「目標」と「夢」を区別する

認知(行動)療法で言われる「認知の歪み」のひとつに、「全か無か思考」と呼ばれるものがある。
「完璧主義」と言いかえてもよい。
テストで100点以外はダメ、99点だったとしても0点と同じ、というような考え方。

100点でしか満足できない、完璧しか許されないわけだから、相当生きづらそうな生き方だ。
実際、認知療法ではこの考え方は「認知の歪み」であるとされ、治療の対象とされる。

100点を目指して、結果として70点だったとしても、悪くない結果として受け入れる。
自身のストレスマネジメントを第一に考えるなら、それが適応的思考というものだ。

また、勉強や仕事においては、ときに、100点を目指さないことも重要だったりする。
80点を目指すよりも100点を目指す方が、当然ながら労力は桁違いに増える。
1教科だけ100点でも、他が赤点では意味がないし、それなら、満遍なく80点を目指すような時間配分が望ましい。
すべての教科で100点を目指すための時間をかけると、睡眠や休憩時間を削ることになり、心身の調子を崩すリスクがあるし、ずっとその全力疾走を続けることは現実的でない。

…というのが、ごく一般的な学校や仕事、生活の上での考え方だ。


でも、この考え方が、必ずしも正解であるとは言えない職業の方もいる。

それが、アーティストとアスリートだ。


アーティストにもアスリートにもいろんな人がいると思うし、すべてがそうではないかもしれないけど、それを職業やライフワークとして全力で取り組んでいる方たちに関しては、おそらく、「80点でいいや」と思って手を止めるひとはいないのだろうと推測する。
これらの仕事(と言ってよいのかはわからないけど)は、8割の表現や作品、成果を、気の遠くなるような時間と労力をかけて少しずつ磨いて、可能な限り10割に近づけることが求められる。のだろう。

仕事で言ったらものすごく非効率的だ。
多くの仕事では、1時間かけて100点の仕事をするより、5分で80点の仕事をする方が重視される。
受験勉強だって、テストは別として、絶対に間違えないように何回も見直して計算ドリルを1ページやるよりも、スピード重視で5ページやるほうが効率が良い。

でも、アーティストが膨大な時間と労力をかけて完璧に作り上げた作品や表現だからこそ、みた人の心を打つものになる。
とんでもない天才であれば、数分で作った作品が視聴者の感動を呼ぶこともできるのかもしれないけど、でも、天才には天才にしかわからない苦悩があるだろうし、どんなに周りに評価されたってその人自身が100点だと思えなければ、本人の満足にはつながらないだろう。


つまり、勉強や仕事であれば、100点を目指さない、80点を受け入れる、というのは、本人の幸せに通じるけど、アスリートや表現者にとっては、それは幸せには通じていない、ということになる。

よく考えてみれば当たり前のような気もする。受験勉強や(多くの)仕事は、目的ではなくて生きるための手段だ。
手段はなるべく効率的な方が良いから、少ない労力で80点を目指す方が効率が良い。
でも、きっと、アーティストやアスリートは、プロになればそれは仕事といえるかもしれないけど、生きるための「手段」というより、生きている「目的」の方なんだろう。
極論、自分が満足できなければやっている意味がないから、そこは妥協できないのではないだろうか。


そして、ここはアスリートとアーティストの違うところだけど、アスリートのほうが成果がわかりやすく、客観的指標があるのに対して、芸術にはそれがなくて、あくまで本人自身や受け手側の主観に委ねられている。
しかも、スポーツの場合は相手がいたり、チームスポーツであればチームメンバーがいたりして、自分だけで完結するものではない(そうでない競技もあるけど)。自分がいくら100点のパフォーマンスをしても、相手がそれを上回るパフォーマンスをするかもしれない。つまり、自分の努力だけでは結果がついてこない場合が当然のことながらある。
だから、以前も書いたけど、アスリートは完璧主義な傾向が当然あるんだろうけど、一方ですごくリアリストである傾向が強い気がする。特に一流のアスリートはそうだし、高い次元で理想と現実をすり合わせられなければ一流にはなれないのかもしれない。


アーティストの方は、常に自分の理想との戦いだ(あくまで推測ですが)。

ステージに立つアーティストにとって、歌のうまさ、ダンスの技術などは、ある程度客観的指標があるのかもしれないが、それを競うならアーティストというよりアスリートに近い。
「こうすればよい」という絶対的な正解なんてなくて、みんな試行錯誤しながら、自分の目指す理想に少しずつ近づけていく、そういう気の遠くなるような作業を、心身を削りながらやっているんだろう。

だからこそ、そのパフォーマンスが胸を打つし、そのアーティストを心から尊敬するわけだけど、アーティスト自身には、常に想像を超えるプレッシャーやストレスがかかっていることが容易に想像できる。
周囲のプレッシャーももちろんあるだろうけど、何より、自分がやりたいことだからこそ、自分自身が自分にプレッシャーをかけてしまって、完璧を求めて無理を重ねてしまうのではないかと思う。

