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今こそ挑もう!青空文庫 【おすすめ名著5選】

こんなときだからこそ、元気が出るような企画ができないだろうか。

そう思い立ち、本棚を掘り起こし始めたのがきっかけだ。最初は私が苦しかった時に元気をもらった本を紹介するつもりで、あーでもないこーでもないと選んでいた。だが、ふと気づく。今こうして目の前にある本は、すべて本屋に足を運んで買ったものだ。読書を勧めることで外出を促してしまうのではないだろうか。通販にしたって、リスクを背負って配達してくれる人がいるわけで。

逡巡しているうちに、私を取り巻く状況も一転。リモートできない業務だから大丈夫だろうと甘く見ていたところでの、出勤調整宣告。いつ収入がゼロになってもおかしくない。そんな中じゃ1円の出費だって惜しいのに、いくら本好きだって物欲が湧かない。ならば……

今こそ「青空文庫」の出番ではないか!

「青空文庫」とは、著作権の切れた文学作品を無料でダウンロードできるサイトである。お金がなかった学生時代、国語の授業で習った作品や直感で選んだ短編をむさぼるように読んでいた。無料で、布団からは一歩も出ることなく、私はどこへでも行けた。幼い頃夢見たおとぎの国も、100年以上前のイギリスも、時には過去の思い出の中にさえ。

目の前に横たわる膨大な時間に呆然としている君。今こそ、文学してみないか?普段本を読まない人やお堅いブンガクに慣れていない人でもとっつきやすいよう、みじかい、やさしい、ふかいの3つを条件に5作選んだ。時代を超える名作というのは往々にして暗いシーンが多く、当初の「元気が出る」というテーマからは遠ざかってしまったが、同じように”ままならない”時を生きた人たちにしか救えないものもあると思う。

(「青空文庫」はブラウザ上でダウンロードして読めますが、文字がきゅうきゅうに詰まってとても目では追えないので、印刷かアプリのインストールをお勧めします。)


①江戸川乱歩『目羅博士の不思議な犯罪』

【主人公はある月夜、探偵小説の筋が浮かばず東京市内をぶらついていた。上野の動物園でぼんやり猿を見ていると、読者だという青年に声を掛けられる。小説の筋を探しているのなら、面白い話がある、とーー】

ダウンロード数上位の大作に挑戦して挫折するくらいなら、何でもいいので乱歩の推理ものから手を付けてほしい。短編が多く、難しい言葉がほとんど出てこない。起承転結のテンポもいいし、推理しながら読めて楽しい。

本作は何気ない猿の描写と偶然居合わせた青年との世間話から始まる。単なる前置き?と思っていると、これらひとつひとつが結末に向かってシュッと収束していく。この無駄のない構成の美しさにはため息すら出る。それでいて単なるミステリーの枠に収まらないのが乱歩の魅力。事件の真相は明快に展開しながら、犯罪に魅せられる”人の心”はどんな推理も解き明かせない。ひらめきから一転、ぼやぼやとよるべない月光の中に突き落とされるような幻想の世界をぜひ。

ちなみに乱歩の著作権が切れたのは2015年。私が学生の時は買って読むしかなかった作家である。はっきり言って無料で読める今の学生が羨ましい。まだまだ名作が作業中。公開されるのを待つわくわくも楽しめる。

②芥川龍之介『トロッコ』

【良平は鉄道工事の現場を、とりわけ土を運搬するトロッコを眺めるのが好きだった。一度でいいから乗ってみたい、せめて押すだけでも。そんな思いから、ある日ついに土工に頼んで、一緒に押すことになった。最初は憧れのトロッコに触れられることを楽しんでいた良平だったが、だんだん知らない景色になってきてーー】

それは私が小学生の時である。学校からの帰り道、家まであと半分くらいのところで二手に分かれる場所があった。同じグループのほとんどの子が私とは別の道を行くので、ここを過ぎるといつもちょっぴり寂しかった。ある日、みんなと別れた後、私ともう一人の友達だけが取り残された。なぜだか無性に冒険したい気持ちになって、ふたりで見知らぬ道に足を踏み入れた。道は違えど家の方角は同じで、途中で一本曲がればいつだっていつもの景色に戻れることを頭では知っていたし、ふたりで鼓舞しあううちに気が大きくなっていた。だけど、進めど進めどひとっこひとりすれ違わない。しんと静まり返り、まるで異世界に迷い込んでしまったみたいだ。「私、戻る!」と友達は今歩いてきた道を走って引き返していった。私だって怖いけど。ここまで来ると決めたのは自分なのに。泣いたら、怖がったら、冒険はただの迷子になっちゃう。私は友達とは反対方向に走った。もしかしたらもう二度と家には帰れなくなってしまうかもしれない。不安を押し込め、走って走って走った。

この作品を読むと、跡形もなく忘れていたはずの幼少期の記憶が鮮やかに蘇ってくる。たった一本向こうの道が異世界だった。帰るべき場所があり、迎えてくれる人がいた。振り返ってみればあの頃からだいぶ遠くまで来てしまった。もう戻れないその距離を思うとき、せりあがってきた涙を押しとどめ、私はまた走り出したい気持ちになるのである。

③中島敦『山月記』

【李徴は頭がよく高官についたものの、このまま誰かの下で働くよりも詩人として名を上げたいとやめてしまう。その後は誰とも付き合うことなく試作に励んだが、なかなか名声は上がらず次第に生活が苦しくなる。妻子もあるので再び役についたが、昔の同僚が自分よりも出世していることに耐えられかった。ある夜、ついに発狂。宿の外に飛び出したきり、行方が知れない。翌年、そのあたりでは人喰虎が出ると噂になっていてーー】

今の会社で一生懸命働いてはいるけれど、どこかに「私の本当の才能は認められていない」「ここじゃないどこかでなら活躍できる」という根拠のない自負がある。いつも心は半分別のところにあって、同期ほど真面目に与えられた仕事をこなせないし、上司へのごますりもおろそかにしている。だからといって、本気で転職活動をしているわけでもない。書くことが好きだけど、プロの世界に飛び込んで才能がないことに気付いてしまったら?

