映画「星の子」(霊感商法にはまった家庭のお話)を見ての私見

あらすじはなぞらない。

表現

 この映画全体がそうだけど演者さん、脚本屋さんが各キャラの本性が行動に影響を与えているように見せているころがすごい。例えば南先生というイケメン?数学新任教師。彼のキャラも演技とは思えない自然さがある。彼の授業の薄っぺらさも、やたら受験だけを強調する教師としての人間氏の魅力の薄さも自然に態度から伝わってくる。人のことは一切考えていないのに人気はあるのそのキャラもくそキャラとして、或いは偏見側の社会を外部からみた様相として描かれているという仕組みも個人的に好ましく思っている。

主題

 この話は別に霊感商法による強烈な悲惨さを描いたわけでない。だから展開が大きいわけでない。だからこそ実際の霊感商法が身に染みてしまっている怖さが真綿に絞められるようにじわじわと伝わってくる。例えば悪人らしい悪人として描かれている人はいない。怪しい水を売る人もまるで患者に薬を処方する医者のような立ち振る舞いだし、教団の人もみんな良心を持つばかりのように見える。一番その中でも怖い人は子供に「見通すことができる人」がまるで哲学の授業のようにも思える思想的な洗脳教育をしている人だが、その人は教団に疑いを持った人をよく観察していとも簡単に見抜いてしまうが、その人でもただ迷いがあるでしょと見抜く言動をすることで、超常的な力を信じさせようとするだけで、なにか強力な脅しをするわけでもない。その自然さが怖い。
 また主人公家族の入信理由が怖すぎる。主人公が赤ちゃんだったころ病気がちでそれがたまたま治ったから霊的な水の力を信じてしまったということだ。これは救われなさすぎる。主人公が洗脳に完全に気付いてしまったとき自責に耐えられるだろうか。そしてそれで壊れたものの重圧に耐えられるだろうか。お姉ちゃんは主人公のことをかわいがっていたが親が変化しえ行くざまを見て家出を決心するまでにいかにもがき苦しんだか。姉妹の将来も不安だ。(姉のそのへんの葛藤も経緯もほとんど描かれていないが強い暗示がある)家がぼろくなって食事もひどくなっていたことを主人公が振り返ったときどうだろうか。大きな変化なのにさらっと流しすぎて怖かった。気づかない人もいる気がする。
 徹底的にそういう哀しみを描かないことで教団がコントロールできないしない大きな哀しみとして残されるのは周囲からの奇特な視線だ。タオルを頭にのっけて何度もペットボトルで水を付けるのは数学の教師が河童と揶揄して不審者とみるのも合理的ではある。
 でも入信までした親の愛情は本物だとラストシーンで示されていた。この洗脳と教団の仲間、親を守るか、普通と真実を得るかこれから主人公の葛藤は深くなっていくだろう。
 

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