第一部 三.「模索」

外への旅をして、もう制限は無くなったように感じました。人の助けを感じて、穏やかな気持ちにもなりました。前は危うかったのが、大分柔らかくなったと言われるようになりました。

なにをしてもいい、やりたいことをやろう。そして、私はただ自由になることを目指しました。
自由になるためにすることは、制限を作り出している自分を克服することでした。そのために、自分の恐れに立ち向かい、苦手なこと、やりたくないことをあえてやってきました。私にとって、「やりたいことは、やりたくないこと」だったのです。

そして、それを克服して、傍から見ればこれからというときにはもう興味を失って、また次のことに挑戦してきました。

まずは、東京の青山にある有名なクラブでアルバイトを始めました。私はとても内向的で、人付き合いが苦手だったのです。クラブで遊ぶ人たちを斜に構えて見ていました。羨ましさもあったのでしょう。それで、そこに飛び込んでみました。
挑戦するときには、見出してくれる人がいました。そこでは、多くの応募があったようでしたが、私を見込んでくれて採用してくれました。クラブはいつまでも苦手でした。タバコの煙や大きな音は好きになれませんでしたし、お客さんと話すのは苦手でした。
仕事をしていて、よく「っぽくない」と言われました。しかし、その「っぽくない」ことがキャラになりました。よく言えば、媚びないことが認められたのでした。

そのころ肉体労働を低く見ていました。だから、あえてやってみました。汗水垂らして、働く喜びを知りました。そして、どんな分野でも職業でも、本当に素晴らしい人たちがいることを知りました。

学生時代に、それだけしたくないと思っていた営業の仕事もしました。入社したとき、すぐに辞めるだろうというのが、私への印象だったようです。
それから、起業しようとしたり、転職して活躍する場も与えられました。しかし、ある程度仕事ができるようになると、どの仕事にも興味を失っていきました。苦労はあっても仕事に困難を見出せなくなり、社会生活に飽きていました。

そこで、今度は思い立ってベジタリアンになってみました。私は食へのこだわりが強かったのです。
まず肉を食べるのをやめました。次に魚をやめ、卵、乳製品をやめて1年程かけてヴィーガンになりました。好きだったお菓子もほとんど食べることもなくなり、砂糖や添加物など、どんどん制限していきました。それが楽しかったのです。周囲から痩せていく様子を心配されましたが、次はなにを減らしていこうかと、ワクワクしていました。

それらが終わりを迎えたのは、29歳になるころです。そろそろ仕事を辞め、社会から離れて田舎暮らしをしようとしていました。
そんなとき、クラブ時代に知り合った女性がベジタリアンであることを知りました。そこで、彼女と食事をしました。その彼女は太陽のような人でした。「やっぱりすべては愛だよね」と言うのを聞いて、さっぱり意味が分かりませんでした。それでも、その分からなさに強く惹かれました。そこで、その女性から勧められたヴィパッサナー瞑想の10日間の合宿に参加することにしました。
それまで宗教や精神世界、スピリチュアルなどほとんど興味を持っていませんでした。ヴィーガンだったので、マクロビオティックに関心があったくらいです。
ほとんどなにも知らないまま、仕事を辞めたタイミングで瞑想合宿に参加することになりました。

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