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株式トレードへの参入が、地獄への第一歩だった。米国株のデイトレードで廃人同然に

【第1話】超絶ブラック企業でのパワハラから逃げたい一心から、投資の世界へ からつづく


様々な株式トレード手法を試行するも、利益が上がらず

まずはじめに手掛けたのが、日本株の個別トレードでした。

当時のことを振り返ると、コンビニに置いてあったマネー雑誌や、書店の投資本コーナーに山積みにされた株式投資の入門書などを片っ端から買い込み、チャート分析に日々勤しんでいました。

・ゴールデンクロスで購入し、デッドクロスで売却。

・グランビルの法則に従って、200日移動平均線(MA)の動きを見て売買。

しかしながら、株式投資の本では、これらの法則に従っていれば利益が出ると書いてあるにもかかわらず、何故か、実際のトレードでは、さっぱり成果を上げることが出来ませんでした。

ある時は儲かったり、ある時は損をしたり、でも結局は、株式売買手数料を考慮するとトータルではマイナスになってしまいます。

ただ、その頃の私は、その結果を受け入れることが出来ず、うまくいかない理由を、市場のせいにしていました。

『トレードする市場が、日本市場だからうまくいかないんだ。アメリカ株、それもナスダック市場なら、きっと利益を出せるに違いない!

こうして飛び込んでいったのが、怪しげなデイトレード・セミナーだったのです。


アメリカ株(ナスダック)のデイトレードで、廃人同然に

GW最中の新宿御苑、新緑の木々に穏やかな陽光が差し込む最高の季節の中、ビルの一角に設けられたセミナー室で話す講師の言葉は自信に満ち溢れていました。

その講師によると、彼が提供しているツール(ソフト)を使えば、アメリカのナスダック市場のメインフレームコンピュータに証券会社を通すことなくダイレクトにアクセスすることが可能で、その状況下においては、高速で動く板情報と分足チャートを見ながらトレーディングを行う、いわゆるスキャルピングという高速トレード(彼はそれを、ダイレクト・アクセス・トレーディング(通称:デイトレード)と呼んでいた)によって、短時間で莫大な利益を得ることができる、というものでした。

そして、日本の株式市場では煩雑な手続きを経ないと開設できない信用取引口座も、アメリカの証券会社なら、普通に口座を開設するだけで、空売り(ショート)も自由に行うことができる、すなわち、相場が上昇しようが下降しようが、チャートをもとに適切に予想さえできれば、誰でも簡単に利益を上げられると言うのです。

講師によると、チャートの動きに従ってエントリーし、自分の意に反して反対方向にいった場合には素早く損切り(ロスカット)、自分の予想が当たった場合には、どこまでも利益を伸ばしていけばよい、とのことでした。

現に講師の操作するトレーディング・ツール上の残高は、みるみるうちにその残高が膨れ上がっていきます。

私はそれを見ながら、身体中の血が湧き立つのを抑えることができませんでした。

これだ!これこそ、私の探し求めていたものだったのだ。

陳腐で薄汚れたJTC(当時私の勤めていた某ブラック企業もまがりなりに東証一部上場企業でした)から抜け出すために、自由とテクノロジーの国、アメリカの証券市場を攻略して、経済的自由を勝ち取ってやる!!

新緑の葉からこぼれ落ちる陽光は、どこまでも自分の未来を照らし続けてくれているように、その時は感じていたのです。

講師の運営するセミナー会社経由で、アメリカにあるダイレクト・アクセス・トレーディングの会社からIDが発行されるまでの1週間は、まるで恋人との1週間後のデートを待ちわびるが如く、早く来て欲しいという、はやる気持ちを抑えるのに苦労した記憶しか残っていません。

そして、アメリカからのエアメールが届いた時は、飛びあがりたいような嬉しさと湧き上がるような興奮で、今にも天に昇っていくのではないかと思えるほどでした。

いよいよデイトレードでデビューできるその日がやってきたのです。

会社からいそいそと帰宅し、掻き込むように夕食を平らげると、PC のスイッチを入れ、デイトレードのソフトを立ち上げます。

ID とパスワードでログインすると、あとは、日本時間の22時、ナスダック市場がオープンするのを、刻一刻と待ちわびている時間が、まるで永遠のように感じられたのを昨日のことのように思い出します。

