Let it be.


とにかくテンションがあがらない。
何をするのも億劫でやる気が出てこない。
といっても、仕事や家庭といった日常は支障なくこなしているので、それ以外の部分。非日常の活動に対する意欲がない。
ライブに行くのはもちろん、配信ライブさえも、観たい気持ちはあるのに、億劫さが勝ってしまう。
SNSのタイムラインすら、追うのが難しい時がある。
きっと時期のせいなのだろう。
こういうときに無理をすると、好きなものが好きでなくなってしまうから、今は無理して追わない方がよい。
大好きなものほど、無理してまで追いかけたくない。そんなの推しに失礼。
きっと時間が解決してくれるのでただそれを待っている。


今いちばんハマっているのはメダカの飼育。
鉢を買ってきてなんとなく水草を植えたりしているだけでもそれなりの見栄えになるし、メダカはとにかく手がかからないし強いのでありがたい。
人に懐くわけじゃないけど、それなりには人に慣れてくるし、やはり生き物は見ていて飽きないし、なによりかわいい。
暖かくなって、水草に産卵するようになり、それをひとつひとつ採取して、毎日のように眺めてたら、先日、ついに針子(メダカの稚魚)が産まれた。
卵の中で動くようになり、ついに殻を破って飛び出してくる瞬間を見たときにはとても感動してしまった。
狭い卵の中に入っているので、出てきてしばらくは稚魚の体も曲がっていてうまく泳げないんだけど、しばらくするとまっすぐになって、元気に泳げるようになっていく。そんなのを見ていると時間を忘れてしまう。
子どもたちといっしょに観察したり喜んだりしている。今はそれがとても楽しい。
息子が捕まえてきたおたまじゃくしたちも、足が生えてきてスイレンの葉の上にいることが多くなったと思ったら、次々にカエルになって巣立っていってしまった。生き物は何でもかわいいし面白い。


暗いだけの話かと思ったら後半とてもよかった。
若い頃は仕方がない部分もあるけど、周りを気にすることより自分を知ることの方がはるかに大切だ。
自分がどういう性格で、どういうときに幸せを感じ、どういうときに苦痛を感じるか、それに目を向けようとせずに、ただ、まわりと比較して、とても窮屈な生き方をしている人が多いように思う。
空気を読むこととか、周りに迷惑をかけないこととかは、それはそれで大切なことではあるけれど、本質的には、それらよりも「自分がつらくないこと」「自分が大切にしていること」の方を重視すべきだ。
「ぜんぶ捨てて心で生きたらどうなるのか。」
みんながこうやって生きられればよいのになと思う。

自己肯定感とか自己愛とか、自分も使うけど、本当はあまり好きな言葉じゃない。
世界をふたつに分けるとすれば「自分」と「それ以外」であり、「肯定」とか「愛」とかは基本的に「それ以外」に向けられる行為とか感情だと思っているので。
「自分」とは、この世で唯一、確実に存在しているもので、それ以上でもそれ以下でもない。他と比べるようなものでもないから、評価をつけるべきものでもない。つまり、愛したり嫌ったりする対象でもなければ、肯定や否定をする必要もない。ただ、心のままに生きればよい。

とはいえ、自分もこう思えるようになったのはここ10年くらいで、若い頃は人目を気にしたり自己嫌悪したりしていたと思うので、年齢にもよるのだろう。
歳をとって、近くの文字は見えなくなるし、人の名前も出てこなくなるし、体の衰えは日々実感するけど、一方で、若い頃には気づかなかった日常の些細なことへの感謝や喜び、愛情を実感できるようにもなっていて、若い頃より心は平穏を保てていると感じる。
歳を重ねるのも悪いことばかりではないよね。

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