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海士町探訪記4日目「ゆるやかな島の日常で抱く希望と悩みに触れる」

サムネイル画像は昨日の西ノ島からの帰りに撮った、夕陽に照らされる海士町の風景です。

本日の海士町探訪

今日の朝食は近くのホテルのお弁当でした。いつも美味しい朝ごはんをありがとうございます。

今日はここまで3日間の疲れもあるので、遠出はせずにゆるりと過ごしました。午前中は書き溜めていたnoteを書いたりちょくちょく来ていたご連絡に返信などしておりました。

本日のお昼は、町のお食事処「八千代」さんで。年季のある外観が歴史を感じさせます。

野菜たっぷりチャンポン麺をいただきました!

あとはうなきゅう巻きをいただきました。美味しかったー。

お昼を食べたあとは町のリラクゼーションスポット「島のほけんしつ 蔵」へ。アロマやハーブティーなどを取り扱っており、マッサージやセラピーの施術を受けられる場所です。今日は先約があったようなので、フリースペースでまったりと過ごしました。

ハーブティーでまったりしながら、アテンドしてくださっている若柳さんから、ホロスコープ(占星術・星読み)をしていただきました。「なんでそんなことわかるんですか……?」という驚きもありつつ、人生の補助線をいただいた感覚を大切にしようと思います。

その後は、3日間行動をともにしていた大学生の方が本土に帰られるということで、フェリーの見送りに。ゆっくりと沖に出ていくフェリーに向かって大きく手を振りながら「いってらっしゃーい」と声をかける港の人々。背後に流れる蛍の光。心なしか切なさを感じました。見送るってこういう感じなのかな。

続いて訪れたのは隠岐國学習センター。島の小中高生の学習の拠点として、また地域活動や島民のみなさんの交流学習の場として活用されています。内装はあたたかみのある木目調テイストで居心地よし。おしゃべりOKなスペースや、集中して勉強できる部屋など、用途に合わせて活用できます。こんな場所、高校生のときにあったらいいなぁなんて思いました。

その後は宿に戻りゆっくりしながら調べ物などを。地域経済活性化や海士町での取り組みに関する社会学的考察など、いくつかの論文をザッピングしておりました。

市民意識と地域通貨の課題 : 2017年度柏崎市活性化を目指す地域通貨流通のための市民意識・消費動向調査より(平野 実良)
視察旅行における観光のまなざし: 島根県隠岐郡海士町への視察訪問をめぐる社会的相互作用と権力関係の考察(長友 淳)
島根県海士町における地域づくり主体の自己生態系化プロセス(佐野 淳也)

夜ごはんはお目当ての場所が閉まっていたので、八千代アゲイン。お寿司の上にぎり。8貫で1,600円。非常に美味しかったです。

海士町探訪後記

「バイバイ」ではなく「いってらっしゃい」
海士町の人々は、フェリーで見送るときに「いってらっしゃい」と声をかける。「バイバイ」をするとそこで終わりという感じを覚えるが「いってらっしゃい」だと呼応して「おかえり」がついてくる。また帰ってきてね、という想いを込めているのだろうなぁ。そうなると見送られる側も「バイバイ」っていうより「いってきます」なんだろうな。

ま、言葉尻に注目するより、大事なのは気持ちかと思いますが。

ゆるやかな時間の流れる島だからこそのモラトリアム
海士町での滞在中に知り合った2人の大学生と一緒に夜ごはんを食べた。「大人のしまね留学」というプログラムを使って、他県からこの島にインターンシップに来ているとのこと。

都会で暮らす中で、周囲と同じような学生生活を送りレールに乗った就活を終えた先の未来が見えてしまう現状に違和感を覚えたという。いろんな経緯があってこの島にたどり着いたようだ。

都会での暮らしと異なり、この島では自分がそのまんまでいていいんだ、という気持ちがふくらんで、生きやすくなったと。一方で、100%晴れ晴れした気持ちでもなく、将来をどうしていこうかという茫漠たる悩みは尽きないと。まさに、圧倒的リアリティに根ざしたモラトリアムを生きていらっしゃるなと感じる。

ゆったりとした島の時間の中では自分の将来について考える機会が多く、それゆえに不安もある。加えてこの島では一般的に大学生にあたる18歳~22歳の人口は貴重である。高校を卒業したら島外の学校や職場に進路を決める人も多いため。身近に同じ境遇の人が少ないことも、このモヤモヤを大きくさせる要因なのかもしれない(だからこそ、大人のしまね留学が果たしている役割は大きいだろうけれども)。

海士町で4日間過ごしてみて、この土地の人と会ってきたが、その大多数が社会人だった。それゆえに、この島に暮らす学生年代の若者との接点も大切にしたいと感じる。2人とは今後もちょくちょく連絡取れたらいいな。ふらっと相談に乗れる、すこし先に生まれたお兄さん的存在であれればなーなんて。そういう立ち位置・役割を意識することって、東京にいるときはなかったな。

頂戴したサポートは、私からのサポートを通じてまた別のだれかへと巡っていきます。