大人になればなるほど、読んでいて胸が苦しなって、じわじわと涙が滲んで、切なくなる。50年以上前に書かれたとは思えないほど共感してしまうのだ。中島敦の作品は、本当は隠しておきたいような人の心の芯の部分を時に厳しく戒め、時にやさしく照らしてくれる。漢文調でとっつにくいかもしれないが、この現代でカタカナのない文章に触れられることも少ないし、ひらがなと漢字だけの文章は、どこかほっと落ち着くのである。


④夢野久作『死後の恋』

【舞台はロシア。「死後の恋」という不思議な話を信じてくれるだけでいい。見た目は40代くらいの乞食のような男が一人の日本軍人に声を掛ける。貴族の血を享けているというこの男、話を信じるだけで全財産を譲り渡してもいいというのだ。こうしてロマノフ王朝の宝石にまつわる世にも奇妙な話が始まるのだがーー】

”ハハハハハ。イヤ……失礼しました。嘸かしビックリなすったでしょう。ハハア。乞食かとお思いになった……アハアハアハ。イヤ大笑いです。” この書き出しの6文ですでに気持ち悪い。そこにあるのは文字だけなのに、ぞわぞわっと肌の内側を虫が這いまわるような不気味さ。”ナルホド”や”タッタ一人”などところどころに出てくるカタカナが男の独白に散臭さを与えている。ところが本題に入るや途端に流ちょうになり、正気と狂気の境目がちらつくと、しん、と背筋が凍るような心地がする。凄惨なシーンもあるし、ロシアの歴史もよくわからないし、もうしばらくは読むまい、といつも心に誓うのだけれど、気づけばこの作品を読み返している。数ある名作の中でもここまで生身の感覚を伴う小説は他に知らない。難しい読解は後回し、まずはこの独白の力を味わってみてほしい。果たして男の話は本当なのか、それとも気が狂っているだけなのか……。


⑤スティーブンソン ロバート・ルイス『ジーキル博士とハイド氏の怪事件』(訳:佐々木直次郎)

【弁護士のアッタスンは親戚から穏やかならぬ噂を聞く。その親戚はある日、道端でぶつかった子どもを何度も踏みつける男を目撃した。特徴のある顔ではないのだが、一目見ると抗いようもなく嫌悪感でいっぱいになるのだという。その男の名はハイド。アッタスンはその晩、友人であるジーキル博士に託された遺言書を確認した。そこには自分に何かあったときには一切の財産をハイドに渡すという旨が書かれている。善良なジーキルがなぜそんなならず者に?もしや脅されてこんな文面を書かされたのではないか、と疑い始めーー】

もう誰にどう思われたっていいやと思いながら、今日も約束の時間を守り、与えられた仕事はこなしている。アニメや映画のヒーローのように生きてみたいと胸をときめかせながら、自分勝手で他人の気持ちなんかに振り回されない悪役に惹かれている。SNSでは趣味が多くて思いやりのある意識高い系を演じているけれど、酔った勢いでオールした早朝、誰もいない駅のホームでまどろむあの微妙な良心の疼きと脱力感を忘れられずにいる。人間誰もが善と悪の両面を持ち合わせていて、そのふたつがぶつかり合って生まれる葛藤や罪悪感に悩まされている。もし善と悪を完全に切り離せたら?と考えてみる。人間はどちらの方が幸せでいるれるんだろう。

日本の作品だけでなく、海外文学に触れられるのも青空文庫の醍醐味。19世紀末のイギリスで書かれた本作は、紹介した他4作よりも少し長く、翻訳独特の言い回しに戸惑うかもしれないが、読みごたえは十分。ミステリーとファンタジーを掛け合わせたようなストーリーで今読んでも色あせず、私たちを虜にしてくれる。私は大学時代、どうしてもこの作品を研究したくて最後の論文に選んだ。ひいき目もあるかもしれないけれど、それほどまでに人の心を惹きつけ、国も時代も超えて問いかけてくれる傑作が無料とあれば読むしかないのである。


ここまで偉そうに紹介してきたが、私もついつい読みやすい本ばかり手に取りがちである。まだまだ知らない名作もあるし、勇気と気力が足らずに挑めていない大作もある。こんなときだからもう一度、青空文庫の作品一覧を眺めてみようと思う。時代の荒波を乗り越えてきた作品たちから教わることもあるかもしれないし、一生に寄り添ってくれる仲間に出会えるかもしれない。だからもしあなたが何もすることがなくて退屈なら、一緒に文学してみませんか?

追記

食にまつわる話限定!第2弾「今こそ挑もう!おいしい青空文庫」を更新しました!

第3弾「今こそ挑もう!文豪と原稿の青空文庫」を更新しました!

第4弾「今こそ挑もう!真夏の青空文庫」を更新しました!

第5弾「今こそ挑もう!にゃんこの青空文庫」を更新しました!

第6弾「今こそ挑もう!わんこの青空文庫」を更新しました!


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