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鬱のつな、携帯で文を書くとまとまらないのはなぜか。

狐のイラストが可愛かったのでせんたくしてみたが、これは一体どこに表示されるなんの画像なのだろうか…。


2度目の投稿。
タイトル通り今日は携帯から打っています。

私はパソコンのキーボードを両手でガチャガチャやるのが爽快に感じるタイプなので、若干の違和感。

あと、パソコンの時は大体資料作成のため対社会。
携帯の時はラインやツイッターが多いので対友人。
この点を考えると、文の書き方も慣れるまではやや砕けた雰囲気になる。

さて。
今日思ったことについて話をしよう。

今日は、夜の19:30から楽団の練習に行ってきた。
鬱なのに、である。

皆さんは、鬱にどんなイメージを持たれるだろうか。

布団の上で寝てばかり
引きこもり
常にひとり

こういうイメージ、強いのではないだろうか。

もちろんこれも立派な(?)鬱。
しかし鬱のすべてがこうとは限らない。

近年鬱についての知識は多くのメディアでとりあげられているため、そんなこと知ってるよ、という人は多いだろう。

それでも、動けるタイプの鬱を目の当たりにすると

「え、動けんじゃん」

こういう反応をする方、少なからずいるのではなかろうか?


私は、薬がうまく合っているときは動けるタイプの鬱である。
とはいってもキャパがある。
合う相手を厳選したり(相手に失礼なので極秘情報である。)、時間を制限したり…色々調節しながら、キャパオーバーにならないようにしている。

相手を選ぶ…聞こえは悪いかもしれない…が、やはり他人と喋るのは、正直しんどい。
喋らずに済むなら喋らないでくれ、と色んな場面で思う。(例:美容院)
喋っていて苦にならない相手でないと今は会話が続けられない。


例えそれが友達でも恋人でも家族でも。


今日は楽に会話ができても、明日の体調気分では受け付けなくなってしまう可能性は十分にあるのだ。


余談だが私にはふたり兄弟がいる。
上とは問題なく会話できるが、今までとても仲の良かった下の兄弟にいつからか苛立ちを覚えるようになってしまった。
苛立ちを抑える薬をもらって過ごしているが、悔しく思う。


優しくしてあげたい、と心から思うのに、いざ立ち振舞を見るとやたらイライラする。
ごめんね、お姉ちゃんは優しくしてあげたいのに、それができないんだよ、ごめんね。

この一言さえ、言えるようになるまであとどれくらいかかるだろうか…。

話はやや変わるが、私のように文章をかけるタイプの鬱もいれば、それも難しい方ももちろんいる。
かくいう私も、はじめは文なんてとても書けなかった。
というか、情報を自分の中に取り入れることが不可能だった。
脳がパンパンに感じていた。
脳の容量がなかった感覚。
テレビも、携帯も、小説も、何も見れなかった。


その頃の過ごし方はベランダに咲く花を眺め、てんとう虫を眺め…眺めているというよりは、偶然目に写っている程度だが…。
とにかく脳が刺激されないような生活を送っていた、送らざるを得なかった。

幸運にも今はこうやって文を書くことができる。
だが、体調の変化によっては、それもまたできなくなるかもしれない。
今の私が書きたいことは、本当に今しか書けない可能性があるのだ。


…大きなことを言ったかな。

色々と話をしたが、伝えたかったことはこれだ。
「鬱のタイプはたくさんある。私の記事を読み、知人の鬱に当てはめるのはやめてほしい。私が文を書き、読めるからと言って、他の誰もがそれが可能とは限らない。」

私の体験談が、誰かの役に立つとは思っていないが、誰かの迷惑になるのだけは避けたい。
もしこの文を読んでくださる方がいらっしゃるのなら、それだけはお願いしたい。

やはり携帯では文がうまくつくれない。
携帯とパソコンでは思考に違いが出るのかな?
次回からはなるべくパソコンを使っていきたい。


追記:

パソコンで読み返してみたら、まあひどい。

これは私の文としてはなかなかな散文。笑

これはこれで面白いので手を加えずこのまま残しておこう。



今日は春らしい昼下がりだった。

桜の香り…というのはいまいちピンとこないが、ツクシやタンポポが土の中で疼くような、おいしい空気を求めて地中でもがくような、そんな微笑ましい情景は、暖かな春の太陽に暖められて漂う土の香りから想像できる。

はやくでておいで、春はきているよ。



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