見出し画像

今こそ挑もう!文豪と原稿の青空文庫【おすすめ随筆4選】

今まさに、この文章をパソコンに打ち込んでいる。

ブラインドタイピングで高速入力、デリートキーで大量削除、カーソルを合わせれば挿入なんてなんのその、入れ替えだって5秒とかからない。パソコンはいまや「書く」における必需品である。


だが小中学生の頃を振り返ると、小説はノートに手書きしていたと思う。ハリー・ポッターシリーズや宮部みゆきさんの『ブレイブストーリー』に憧れ、浮かされたようにユニアルファゲルを走らせていた。想定では単行本上下巻相当である。

その向こう見ずな挑戦には関心するが、結局は、主人公が異世界に飛ばされたあたりで力尽きた。

こんなのほとんど序盤じゃないか!

だがそれは話が思い浮かばずというのではなく、ただ単に「文字を記す」という物理的な作業に疲れてしまったんだと思う。こうしてパソコンが一家に、いや一人に一台持てる時代だからこそ、書きたい欲求を満たし続けることができるのだろう。


じゃあ、パソコンもワープロも普及していない時代って?と想像してみる。

谷崎の『細雪』は新潮文庫で上中下、一巻あたり350~500ページ。漱石の『明暗』は未完にして650ページ以上の大作だ。本棚から抜き出した瞬間、指先にずっしりと重みを感じる。

中にはタイプライターを使っていた作家もいたかもしれないが、それだけの文字数を、原稿用紙に、手で、綴っていたなんて。当時の作家たちの書くことへの狂おしいほどの情熱と強靭な精神力よ。


そこで今回は、原稿用紙に向かう作家の姿が目に浮かぶような随筆を4作選んでみた。より想像しやすいよう教科書暗記必須レベルの文豪をチョイス。自粛期間で生配信を見すぎて眼精疲労がつらいよっていうあなたのためにも短さは最優先で

少し窓を開け夜風を浴びながら作家気分に浸るもよし、プロならではのこだわりの逸品に心惹かれるもよし、「書くこと」への溢れんばかりの熱を全身で受け取めるもよし。気になるものからどうぞ。


① 夏目漱石『余と万年筆』

「万年筆」というと現代の私たちには古めかしい道具のように思うのだが、それまでいちいち墨汁に筆を浸していた当時の人たちからすれば、外国からやってきたそれは大そう便利でハイカラなアイテムだったに違いない。


漱石も冒頭でそのフィーバーの様子を描いている。ただのペンなら1銭、水筆なら3銭の時代に最上等で300円、平均的なものでも10円と超高級品。にもかかわらず書店では一日に100本も売れたそうな。


そんな万年筆擁護派の漱石だが、扱い方が雑というか、不器用というか、その悪戦苦闘ぶりがちょっとかわいくて面白いのだ。


初めて親戚からもらったものは「器械体操の真似をしてすぐに壊し」(……?)、その後新しく買ったペリカン社のものも、「要求しないのに印気を無暗にぽたぽた原稿紙の上へ落としたり、是非墨色を出して貰わなければ済まない時、頑として要求を拒絶したり」と全然手なずけられていない!思うように動いてくれないあてつけなのか、インクは種類構わず注ぐが、ペン先は洗ったことすらない。そんなわけで「ペリカンの方でも半ば余に愛想を尽かし、余の方でも半ばペリカンを見限っ」て、友好関係は遠のいていく。


それにしてもまるで生き物のように万年筆を描く。ユーモアに満ちた擬人化表現の中に、ただの「実用品」ではなく「相棒」として大切に付き合うひとのこころが覗けた気がする。


② 谷崎潤一郎『文房具漫談』

漱石よりも後に活躍した谷崎だが、押しも押されぬ毛筆推し。筆圧が強くても抵抗が少ない、音が立たない、乾きが早いので手や原稿が汚れない、「消し」をするときも一発で塗りつぶせる、と重宝していたようだ。


原稿用紙はいつ切らしてもいいよう、紙もインクも手に入りやすいものに。旅先でも版木を持ち歩いて自ら刷るほどのこだわりよう。「漫談」と言いつつ、文房具ひとつとっても妥協しない谷崎の人柄と、書いて食っている人間としての魂が垣間見える。


作家が思いを込めた作品は、製本され、はたまた電子化され、時を超えていく。だけど、彼らが選び抜いたものひとつひとつにもまた、打ち込まれた文字にはないその人の”におい”が漂っているのかもしれない。


③ 室生犀星『芥川の原稿』

原稿は「書く」だけではない。「取ってくる」のも仕事だ。


作家の目線から編集者との関係をちらりと覗けるのがこの随筆。詩人でもある室生犀星。彼が小説を発表する前、当時隆盛を極めていた芥川龍之介が依頼を断る一部始終を目撃する。


「一種の面白半分と調戯半分に、実際書けそうもない本物の困り方を半分取り交ぜて」「心の底からまいっているとか、遠慮しているとかいうところがなく、堂々として」断るのだそう。


芥川の写真ってかっこいいじゃないですか(高校の現代文の先生もそう言ってたし)。当時の美的価値観とか実際で見たところはわからないけれど、犀星が描写したような軽やかな感じで言われたら、断られる方もいやな気はしないんじゃないか……なんて想像してしまうのだ。受けた仕事はもちろん断り方も一級で、はじめて本物の一流と呼べるんじゃなかろうか。


④ 坂口安吾『文字と速力と文学』

いざ書き出してみると筆がなかなか進まない。なんとか仕上げ読み返してみると、「こりゃ面白いぞ!」と迸っていたものは勢いをなくし、言葉も思うところまで全然届いていなくて、「はて、こんな陳腐なことを伝えようとしていたのだっけ」と悲しくなる。なんてことは、まあ、よくあることだ。


安吾いわく、「想念は電光の如く流れている」のに「書く方法が速力的でない」のが問題らしい。確かに頭の中で「わたし」と言うのに1秒もかからないが、紙の上に書くと2~3秒はかかる。その上、漢字は左から右へ書き順が決まっているにもかかわらず、縦書きの場合、文章は右から左に書いていく。つまり一文字ごとに左→右→左→右と往復しなければならず、その間に浮かんだ感情や考えやが走り去ってしまうというのである。


「ああ!なるほど!納得!」と読みながら深く共感し何度も感嘆した。


が、考えてみれば私はほとんど紙に書いていなかった。速力という面ではキーボード入力は手書きよりはるかに速いはずである。「わたし」と頭の中で唱えるのと、ディスプレイに表示されるのとでは時間差はほとんどないように思う。


速く書ければ脳内で構成された文章により近いものが書ける、という安吾の仮説通りいけば、今頃とんでもない名作傑作が湯水のように生まれているはずだ。テクノロジーの進化に比例し、過去の小説は凌駕され、「上書き保存」するみたいに忘れ去られるだろう。


ところが現実はそうじゃない。きっとバリバリにパソコンで執筆している作家も、こうしてウェブ上で発信している私たちも、たったひとりのあなたに思いを伝えようと手紙を書いている誰かも、思うがままに言葉に変換できないもどかしさを抱えている。だからこそどんな時代の誰に宛てられた言葉も、思いの分だけ尊いのだ。


《今こそ挑もう!青空文庫シリーズ》

まだまだ読みたい方はこちらもどうぞ!一緒に文学しましょう!

今こそ挑もう!青空文庫【おすすめ名著5選】

今こそ挑もう!おいしい青空文庫【食にまつわる名著6選】



この記事が参加している募集

読書感想文

おうち時間を工夫で楽しく

頂いたサポートは書籍代に充てさせていただき、今後の発信で還元いたします。