を制御することは、意識が外に向かうのを止めることでもあるし、内に向かうのを促すことでもある。

そうして、意識が外に向かうとき、思考として出力される。
つまり、感覚を制御するとは、思考を静めることと同じである。
これは、外に出た思考を制御するのではない。
思考を「止める」と「手放す」の違い
粗雑な思考が生じないように収めることで、内的な制御となる。

ヨーガ(八支則)で言えば、感覚の制御とは「プラティヤハーラ」と呼ばれるが、このとき制御するのは「マノーマヤ・コーシャ(心の鞘)=内部諸器官」である。
身体→プラーナ(生気)→マナス(心)→ブッディ(知性)となり、この内部器官を制御して、外からの刺激(活動)を抑え、意識を主体へと向ける。

仏典には、次のようにある。

亀が諸の肢体(首と四肢と尾と)を自分の甲のなかにひっこめるように、自分の粗雑な思考をおさめとり、何ものにも依存することなく、他人を悩ますことなく、束縛の覆いを完くときほごして、なんぴとをも謗るな。

「感興のことば(ウダーナヴァルガ)」

まさに、やり方としては、外に向かう意識を亀のように「内」に引っ込めるのだ。
「内」に意識を向けるとは?
上記の記事と同じく、「内」に意識を向けることが、感覚を制御することである。

そして、まずは外に向かった意識を引き止めるのが、準備段階。
次に、外から「内」へ転換し、「内」に向ける。

実際、この「内」への転換は、一般的な瞑想やヨーガの指導などを見ると、それなりに高度であり、上級者向けとも言えるかもしれない。

「感覚(内)」に焦点を合わせると、自然と静まっていく。落ち着いてくると、全体的に認識でき、全体的に認識できると、中心が感じられる。

中心に引っ込めようとし過ぎると、「感覚」から焦点がズレて、身体的に制限されてしまうことがある。そのため、全体と中心(部分)のバランスを取って、待っていれば、調和してくる。

この全体と部分のバランスは、「気づき」と同じである。
「気づき」とは、具体的にどのようなものか?

「内」に意識を向けることと「気づき」は同じことであり、それらをより純粋にするために、「感覚の制御」が必要になる。

やることは共通して、三つのステップになる。
①意識があちこち(外)に飛び回るのを制御する
②外から「内」へと転換する
③「内」に向かう

「内」とは在ることであり、そのまま静かに待っていれば、自然に調和され、本来の在り方へ帰っていく。

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