第一部 二.「外への旅」

後から思えば、あの旅の出発の日、どこかに行くという感じがしていませんでした。そして、旅が終わって帰国しても、帰ってきたという感じもありませんでした。いつからかは思い出せませんが、どこかにいる、所属しているという感覚はすでに無かったように思えます。

初めての海外旅行でしたが、当時はスマートフォンもなく、ガイドブックすら持たずに、とりあえず行ったのでした。なぜか全く不安がありませんでした。本当に行きあたりばったりで、長距離バス乗り場で次の目的地を決めるような旅でした。これまでの人生でも最も多くの困難を経験したのは、このときかもしれません。

最も大きな事件といえば、スペインのバルセロナで強盗に襲われたことです。その日、街は音楽祭で盛り上がっていました。調子に乗って、お酒を飲んだり踊ったりして、夜にホテルへ帰ろうと歩いているときに、強盗にあいました。覚えているのは、肩掛けのバッグを引っ張られ、ズルズルと身体を引きづられたところと、救急隊の人に起こされて目を覚ました短い時間です。なぜか私は救急隊の女性を見て、「彼女が(私をバカにして)笑っている」と、泣きながら叫んだことも覚えています。今思えば、助けてくれたその女性には申し訳ないことをしました。
そして、気がついたら、日の光が美しい病室のベッドの上でした。荷物が奪われ、後頭部を殴られて4、5針くらい縫われる傷を負いました。しかし、すぐに心配してたのは治療費どうしようということです。でも、特に請求もなく、なにかにサインしたりもありませんでした。

印象的だったのは、病院からホテルに戻るとき、バルセロナの街が驚くほどキラキラと輝いていたことでした。その美しさに、ただ感動しました。そして、その感動に、もうこの事件のことは気にならなくなって、そのまま旅を続けました。
そのため、両親や知人にも帰国するまで報告することはありませんでした。

他に似たようなこともありました。ハンガリーのブダペストの旧市街の公衆電話から、国際電話で日本にいる当時交際していた彼女と別れ話をしました。
ひどく落ち込んで、フラフラと歩いているときに見つけたハンバーガーショップに立ち寄りました。そこで食べたハンバーガーの味がしなかったのです。こんなにショックを受けると、食べ物の味も分からなくなるのかと驚きと興味深さで、もうそのショックから立ち直りました。

長く旅をしていると、よく人に助けられます。
旅の始まりはフランスのパリだと思っていました。しかし、気がついたら北京の国際空港の出口に立っていたのです。
本当になにも考えておらず、北京でトランジットが1日あることを知らなかったのです。初めてのフライト、ほとんど下調べせず、中国語どころか英語すらよく分かりません。destination(目的地)という単語すら分からず、チケットを見せながら、言われた通りに歩いていたら出口でした。
どうすればいいのか分からず、立ち尽くしていたのでしょう。そのとき目の前を、日本からの飛行機のすぐ近くの座席にいた中国人の女性が通りかかり、声をかけてくれました。そして、手助けしてくれたのです。

旅を通して、なにか目に見えない導きのようなものを感じていました。
単に勘が冴えていただけかもしれませんが、困ったときは何らかの形で助けがありました。もちろん生きているから言えることなのですが、なにをしてもどうにかなる確信(信頼)をしました。

それは戻ってきてからもずっと続きました。

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