22:00ジャスト、ついにナスダック市場がオープンしました。

昨日の終値で止まっていたチャートは、目の前のモニター上で物凄い動きで上下しはじめました。

予め教わったチャートの形になった瞬間、「BUY」のボタンを押してエントリー。

待ちに待ったデイトレード、そのデビュー戦の号砲がきって落とされたのです。


エントリーから数分後、目の前の損益表示がみるみるうちにマイナスの幅を拡げていきます。

マイナス10ドル、→マイナス20ドル、→マイナス30ドル、…

マイナス50ドルに差し掛かった瞬間に、耐えきれずに「SELL」のボタンを押している自分がそこにいました。

トレーディングソフト上の資金残高が、開始時点からおよそ50ドル減少しています。

仕切り直しだ!

気を取り直して、次のエントリーのタイミングを探ります。しばらくして、チャートの形が思惑通りになったことを確認し、再度エントリー。

でも、やはりしばらくすると損益はマイナス50ドルを突破してあえなく損切りです。


勝ったり、負けたりを繰り返して、相変わらず目の前の損益金額はマイナスのまま、いや、そのマイナス幅もどんどん拡がっていくばかりです。

『おかしいな…?』

トレードを続けていく中で、一つの疑問が頭の中にもたげてきました。

セミナーでのデモ環境では、あれほど利益が出ていたのに、なぜ本番環境になると(自分の思惑と)逆方向に株価が動くのだろうか?

(セミナー講師と違って)自分にはトレードの才能が無いのだろうか…?

興奮と焦燥と落胆の入り混じった感情の中で、いつしか、

この負けを取り戻さなければいけない!

という思いが頭の中を侵食していくのを感じていました。


競馬やパチンコにハマった人ならば理解できるかもしれませんが、株式の短期トレードに夢中になっている時に、人は脳を〝HACK〟されてしまっています。

この時の私が、まさにこの(=トレードというギャンブルに、自らの脳を〝HACK〟されている)状態でした。(しかも、やっているのは、スキャルピングという、超短期トレードで、極めてギャンブル性の高いものでした)

トレードに負けるたびに、身体中が冷や汗をかいたように震えが来るのですが、一方で脳みそは完全にオーバーヒートしており、止めたくても止めることが出来ません。

結局、ナスダック市場が閉まる(日本時間の)早朝になるまで、一晩中トレード画面に張り付く結果となってしまいました。

結果は、マイナス500ドル。日本円にして、およそ5万円の負けとなりました。

トレードの回数はおよそ50回。純粋なトレードの成績としては収支トントンでしたが、手数料50回分も入れると、残念ながらマイナス5万円となってしまったのです。

そして、翌日も、翌々日も、成績はマイナスでした。

不思議なことに、セミナーで講師が教えていたとおりの、プラスのトレードにはなりません。

私は自分の(トレードの)才能の無さに、段々と嫌気がさしてきていました。

私はそれでも、一刻も早く会社を辞めたい!という強い思いから、なんとか自分自身の気力を振り絞ってデイトレードを成功に導かなければならないと強く誓ったのです。

しかし、そんな思いとは裏腹に、かつ、情けないことに、その(デイ)トレード生活は、わずか1ヶ月で破綻を迎えてしまいました。

そもそも、毎日朝までデイトレードをするということは、夜中じゅう起きているわけですから、朝の4時位から2時間ほど仮眠してから会社に行くことになります。

当然会社では仕事中は意識がもうろうとして集中力を欠くこととなってしまいます。

何より困ったのが、アメリカの株式に関する情報が気になって仕方なく、とても仕事に集中出来ない心理状態に追い込まれてしまったことです。

毎朝土気色の顔のまま満員電車に乗り会社に行くも、頭の中は株式投資のことで一杯。

このままでは自分が廃人になってしまう。

直感的に判断した私は、泣く泣くアメリカ株のデイトレードから足を洗うことにしたのです。

【第3話】フルリモート勤務のホワイト企業へ転職後、確定拠出年金の残高に驚愕! につづく


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