こういう焦りや不満、もどかしさなどの感情は、きっと、表現者として正しい。
正しいんだけど、でも、アーティストも人間だから、ずっと自分にストレスをかけていたり、無理をしていたりすれば、当然ながら心身の不調をきたしてしまうリスクが上がってしまう。
でも、表現がそのアーティストにとって「目的」である以上、そこに折り合いをつけることはとてもむずかしいことだとも思うし…

(推しの心身のストレスを代わりに引き受けられる呪術とかありませんかね…自分の髪の毛を入れた藁人形とかを持っていけばいいですか…)


また、アーティストの宿命として、他者評価と無関係ではいられないという点もある。
自分が満足する作品や表現ができていても、他者評価が伴わなければ、少なくともプロとしてやっていくのは難しい。

自分がやりたいことだけやって、他者の評価はなるべく気にしないのがストレスをためない最良の方法なんだけど、やりたいことを続けるためにはある程度の他者評価が必要だから、気にしないわけにはいかない。
よい評価ばかりならいいけど、当然ながらみたくない、聞きたくない評価をされることだってある。そもそも、人気が出なければ活動を続けていくこと自体が難しくなってしまう。


さらに、芸術は理性ではなく感情に訴えかけるものだから、人を動かすような作品や表現には、アーティスト自身の、強い想いや感情が込められているんじゃないかと思う。
自身の感情に向き合ったり、それを思い切り表現したりするというのは、単純にものすごいエネルギーを使う。
泣いたり怒ったりした後ってすごく疲れるけど、ライブパフォーマンスって、号泣したり激怒したりするくらいのエネルギー(特に精神的なエネルギー)を消耗するんじゃないだろうか。
(もちろんそういうライブばかりじゃないと思うけど、感情を込めてパフォーマンスをする人ほど、それくらい消耗しているんじゃないかって、勝手に想像しています)


そういうわけで、アーティストが、その「目的」である「自身のパフォーマンスの質を追求すること」と、自身の心身の健康を保つこと、そのふたつを両立させることはとても難しいのだと思う。
理想を言えば、頭は冷静に、心は熱く、感情と理性を分離して、心で感じる情熱をそのままに、焦りを理性でコントロールできるとよいのだろうけど…いつもそんなにうまくはいかないし。
そもそも、アーティストでない自分には想像もできないような葛藤がそこにはあるのだろう。だからこそ、その作品やパフォーマンスに心を打たれるんだ、きっと。


ただ、ひとつだけ偉そうに言うなら、なるべく、「夢」と「目標」を分けて設定するとよいのではないか、と思っている。

「夢」とは、「こうなればいいな」という願望で、そこには運の要素も含まれる。
それに対して、「目標」は、自分の努力で達成可能な範囲の現実的なプランのこと。

そういう分け方をするなら、たとえば「武道館でライブをしたい」というのは、「夢」であって「目標」ではない。努力すれば誰もが武道館にたどり着けるなら苦労はない。
「フォロワーを増やしたい」とか「動員を増やしたい」も、そのための様々な努力や活動をしたからといって、必ずしも達成可能なわけではないから、「夢」の方だと思う。
目標はもっと現実的なプランのことだから、「ダンスや歌がうまくなりたい」「だからダンスの個人レッスンやボイトレに通う」みたいなことだ。
できれば、その現実的なプランに、リカバリーまで入れてもらえるとよい。プロスポーツにはちゃんと練習と休養のメソッドがあるんだから、プロのアーティストをサポートする人たちにもそういうメソッドを取り入れてほしいと切に願う。

そして、「目標」には責任を負ってもよいが、「夢」にまで責任を負う必要はない。
1年で武道館に行くという夢が達成されなかったとしても、それはどう考えても個人の責任ではない。
自分のせいでないものまでしょいこんでしまうと、荷物が重すぎて動けなくなってしまう。
「人事を尽くして天命を待つ」。やるべきことをやったなら、あとは運次第。悩んでもどうしようもないことにとらわれるのはもったいない。


あと、さらに偉そうになっちゃうけど、実現を望む「夢」があったとして、その夢が叶う、その瞬間だけが幸せなのか、という話。
逆に、「夢が叶うまでは幸せじゃないのか?」と言い換えてもよい。

もちろん、夢を叶えるために、さまざまな目標を立てて、それに向かって努力するわけだし、つらさや苦しさにも耐えてがんばっているんだけど、でも、きっと、夢に向かって進んでいること自体が「目的」でもあるんじゃないか、と思う。

人生って、ゴールには「死」があるだけだから、ゴールするために生きているわけではなくて、人それぞれ違いはあれど、その過程に意味があるわけだ。
夢だって、かなってしまったらその瞬間に人生が終わるわけじゃないから、また次の夢に向けてスタートする、ということの繰り返しで、死ぬまで終わりがない。
だから、夢だって、叶うまでのその過程に、きっと意味があるはず。

だから、本当は、叶うかどうかわからない夢に向かって進んでいる、そのつらく苦しい瞬間にも、意味を見出して、できれば楽しめるとよいんだと思う。

(未明さんの言葉が同じ意味かどうかはわかりませんが、自分は似ていると感じて引用させていただきました)


大好きで、尊敬していて、家族や友人と同じように大切な存在である推したちが、どうか、心身の健康を保ちながら、笑顔で自身の夢にむかって活動を続けられますように。

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