死ぬよりも怖いことがぼくらにはあるのさ

5月にもうひとつ記事を書きたいと思っているうちに6月になってしまった。冬のあいだ氷の張った鉢で身を潜めていたメダカたちは元気に泳ぎ回り、エンドレスで産卵をするのでメダカの子育てに追われている。同僚の子どもがほしいと言ってくれたのでタマゴと稚魚を里子に出したらとてもよろこんでもらえて自分もうれしくなった。この時期はずっと里親募集中。

水草からタマゴをとってきれいに洗って別のケースにいれて定期的に水換えをして、産まれた稚魚はまた別のケースで大きくなるまで育てる。おとなのメダカの鉢も週末のたびに掃除している。メダカが感謝の言葉をくれるわけでもないしお金は減ることはあっても増えることは決してないのになんでこんなことをしてるかというと、それ自体が楽しいからなんだろう。これは実は子育てと同じだということに最近気づいた。子どもができると自分の時間は激減するしお金もかかるし大変なことばかりだ。子どもを持たない選択をする人がいるのも頷ける。でも、自分にとっては、子育てはそれ自体がとても楽しい。こどものためでも奥さんのためでも、ほかの誰のためでもなく、自分のための行為。つまり目的だ。自分のために使う時間も楽しいけど、誰かのために使う時間が自分の幸せにもなるなら、それは2倍以上の幸せになるのかもしれない。

ダンサー・イン・ザ・ダークという、うつ映画の代表みたいに言われる作品があって、20代で初めて観たときは自分も観たことを後悔するほどへこんだけど、この歳になって振り返ると、ラストシーンのセルマの心情がわかるような気がしている。観た当時は悲劇でしかないと思った結末も、今にして思えば、その穏やかな最期をうらやましいとさえ感じる。セルマには、自分の死よりも恐ろしいことがあって、それが回避されることがわかったから、あんな穏やかな顔ができていたのだろう。死は恐ろしいことだし可能な限り遠ざけていたい未来だけど、自分の命より大切なもののために自分の命を使えるとしたら、それは死に対して、そして生に対しても、これ以上ない意味を与えてくれるように思う。ジョジョの第一部でジョナサンをかばって死んだ父親はとても誇らしそうで満足そうだったのが心に残っている。子どもは別の人間だしどんな人間になるかは彼ら自身の問題で、自分の面倒をみてほしいとは全く思わないし感謝してほしいとも思わない。ただ、彼(彼女)らが自分の生や死に意味を与えてくれていることが、ただ純粋にうれしい。
「死ぬよりも怖いことがぼくらにはあるのさ」はPEOPLE 1「113号室」のとても好きな歌詞。言い方をかえれば、自分の命よりも大切なものがぼくらにはあるし、そういうものがあることが幸せなのだと思う。

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